京都府京都市左京区 天授庵
Tenjuan,Sakyoku,Kyoto city,Kyoto
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November 23, 2022 野崎順次 source movie
京都府京都市左京区南禅寺福地町86-8
大本山南禅寺塔頭
瑞龍山 天授庵
紅葉の盛りは過ぎたようだが、まだまだ楽しめそうだ。天気は曇り。
通用門
庫裡と大書院越しに見る。
方丈(本堂)北庭
方丈東庭(淵黙庭)
南に回り込んで、大書院あたり
南庭(東の池)
澄心庭(西の池)を一周する。
小書院あたり
大書院前の池畔
December 30, 2018 野崎順次 source movie
京都府京都市左京区南禅寺福地町86-8
臨済宗南禅寺派
天授庵
1339年(歴応二年)光厳天皇の勅許により虎関師錬が南禅寺無関普門(大明国師)の塔所として建立。1602年(慶長七年)細川幽斎が再興した。方丈の襖絵は長谷川等伯の筆で充分。池泉を主にした庭と枯山水と二つの庭園がある。
(京都観光Naviウェブサイトより)
パンフレット、通用門、庫裡
方丈(本堂)の北側の庭
方丈東庭(淵黙庭)、左の門が正門
南庭へ、大書院と小書院
書院南庭
大明国師の在住は弘安年中(1278-1287)頃であり、鎌倉末期においてであるから、今本庭の地割を一覧すると、ちょうどその頃の池庭地割を保存していることは興味がある。
(中略)
このような関係から、実はその当時本庭も一部改修された。すなわち書院の東部築山に見られる石組などは、その一部に慶長期の手法を見せているのがそれである。
(中略)
ところが、実は明治三十七年から八年(1904)頃にかけて、その頃の住職であった虎山恭宗和尚は、なかなかの作庭好きであった。この虎山和尚は本庭を大改修し、特に西池の南西岸に多数の石組を作り、書院から一覧すると中島のごとく見られるようにしてしまった。それのみでなく、全庭に護岸石組を作り大改修をしたのであって、急に本庭が明治期の池庭のような様相を示した。まことに惜しいことをしたものである。
しかし幸いに本庭は全面積九百六十二坪の大池庭であり中央に南部に向かって出島が大きく突出していて、池は東西の二池庭の姿となっていて、これは鎌倉末期から南北朝にかけての典型的な地割様式であり、(中略)そうした当代庭園の地割だけは完全に保存されてきたことは何よりであり、虎山和尚の改修は失敗であっても、庭園史資料の上からも貴重な一庭であることを注意してほしい。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」天授庵庭園より)
南庭(東の池)
澄心庭(西の池)
その他(東端)
紅葉ライトアップ
池周辺は危ないので建物内部からの紅葉鑑賞
平日で比較的人も少なく、ゆっくり鑑賞できました。
新緑の頃、快晴の天授庵
南禅寺三門
南禅寺・三門のすぐ南に位置する天授庵は、南禅寺の塔頭の中でも、南禅院とともに別格として位置づけられている。
紅葉の頃の美しさに定評のある庭園の開創は南北朝時代である。
その頃の特徴を残す書院南庭の池泉庭園、そして枯山水の本堂前庭(東庭)と二つの庭園がある。
石がらみのスポットを並べる。
枯山水庭園
正門から本堂へと白砂の中を横切るように、縁石と苔、飛石状に配された正方形の切石により構成された延段が続く。これが目に付くポイントの一つである。
本来、白砂の庭園の中に、通路をつくることは、鎌倉・室町ではなく、細川幽斎によって再建された後に造られたとされる。
白砂の中の通路は金地院にも見られるが、ここ天授庵庭園の延段は意匠的にもインパクトが大きい。
池泉庭園
書院南庭の池泉庭園は東西の二池からなる。江戸期や明治期の改修で石橋や沢飛びが渡されるなど大規模な改修工事がなされ、南北朝時代に造営された姿とは大きく異なっているとされる。
徳富健次郎「黒い目と茶色の目」、三島由紀夫「金閣寺」に天授庵が登場する。天授庵には男女の愛を語らせる不思議な魔力があるのだろうかと・・・何かに書かれたことがある。
京都市左京区南禅寺福地町
宗派:臨済宗南禅寺派
南禅寺塔頭の天授庵は南禅寺境内にあって、三門の南側に位置する。
南禅寺の開山・第一世・大明国師無関普門禅師を祀る塔所として、1339(暦応2)年光厳天皇の勅許により虎関師錬が建立した。作庭もされた。
その後、南禅寺の大火や、応仁の乱で焼失、荒廃した。
1602年(慶長7)細川幽斎(1534-1610)の援助を得て、方丈、正門、旧書院、塔などが再興された。
以後、幽斎の廟所が造られるなど、細川家ゆかりの寺院になる。
方丈の襖絵は長谷川等伯の筆で国重要文化財。池泉を主にした庭と枯山水と二つの庭園がある。
正門と全景図
慶長年間(1590〜1615)に建立された。
庫裏
江戸時代、1893年の再建。奥で書院と連なる。
本堂(方丈)
南禅寺の境内からも薄茶色に輝く屋根が見え、存在感を大きくしている。
1602(慶長7)年に、細川幽斎により重建された。優雅なこけら葺屋根を持つ建築で、光厳帝御銘の霊光塔を復興されたもの。六間取り方丈形式の建物。
中央に開山大明国師等身大の木像を安置し、一隅に幽斎夫妻をはじめ細川家歴代の位牌所がある。
ふすま絵 「 (引用:パンフレット)
非公開の「本堂襖絵」は長谷川等伯の筆で、三十二面全て国の重要文化財に指定されている。本堂重建の年に製作されたもので、等伯64才の時の傑作。
日本経済新聞情報(1205.4.01)
その他の建造物 書院・茶室・松関閣
庭園
本堂前庭(東庭)と書院南庭とに分かれる。
東庭は枯山水で正門より本堂に至る幾何学的な石畳を中心に、数個の石と白砂を以てし、これに緑苔を添えた。
書院南庭は、本堂の南端を西へ廻り込むと書院の前に出る。その前に広がる。
書院側より長大な出島をつくり、向かい側から小さい出島を配し、これを組み合せて大小の二池を区切っている。
東庭から見る三門
November 15,2014 大野木康夫 source movie
2012.11.20撮影
天授庵は南禅寺の塔頭の一つで、三門のすぐ南にあります。
方丈の額縁紅葉
客殿入口
客殿庭園
池泉回遊式庭園へ
池泉回遊式庭園
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