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京都府京都市東山区 東福寺光明院

(Tofukuji Komyoin, Higashiyamaku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

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December 7,2024 大野木康夫 source movie

東福寺からの帰り、門前の紅葉が鮮やかだったので寄りました。

   

境内

   

波心の庭の紅葉風景

                                                         

紅葉が輝かない時間帯だったので撮影結果は今一つですが、人が少なくのんびりできました。

 


July 13, 2019 野崎順次 source movie

京都府京都市東山

臨済宗東福寺塔頭

光明院

苔の美しい時期に来たことが無かったので、梅雨時に来た。一時的には雨模様が強くなってタイムリーだった。

光明院庭園(波心の庭) 現代 枯山水

本庭は鎌倉末期の開創であることに因んで、鎌倉式の石組を本位とし、しかも本院の寺号が光明院であることをテーマとして、本堂正面東部の三尊石組と、南部の三尊石組と、北部の三尊石組とを、三尊式に配置し、各三尊石組の有機的な斜線や直線や横の線に至るまで、いずれも有機的に結び、それらの線上に多くの石組を並べ、各三尊石組から光明の線を見せる構成としたのであった。

そして本庭の地割は、鎌倉式の洲浜形の地模様を用い、しかもこれらの洲浜の池に対して、自由な起伏の軽い築山的線を配し、従来の庭園に見なかった本寺独特の創作庭園としたのであった。

そして本寺の庭園に対しては、

無雲生嶺上 有月落波心(雲がかからなければ、いつでも水面に月が映えて美しいだろう)

の禅語によって、波心の庭と命じた。すなわち中央の枯池を設け、これにも多くの石組を施したのは、この禅語の意から出た構成であった。このような関係で、後になって背後の山畔に植栽してあったツツジを大刈込とし、しかも雲紋の大刈込とすべく、今日なお毎年の手入に用って手入されていて、近年大変美しくなりつつある。

さらにまた、東部丘上には茶室蘿月庵を、これまた著者が設計し、茶室の貴人口の障子と、小窓と、壁全体の上に月の構成を試みたのであった。これでいよいよ本庭は大刈込と茶亭の模様とによって波心の庭というテーマが生かされたことは言うまでもない。

その後昭和三十七年七月二十日着工の西庭(門内)の枯山水が、八月八日に完成した。これまた蓬莱式の枯山水で、このほうは、前述の前の句にでる雲嶺をもって庭園名とした。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」光明院庭園より)

アプローチ、JR東福寺駅で降りて、東福寺の境内を通り抜ける。

               

山門を入ると、前庭「雲嶺庭」がある。白砂、苔地、青石の三尊石、鶴島、青石の破片の敷石、インカ風の敷石などで構成されている。

          

玄関から本堂へ

     

波心の庭、本堂から見る。

                          

書院および茶室「観庭楼」から見る。

                                 

本堂や書院から向かって左奥(北端)の茶室「両行庵」から見る。

           


June 2018 中山辰夫

京都市東山区本町15−809

宗派:臨済宗東福寺派 開創:1391年、金山明昶 1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により荒廃 1911年、横幕滴泉住持の入寺により再興

1939年、作庭家・重森三玲が方丈前に「波心の庭(波心庭)」を作庭、1962年、「雲嶺庭」の作庭が完成 

山門入口付近には重森三玲が作庭した「雲峯庭」がある。庫裏に出入口がある。土間のたたき(三和土)に彫られた紅葉−三角の敷石の形や色彩の妙−何か期待が膨らむ。「拝観志納料金はこの筒の中に入れて御自由に入山して下さい。皆様方を信じて居ります。光明院」 

           

本堂(方丈)周辺

    

書院周辺

    

書院の円窓と雪見障子越の「洗心の庭」の眺めがいい

茶室

      

茶室「観庭楼」と「両行庵」と納骨堂

    

波心の庭

       

雲嶺庭と摩利支尊天

       


May.06.2018 中山辰夫

東福寺の塔頭の一つである。作庭家・重森三玲の庭園で知られ、「苔の寺」とも呼ばれる。秋の紅葉が見もの。

宗派:臨済宗東福寺派 開創:1391(明徳2)年金山明昶 建立:同年 神仏分離後荒廃 1911(明治44)年横幕滴泉が再興 20年間托鉢を続けて本堂建立。

庭園は1939(昭和14)年に、方丈前の庭園「波心の庭(波心庭)」が作庭され、1962(昭和37)年に「雲嶺庭」が作庭された。

波心庭は池泉式の枯山水で、州浜型の枯池に三尊石組を配し、背後にサツキやツツジを雲紋になぞらえて刈り込み、雲の上に茶亭蘿月(らげつ)庵があり、月が昇る姿を形とっている。入り口に雲嶺の庭羽入口にある。

アプローチ

石標g門前に立つ

     

石標が目に付く。

山門を入った辺りが「雲嶺の庭」。十三重らしき石塔と三尊石組が配された玄関口までの細長い庭が作られている。

     

石畳の突き当りに「摩利支尊天のお堂」がある。

    

庫裏の玄関が入口 「光明」と揮毫された扁額が掛かる。

    

土間

      

土間のたたき(三和土)に彫られた紅葉−三角の敷石の形や色彩の妙−何か期待が膨らむ。

「拝観志納料金はこの筒の中に入れて御自由に入山して下さい。皆様方を信じて居ります。光明院」 

茶室が3室つながる−一輪の花輪が迎えてくれる。

   

茶室

             

いよいよ「波心の庭」を鑑賞する

波心の庭は,1939(昭和14)年に重森三玲氏が作庭した池泉式山水庭園。面積は約380坪、白砂と苔の中に草木を配し、州浜型の枯池がつくられ、三尊石組が配置されている。白砂と3組の三尊石組と40余の大小の石が林立する庭になっている。白砂は海、苔の上の小石は波の飛沫をあらわす。

別名「虹の苔寺」と称され、春は桜とつつじ、夏は新緑、秋は紅葉、四季折々の顔を見せ景観が変化する。

庫裏の縁側から見る

             

立石で構成、大小75個ほどの石、築山、白砂の洲浜と池、三組の石組(三尊石組)、三尊石の主石から放射線状に全ての石が並べられている。

井筒形の石組と手水舎

  

観庭楼と両行庵−両行庵は少し高台にある

           

前方に見える建物は本堂(方丈)

「観庭楼」の廊下(縁側)から書院〜本堂に向かう80

     

書院

         

什器など

          

月をイメージしているのか網代組の趣ある円窓

     

本堂(方丈)内部

     

本堂は廊下を挟んで書院と並ぶ

  

本堂

    

波心庭が正面に広がる

                      

背後のサツキ・ツツジは全国から集められたとか、大刈込で雲紋を表わす。枯山水の洲浜は珍しいとされ、白砂で海を表わしているが、海洋を表わした初例とされる。庭は本堂、書院、茶室いずれの方角からも見えるような石組に作庭されている。

本堂からみ見る建屋

   

本堂の廊下天井に見た珍品?

      

シ−ズンを選ぶと見ごたえが変る。


December 3,2016 大野木康夫 source movie

東福寺塔頭光明院

山門付近

          

庫裏付近

  

拝観入口から本堂へ

      

本堂から見た波心の庭と紅葉

                   

本堂内部

 

本堂南側

     

再び本堂から見た庭園

               

丸窓から見た風景

     

方丈から見た波心の庭と紅葉

                        

茶室から見た風景

                            

方丈

     

丸窓

            


February 11, 2015 野崎順次

京都府京都市東山区本町15-809

東福寺塔頭 光明院

昭和14年(1939年)、重森三玲による作庭、「波心の庭(波心庭)」

                        


May 19, 2013 野崎順次 source movie

京都府京都市東山区本町15-809

東福寺塔頭 光明院

1939年、作庭家・重森三玲により、方丈前に「波心の庭(波心庭)」が作られた。また、昭和37年(1962)、重森三玲により「雲嶺庭」が完成した。「虹の苔寺」とも呼ばれる。

京阪鳥羽街道駅からのアプローチ

    

前庭「雲嶺庭」

           

メダカ

    

玄関

     

池泉式の枯山水庭園「波心の庭(波心庭)」昭和10年(1935)

白砂は海を表し、苔に配置された小石は波飛沫を表す。波心とは、禅語の「無雲生嶺上、有月落波心」に由来する。煩悩がなければ、月(仏心)は波に映るの意味という。苔の低い築山と州浜型の白砂の枯池、三組の石組(三尊石組)が配置されている。それぞれの三つの石柱が、釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊を表している。また、三尊石の主石から放射状に、すべての石が並べられている。これは光明が放たれる様を石で表したものという。

                              

参考資料

京都寺社案内HP


Feb.2013 野崎順次

京都府京都市東山区本町15-809

東福寺塔頭光明院

室町時代、1391年、金山明昶(きんざんみんしょう、明祖禅師)の開創による。近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈以後荒廃する。1911年、横幕滴泉(よこまくてきせん)住持入寺以来再興される。20年以上にわたる托鉢が続けられ、現在の本堂が建立された。1939年、作庭家・重森三玲により、方丈前に「波心の庭(波心庭)」が作られた。また、昭和37年(1962)、重森三玲により「雲嶺庭」が完成した。「虹の苔寺」とも呼ばれる。

山門あたり

    

前庭「雲嶺庭」

  

玄関

         

池泉式の枯山水庭園「波心の庭(波心庭)」昭和10年(1935)

白砂は海を表し、苔に配置された小石は波飛沫を表す。波心とは、禅語の「無雲生嶺上、有月落波心」に由来する。煩悩がなければ、月(仏心)は波に映るの意味という。苔の低い築山と州浜型の白砂の枯池、三組の石組(三尊石組)が配置されている。それぞれの三つの石柱が、釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊を表している。また、三尊石の主石から放射状に、すべての石が並べられている。これは光明が放たれる様を石で表したものという。

石庭は、本堂、書院、茶室各室のいずれの方角からも鑑賞できるような石組に凝らされている。さらに、高台の雲上には茶亭・蘿月(らげつ)庵が建つ。

向かって左手、書院から見る

                   

中央の茶室あたりから見る。

              

向かって右手、本堂の方向に移動しながら見る。

                 

再び、書院に戻る。

     

茶室

        

書院の書画など

      

帰途

   

参考資料

京都寺社案内HP

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