京都府京都市東山区 東福寺退耕庵
(Tofukuji Taiko-an, Higashiyamaku, Kyoto City, Kyoto)
Category |
Rating |
Comment |
General |
||
Nature |
||
Water | ||
Flower | ||
Culture | ||
Facility | ||
Food |
京都市東山区本町
宗派:臨済宗東福寺派 本尊:千手観音 1346年に性海霊見が創建 応仁の乱で罹災、衰微する 慶長年間に安国寺恵瓊が1599(慶長4)年再興 現在の書院は旧本堂。石田三成や小早川秋秀と安国寺恵瓊等が関ヶ原の戦いの謀議を行ったといわれる。
鳥羽・伏見の戦いでは長州藩本陣が置かれた 門脇に「戊辰役殉難士菩提所」の碑が立つ 退耕庵は鳥羽・伏見の戦いの戦死者の菩提寺となっている。
小野小町のゆかりの寺とされ「小町寺」とも称される。
客殿(京都府指定文化財)
地蔵堂 - 玉章(たまずさ)地蔵と称される地蔵菩薩坐像のほか、小野小町100歳像などを安置する。
玉章地蔵は京都市東山区の渋谷(しぶたに)越えにあった小町寺から1874(明治7)年に移されたもので、小野小町宛ての恋文を納めると伝える。
現在の書院は旧の本堂といわれ、その一角にある昨夢軒 - 四畳半台目の茶室‐で、豊臣秀吉の死後、石田三成と宇喜多秀家が関ヶ原の戦いの謀議を行った場所とされている。
庭園− - 庭は池泉観賞式庭園、南庭は杉苔が特色の枯山水庭園。両庭とも1972(昭和47)年に修復された。
井戸− 境内には「小野小町百歳井」がある。小町は、井戸に映ったという自らの姿を見て、「おもかげの かわらでとしの つもれかし たとえいのちに かぎりあるとも」と詠んだという。 ただ、歌は後世、江戸時代の作ともいわれている。(ウイキペデイアより引用)
東山区本町15丁目793
東福寺塔頭 退耕庵
(Tofukuji Taiko-an Temple, Higashiyama-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
撮影日: 2012年5月5日
東福寺塔頭。1346年(貞和2)の創建。応仁の乱で衰微したが、慶長年間(1596-1615)に安国寺恵瓊(えけい)が再興(現在ある客殿はこの時の建築である。関ヶ原の役の前年の造営)。
小野小町ゆかりの寺で、恋文をはって作った玉章(たまずさ)地蔵と小町百歳像がある。茶室作夢軒は、忍び天井などがあり、関ヶ原合戦の謀議をしたという(非公開)。明治維新鳥羽伏見の戦いの防長殉難者の菩提所。
参考資料
京都観光Navi
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中