京都府京都市東山区 豊国廟
Toyokunibyo,Higashiyamaku,Kyoto city,Kyoto
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Aug.22, 2014 中山辰夫
京都市東山区今熊野北日吉町
阿弥陀ケ峰山頂の豊臣秀吉の墓所である。ここ阿弥陀ヶ峰中腹に葬られ、頂上には祠廟、山麓には社殿が建立された。
1598(慶長3)年秀吉没年、豊臣滅亡後徳川幕府により破壊された。1615(元和元)年から1898(明治31)年までは手入れもされず放置されたままだった。秀吉300忌(1898・明治31年)に再興された。設計は、建築学界初の文化勲章受勲者伊藤忠太である。
命日の8月18日前後は参拝者が多かったと聞く。
東山七条智積院とその北側にある妙法院の間の、豊国廟参道を上る。
京都女子学園の通学路になっており、普段は、幼稚園から大学までの女子生徒の列で溢れる。「女坂」と称される。
送迎のプリンセス ラインのバス
太閤坦(たいこうだいら)
最初の石段を上った所。境内入口にある鳥居。この広場に豊国神社が建立されていた。 片隅は、バスの一時駐車場になっている。
桜の名所である。
秀吉は1598年伏見城で死去(享年63歳)。遺言により阿弥陀ケ峰の山頂に埋葬された。
墓所として翌年、「大国坦」を中腹に造成し、豊国廟、豊国神社などの社殿を建立した。
最近の調査によると、ここに自生する芝は固定種ともいわれる。
手水舎
明治31年に再建された。水盤は慶長時代当初のものである。
市内遠景
拝殿
沿革
墓所まで485段の石段の始まりである。墓所への313段の参道石段(拝殿〜中門) 63段ごとに踊り場がある。秀吉の没年63歳に合したか?
中門
172段の参道石段(中門〜墓碑)
大五輪塔(豊臣秀吉の墓地)
太閤桐 五七桐 5−7−5
高さ10mの天に迫るとした石塔である。
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