京都市右京区 蓮華寺
(Rengeji Temple, Ukyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
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江戸前期の秀作石仏群 | |
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Flower | 仁和寺駐車場の桜並木を見下ろす。 | |
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April 4, 2020 野崎順次
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京都府京都市右京区御室大内
真言宗御室派別格本山
五智山 蓮華寺
(Rengeji Temple, Ukyo-ku, Kyoto
City, Kyoto Pref.)
天喜5年(1057年)に後冷泉天皇の勅願により、藤原康基が開創した。その後、応仁の乱の兵火に遭い、寺地を鳴滝音戸山の山上に移し、長い荒廃の時代が続いた。伊勢生まれの江戸の豪商出身の常信が寛永18年(1641年)に再興し、仁和寺の覚深法親王から寺号を改めて安堵された。今日も境内にその姿を見ることが出来る五智如来石像(大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来、宝生如来)も、この際に、常信が木食僧坦称に依頼して作成させたものである。昭和3年(1928年)に御室に寺地を移した。昭和33年(1958年)、五智如来石像をはじめとして、離散・損傷していた石仏群を収集・修復して境内にあらためて祀った。
{ウィキペディア「蓮華寺(京都市右京区)」より}
現地説明板
五智山石仏群 江戸時代前期 高270cm 安山岩
仁和寺の東側駐車場の後の方に一段高くして、前後二列に一六体の石仏が並んでいる。もと鳴滝の立旦 山にあったもので、五智山は山号でもあり、地名でもあった。昭和三年に寺は現在地に移り、三三年には石仏群も移座された。主尊の五智如来五体は、切石壇上に花山岡岩製八角形の反花座を設け、その上に三段鱗葺蓮座を据え、仏体は丸彫坐像で、右から薬師、宝生、胎蔵大日、弥陀、釈迦で近世のものとしては優秀である。後列は地蔵、観音、僧形像など刻銘があり、寛永一八年(1641)に生国伊勢、江戸日本橋住の樋口平大夫家次が願主となって造立し、作者は江戸品川、如来寺の但称(但唱とも)上人であることが知られる。移建の際、大日像の下から壺に入った五枚の銅板が発見され、その刻銘によと、願主が西国三十三所、坂東三十三所、秩父三十四所の順礼、諸国六十六部の信仰作善の総決算の意趣をもって造立したものである。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典」1998年より)
主尊の五智如来五体、右から薬師、宝生、胎蔵大日、弥陀、釈迦
後列は地蔵、観音、僧形像など
その他境内
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