京都府京都市左京区 京都大学
(Kyoto University, Sakyoku, Kyoto)
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December 28, 2022 野崎順次 source
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京都府京都市左京区吉田近衛町
京都大学医学部の歴史的建造物
(Historical Buildings in
Medicine Campus of Kyoto University, Sakyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
現地説明板と正門
旧生理学教室研究室(医学部I棟)
大正3年(1914)、煉瓦造平屋、山本治兵衛と永瀬狂三の設計
煉瓦造平屋建て、寄棟屋根に和瓦を葺きます。小さな建物ですが、軒先や腰周り、窓枠に用いた白い切石のアクセント、入口上部の破風飾り、屋根上のドーマ、壁面のアーチ窓等々、煉瓦建物の意匠表現が各所に盛り込まれています。
(近代建築Watchウェブサイトより)
旧解剖学教室標本室(図書館倉庫)
明治34年(1901)、煉瓦造2階建、山本治兵衛の設計
医学部正門をくぐって右手、キャンパスを貫く街路に面して建つ煉瓦造2階建て、屋根は和瓦を葺いた寄棟造り。
イギリス積みの煉瓦壁面に2連の縦長窓を廻らせ、窓の要石や軒と胴のコーニスに白い切石を飾ります。
解剖学教室本館に付属する標本室として建てられたこの建物は、京都大学医学部構内で現存最古のものとなります。
(近代建築Watchウェブサイトより)
記念講堂・歴史資料館の由来
本記念講堂は、山本治兵衛氏の設計による旧解剖学講堂(明治35年築)を、芝蘭会の寄付により、下見板張りの外壁、寄棟和瓦葺きの屋根、半円形断面の屋根窓、矩形の縦長窓など、当初の構造・概観(ママ)をできるだけ復元する形で、平成25年に耐震改修したものです。記念講堂のシャンデリアは、創立当初のものが撤去されていたため、人文科学研究所の図書館に設置されたいたものを移設しました。歴史資料館は、解剖学関係の図譜や模型を収納していた階段教室下の倉庫を回収したものです。
(現地説明板)
向って、右が旧発生学研究室、左が旧組織学研究室
旧解剖学教室発生学研究室(医学部E棟)昭和3年(1928)、RC造2階建、永瀬狂三の設計
旧解剖学教室組織学研究室(医学部E棟)昭和6年(1931)、RC造2階建、大倉三郎の設計
(「京都大学建築八十年のあゆみ –
京都大学歴史的建造物調査報告」昭和51年6月1日より)
December 3, 2022 野崎順次 source movie
京都府京都市左京区吉田牛ノ宮町
京都大学YMCA会館
(Kyoto University YMCA Hall Building, Sakyo-ku, Kyoto City,
Kyoto Pref.)
国登文 京都大学基督教青年会会館(YMCA会館) 大正/1913
煉瓦造2階建,スレート葺,建築面積197㎡ 1棟
京都大学本部構内の西方、東一条通りに南面して建つ。モルタル塗でハーフティンバー風に見せている点に特徴がある。ヴォーリズの初期の作風の一端が窺われるとともに、大学YMCA会館の現存最古例としても貴重である。
(文化遺産オンライン)
建物南面
玄関周りと煉瓦塀
西面と北面
December 3, 2022 野崎順次 source movie
京都府京都市左京区吉田近衛町69
京都大学楽友会館
(Kyoto University Rakuyu Kaikan, Sakyo-ku, Kyoto City, Kyoto
Pref.)
国登録有形文化財
楽友会館(502E)は鉄筋コンクリート造2階建の斬新な意匠をいまだ留めている。設計は,当時建築学科助教授に就任したばかりの森田慶一氏である。スパニッシュ・ミッション様式を基調としながらも,鋭利な玄関ポーチの柱などの意匠が,アムステルダム派的な円みをもつポーチの屋根に和らげられ,程良い緊張感を与えてくれる。分離派建築会という中央の前衛運動が,京都の風土の中に移植されて,結晶化した秀れた作品といえる。農学部正門(405C)とともに,第4期の森田氏の代表的作品であり,日本の近代建築の秀作のひとつとして,建築史的価値は高い。なお,戦後昭和41年に東側に増築がなされている。
(「京都大学建築八十年のあゆみ – 京都大学歴史的建造物調査報告」昭和51年6月1日)
建物正面(南面)
西面と北面
Y字形の柱と円い庇が特徴的な玄関ポーチ
室内、東京高等工芸学校教授(当時)森谷延雄氏による室内装飾は大正建築の特徴をよく伝えている。
エントランスロビー
軽ラウンジ
ラウンジ
その他、
November 6 and 13, 2022 野崎順次 source movie(Nov.6) source movie(Nov.13)
京都大学 本部構内の歴史的建造物
(Historical Buildings in Main Campus of Kyoto
University, Sakyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
京都府京都市左京区吉田本町
建造物の番号は、京都大学本部構内案内図に従った。
① 国登文 本部構内正門(旧第三高等中学校正門) 明治/1893
石造、間口3.3m、片側通用門及び左右袖壁付 1基
京都大学キャンパスの中枢をなす本部の正門。当キャンパス内で最初期の建造物で,第三高等中学校正門として建設。門柱は石面と擬石面を交互に重ね,背面に大きな控えをとる。門柱の左右に石造袖塀を付け,西側に通用口を開ける。設計は山口半六と久留正道。
③ 百周年時計台記念館
京都大学中央構内の南側、正門の真向かいに京都大学のシンボルとなる時計台が聳える。この建物は大正14年に武田五一の設計により建てられた。当初は鉄筋コンクリート2階建地下1階。創立百周年を迎え改修工事が行われた。
④ 法経済学部本館(法学部および経済学部新館)
時計台の方へ突き出た棟は、昭和8年、鉄筋コンクリート3階建て地下1階、大倉三郎の設計。ファサードと回廊がよい。
④ 法経済学部本館(法学部および経済学部新館増築)
昭和13年、鉄筋コンクリート3階建て地下1階、大倉三郎と内藤資忠の設計。
⑦ 文系学部校舎
現代のコンクリート打ち放し
⑪ 環境安全保健機構 産業厚生部門(旧施設部電話拡張交換室)
向かって左半分は大正14年、鉄筋コンクリート2階建て、武田五一と永瀬狂三の設計、その増築部は昭和11年、鉄筋コンクリート2階建て、大倉三郎と内藤資忠の設計。武田のゼツェッシォン的な意匠の影響があり、テラコッタの飾りがなかなか凝っている。単調な右半分は、昭和6年、鉄筋コンクリート2基建て、武田五一と大倉三郎の設計。
⑬ 留学生ラウンジ「きずな」(旧物理学教室輻射学及放射学研究室)
大正5年、煉瓦造平屋、山本治兵衛と永瀬狂三の設計。
⑮ 国際交流セミナーハウス(旧第三高等中学校物理学実験場)
明治22年、煉瓦造平屋、山口半六と久留正道の設計。京大最古の現存建物。この辺りはレンガの建物が集中していて、英国の町に迷い込んだような気がする。
⑯ 教育推進・学生支援部棟(旧石油化学教室本館)
明治31年、煉瓦造平屋、明治42年(1階)と大正3年(2階)増築、いずれも山本治兵衛の設計。その後、大正11年(2階)にも増築、山本治兵衛と永瀬狂三の設計。増築のため、1階と2階の煉瓦の色が違う。
⑯ 教育推進・学生支援部棟(旧地球物理学教室)
旧物理学及数学教室の西の独立棟。大正12年、鉄筋コンクリート3階建て地下1階、永瀬狂三の設計。
⑳ 国登文 尊攘堂 明治/1903
煉瓦造平屋建,瓦葺,建築面積172㎡ 1棟
品川弥次郎が創設した記念堂に由来する。品川の死後、関係資料と建設資金が京大に寄付され、京大構内に新築された。煉瓦造スタッコ塗りで鉄造の玄関ポーチを有し,開口部など平明な意匠で仕上げられており,小堂ながら構内では異色の建築になっている。
㉓ 国登文 文学部陳列館 大正/1914
煉瓦造2階建,瓦葺,建築面積732㎡ 1棟
京都帝大拡張期の代表的建築で,陳列館としての記念碑的性格を有する。ブロークンペディメントや楕円形の窓などネオバロックに傾斜しながらも,細部装飾にはセセッション的意匠が認められ大正期建築の特徴をも示す。京大営繕の山本治兵衛と永瀬狂三の設計。
野外展示
㊲ 総合研究14号館(旧土木工学教室本館)
大正6年、煉瓦造2階建て、山本治兵衛と永瀬狂三の設計。中央玄関を中心にシンメトリーに棟を配置した横長の建物。大正13年に左右両翼増築、煉瓦造2階建て。
㊴ 総合研究15号館(旧建築学教室本館)
京都大学構内で最初の鉄筋コンクリート建物、大正11年、2階建て地下1階、武田五一の設計。東隣には、製図室として使われた別館が並び、昭和12年、鉄筋コンクリート2階建て、大倉三郎の設計。
59 総合研究8号館
現代の打ち放しコンクリート
紅葉した銀杏の巨木に惹かれて小路に入った。
63 総合研究9号館(旧工学部電気工学教室本館)
明治33年に建てられた旧館のファサードが保存されている。
構内の表示板
70 市川記念館
総合研究7号館の南側に隣接して小さな鉄筋コンクリート造の建物が建つ。現在は研究室として使われているこの建物は構内にガスを供給する施設として建てられた。大正14年築、鉄筋コンクリート2階建て、設計は武田五一と永瀬狂三による。
秋やなあ
吉田南構内
国登文 京都大学総合人間学部正門(旧第三高等学校正門) 明治/1897
木造、間口3.3m、左右通用門及び袖壁付 1基
京大構内南部吉田二本松地区に位置する。木造門柱の両脇に,通用門が付く。大門柱の礎石部と木製柱身部が追掛大栓継ぎで結合される点に特徴があり,門扉は上桟をアーチ状とし,全体で和洋が混在したデザインとする。門衛所と共に真水英夫の設計と伝える。
国登文 京都大学総合人間学部門衛所(旧第三高等学校門番所) 明治/1897
木造平屋建、鉄板葺、建築面積19㎡ 1棟
三高吉田学舎が京都帝国大学に譲渡されるに伴い,新三高キャンパスの門衛所として正門と同時に建設。木造,鉄板葺,ドイツ下見の平屋建。東面の受付部を八角屋根状に造り,居室部の切妻屋根と組み合わせる。二本松学舎における明治期建造物の数少ない遺構。
参考資料
文化遺産オンライン
「京都大学建築八十年のあゆみ – 京都大学歴史的建造物調査報告」昭和51年6月1日
November 6 and 12, 2022 野崎順次 source movie(Nov.6) source movie(Nov.12)
京都府京都市左京区
京都大学北部構内の近代建築
(Modern Buildings in North Campus of Kyoto
University, Sakyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
北部構内図
南門から色づいたイチョウ並木を進む。
中世の火葬塚(復元)
平安時代末から鎌倉時代に築造された火葬塚。一辺15mの溝の内側に7.8m四方の溝を掘り、
内部に底面4.8m四方、上面3.0m四方の正四角錐台状の土壇を設ける。
火葬塚は、埋葬地である陵墓や火葬墓とは異なり、火葬所を記念して築いた塚のことで、埋め戻して現地保存をし、その上に復原をおこなった。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和53年度)
イチョウ並木に戻り、さらに北へ。時々振り返る。
⑮ 国登文 農学部演習林事務室
昭和前/1931
木造平屋建,瓦葺,建築面積438㎡ 1棟
大倉三郎の設計。スパニッシュ瓦葺,ベランダをめぐらしたバンガロー風の木造建築で,ベランダ天井の意匠などモダニズムの清新さ溢れる作品に仕上がっている。京大北部構内の独特の農村的景観形成にも大きく寄与している。
(文化遺産オンラインより)
⑫ 基礎物理学研究所(湯川記念館)
① 国登文 農学部表門及び門衛所
大正/1924
鉄筋コンクリート造平屋建,瓦葺,建築面積17㎡ 1棟
分離派建築会に参加した森田慶一の秀作で,通用口の尖頭アーチなど楽友会館と共通するディテールが認められる。ドイツ表現派のモチーフを採りながら,日本瓦を載せた薄い屋根が頂部を明確に水平に区切って節度を与え,全体意匠を品格あるものに仕立てている。
(文化遺産オンラインより)
旧農学部附属農業簿記研究施設
昭和8年構内に隣接して建てられた「旧日本経済史研究所」を昭和29年に京大が購入、41年までに内部の改修と鉄筋三階部分の増築、平成七年に施設は廃止、現在は生物資源経済学専攻別館。
(現地説明板より)
紅葉した木立、「地球惑星科学専攻」の建物、そしてイチョウ並木を通って、南門に戻る。
北部構内から東に離れた住宅地の中に京大東アジア人文情報研究センターがある。
㉖ 国登文 京都大学人文科学研究所附属漢字情報研究センター
昭和前/1930
鉄筋コンクリート2階建、建築面積2436㎡、塔屋付1棟
外務省東方文化学院京都研究所として建設。RC造,外壁スタッコ仕上で、塔付2階建の西棟と平屋建の他棟が中庭を囲みロ字形平面を構成する。スパニッシュ・ミッション様式を基調に外観・内装ともに高密度のデザインが施される。設計は武田五一と東畑謙三。
(文化遺産オンラインより)
「進々堂 京大北門前」
昭和5年創業の老舗喫茶店、京大施設ではないが、京大生・研究者に愛されてきた。
銀閣寺近くの紅葉
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