京都府京都市上京区 山中油店
Yamanaka Oil shop,Kamigyoku,Kyoto city,Kyoto
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June 2012 中山辰夫
京都市下立売智恵光院西入
建物:国登録有形文化財 京都市重要景観建造物
京都市の上京区に位置する西陣はかつての都の中心地で、平安宮や聚楽第があった由緒ある場所。
その西陣に今から200年前の江戸時代後期、「山中油店」は創業した。
創業当初は灯り用の菜種油を販売していたが、今では食用やスキンケア、建築や工芸用の自然塗料
などのあわせて20種類もの油を販売している。
文政年間(1818〜30)に創業した店の建物は昔ながらの町家の面影をそのまま残す。
全長約40mの屋敷構えからは老舗の風格が溢れている。土蔵は辰巳蔵(登録文化財)
店構
外観から見ても、格子、厨子二階、出格子、煙山し、など町家の意匠がすべて備わっている。
油で磨きこまれたベンガラ格子、間口の広い重厚な建物に創業時の面影を残す。
店のトレードマーク
「のれん」に描かれている商標の「やまこうじ」(酵)の文字が残るのは、醤油家から分家した名残り。
先人の智恵
その昔、植物から搾られた油は貴重であり、様々な用途に使われた。荏胡麻(えごま)や油桐(あぶらぎり)
の油は防水性が高いことから、和紙に浸み込ませ番傘や雨合羽、建物の外装として木材に塗って使われた。
保水性の高い椿油は、日本女性の長い黒髪やきめ細かな肌の手入れに最高で、現在も高級品として使われている。
包装紙
この図柄は、大山崎町の離宮八幡宮様蔵の掛軸から戴いたもの。油売りのバックに「宵ごとに 都に出ずる
油売り 更けてのみ見る 山崎の月」という歌が書かれている。昔の油売りは、天秤棒の前後に多量の油が
入った樽を担ぎ、油の売り出しに都へ出かけて行った。油を売る・搾る仕事は大変だった。
竹の樋
竹の雨樋が使われている。京町家としては間口の広い店のため通常なら銅製の樋を使うが、「質素倹約を旨と
すべし」という家訓により、当時、一般的で安価な竹樋を使ってきた。現在は高価で、長い竹も見つからない
が8年に1回の取替えを行うことで、初代からの教えを引き続いでいる。
神仏燈明売捌処
店の東、向かって右側に掲げてある看板。「神仏燈明売捌處 しんぶつとうみょうさばきところ」と書かれてある。
この看板は30年ほど前に複製された。江戸期より菜種油がお燈明用に使われていた。イグサの芯に油を浸み込ませた。
店内に入ると、まずは食用の油が並ぶ。すべての油が試食できる。人気商品の「玉締めしぼり胡麻油」と
「落花生油」は、昔ながらの製法で時間をかけて搾油されているので、風味豊か。
水車と池
この辺りは「出水学区」、地下水が豊富な所。京都には、この地下水が命となっている老舗が多くある。
その水を汲み上げてゆったり回る水車は、道行く人々の心をなごませる。
中庭
かなり広そう。頼めば入れてもらえるようだ。
平安宮一本御書所跡
平安時代、この付近は天皇の住まいである内裏の東側に当り、一本御書所があった。
一本御書所は、世間に流布した書籍を各一本(一部)書き写して保管・管理した所であった。
こうした平安京跡には石碑が建てられ、この界隈を歩けば至るところで出合う。
山中油店は町家の保存・再生・町家暮らし推進の活動にも積極的に取組んでおられる。
そのイベントにも参加され、近々では「べんがら塗り講習会」を開催され、べんがらと柿渋、荏油・亜麻仁油
などを使った自然塗装の説明や塗り体験が行われた。
山中油店系列の再生町家
下京歴史探館
明治の終わり頃に建てられた民家。
平安京以来の歴史・文化有する最も京都らしい町、上京の魅力を発信する。
二階広間に座り、しっとりと落着いた雰囲気の中に身を沈めると至福を感じる。庭も正面の景色もいい。
「カフェ綾綺館(りょうきでん)」
この辺りに平安時代、天皇の住まいである内裏があって皇族の内宴が行われていた「綾綺館」があった。
築後100年の元米屋さんを、元来の造りを変えずに改修した。
山中油店の油を使った「からあげ」が美味かった。広くはないがほっこりする空間が癒してくれる。
山中油店周辺の町並
この近辺にも町家が見られる
近辺の寺院・他
弘誓寺
千本通を越え、六軒町通の辻を過ぎると北側にある。大坂夏の陣で戦死した木村長門守重成公館跡を示す石碑
が立つ。
法輪寺
通称だるま寺。寺の至る所に大小のだるまが祭られ、その数は一万体ともいわれる。
竹林寺
六角獄舎で殺された勤皇の志士の慰霊碑が立つ。池田屋事件などに関わった志士の遺骨がこの寺に改葬された。
紙屋川(天神川)
平安京造営時に開かれた運河で、当時、堀川は「東堀川」、紙屋川は「西堀川」と呼ばれていた。
川井家住宅
紙屋川を越え少し前進する。「川井家」は京都市内最古の町家と称される。
参考資料≪山中家パンフレット、その他≫
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