京都府八幡市 流れ橋(上津屋橋)
Nagarehashi,Yawata,Kyoto
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Oct.6,2016 中山辰夫
上津屋橋
Kozuyahashi
京都府久世郡久御山町大字佐山小字浜台地先 - 八幡市上津屋宮前地先 木津川(淀川水系)
淀川・桂川合流点に向かう木津川は、源を伊賀に発する全長76㎞の大河川。「古事記」「日本書紀」の時代から歴史に登場し、江戸時代には年貢米や地域の特産品を積み下り、また、京都・大坂から肥料や塩・醤油などの必需品を運び上げる、南山城地域の物流の大動脈であった。木津川両岸には多くの浜があり、地域の物流の窓口となった。
木津川は土砂川としても有名で、流入山川の天井川化に伴い年々川床が高くなり、江戸時代を通じて3年に一度の割合で洪水を繰り返した。しかし、その流れは南山城の生産・生活にとって欠かせない交通・流通手段であった。
上津屋橋−流れ橋の両岸には茶園が広がる。
京都府久世郡久御山町と八幡市を結ぶ、一級河川木津川に架けられた木造橋で、1953(昭和28)年に府道久津川停車場上津屋線として架設された。
その後、1959(昭和34)年に府道八幡城南線として認定され、現在に至っている。
歩行者と自転車の専用橋となっており、周辺住民の生活道路の一部として利用されている。
川が増水すると橋桁が流される構造を持つ流れ橋であることから、流れ橋(ながればし)、あるいは木津川流れ橋(きづがわ ながればし)八幡流れ橋(やわた ながればし)などと呼ばれることもある。
位置図
左岸−城陽市側(久御山町側)
上津屋橋−流れ橋の両岸には日本遺産にも登録されている茶園が広がる。
橋の概要
長さ:356.6m 幅:3.3m 建築家:徳田敏夫 形式:流れ橋 素材:木材 一部はコンクリート 建設:1953(昭和28)年
昭和28年の架設以来、度重なる流出を記録しており、近年では平成23〜26年と4年連続で流出した。
このため、有識者による橋の検討委員会を始め、多くの意見を受け入れ、2016(平成28)年復旧がなされた。それが現在の姿である。
復旧による変更点
構造について、橋面のかさ上げ 下部工の一部コンクリート構造化 橋脚間の拡大 等を取入れ、流れにくい構造に工夫された。
流出のしくみ
細部の構造
橋は、増水時の水の抵抗を減らすため、橋板にまで水が達すると橋板だけがフワッと浮き上がり、8つに分かれて流れる。しかし、この橋板はワイヤーロープで橋脚としっかり結ばれているため、水が引けば、このロープをたぐり寄せて橋脚に載せれば、再び通行できるようになる。
橋脚は全73基中、久御山町側の17基がコンクリート製。
浮遊物の付着状況
流入側
流出側
上津屋橋の周囲は堤防の外側であるため、主に茶畑として利用されており、民家や電柱などがない。近代的な橋とは異なる外観を利用して時代劇のロケーション撮影地としても利用される。
右岸−八幡市側
左岸と同様に茶園として利用されている
ライブカメラ設置
やわた流れ橋交流プラザ「四季彩館」
八幡市上津屋里垣内56-1)。
食事・休憩・入浴・宿泊などができる総合施設
石田神社
八幡市上津屋浜垣内77
資料によると、702(大宝2)年当地に鎮座、1188(文治4)年源頼朝により神事料として土地の寄進をうけたとある。
以前は牛頭(ごす)天王社と称され、明治になり石田神社と改称した。祭神:建速須佐之雄命。境内は、堀状の水路が周囲を囲む。又、当神社に伝わる1200点以上の古文書類は、神社及び上津屋地区の歴史を語る貴重な資料である。
本殿は1851(嘉永4)年造営(「伊佐家文書」)。比較的大きな一間社流造。木津川の水害を意識してか一段高い石垣の上に建つ。
善照寺
八幡市上津屋浜垣内
浜台の「浜茶」 流れ橋と両岸上津屋
京都府八幡市、城陽市、久御山町
流れ橋の両岸には茶園が広がる。
木津川の上津屋橋(こうづやばし)は、城陽市・京都府久世郡久御山町と八幡市を結ぶ、木津川に 架けられた木橋である。
この木橋のたもとの肥沃な砂地の河川敷に広がる茶園(上津屋、浜台)は特に「浜茶」と呼ばれる。
「浜茶」とは水辺の砂地で栽培されるお茶の呼称で、山間部で栽培されるお茶は「山茶」と呼ぶ。
19 世紀後期まで抹茶(てん茶)栽培は宇治茶師のみに認められていたが、玉露は規制がなく、木津川河川敷にも覆下茶園が広がった
住民が田畑を守る築堤にあたり、あえて、自然に沃土が運ばれてくる堤の河川側に茶園群を残そうとしたため、堤防は茶園を避け迂回する形状となっている。
映画のロケ地としても有名な「流れ橋」と一体となった河川敷の浜茶の景観は、京都府の景観資産にも登録されている。
城陽市上津屋地域
この地域の河川敷近くの集落内には茶工場建物も点在し、自然(河川)、生産、生活が密接に関連する文化的景観が得られる。
現在「てん茶(抹茶)」の産地として知られる。19世紀以降、覆下栽培が木津川河川敷にも拡大されたが、本地区はその典型である。
河川敷の平坦な砂地を利用し、伝統的な木簀(すのこ)や寒冷紗による覆下茶園で生産されるお茶は、松のような濃い緑を持つ独特な茶となる。
上津屋橋
城陽側と八幡側
八幡地域 上津屋・野尻・岩田
木津川河川敷に寒冷紗を備える覆式茶園と流れ橋が特長ある景観を呈する。
八幡市と城陽市境を流れる木津川沿いに茶園が広がる。木津川河川敷は砂地であり、茶栽培は、抹茶の原料となるてん茶の栽培に適している。
古くから巨椋池の周辺で広がっていたが八幡市でも主にてん茶の栽培がされており、流れ橋の上・下流に広がっている。
久御山町
久御山町佐山の茶業家が経営するてん茶園(抹茶)は、300年を経た古木もあるといわれるほどで古い歴史を誇っている。
芽生えの時期、4月上旬になると、茶園では覆い掛けが始まる。茶の芽の成長にあわせて新芽を柔らかく保つためコモ(編み目の荒いむしろ)を茶の木の上に掛ける。
4月下旬になると、茶葉の光沢を保つため、さらに藁を敷きつめ完全に日光を遮えぎる。すばらしい色つやに成長した葉は八十八夜頃に摘み取られ、宇治地方でも上位といわれる香り豊かなてん茶(抹茶)に仕上げられる。
『日本茶800年の歴史散歩』~京都・山城~は、平成27年4月24日に日本遺産(Japan Heritage)に認定 された。
当初は山城地域8市町村(宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、宇治田原町、木津川市、和束町、南山城村)の構成文化財が「日本遺産」として認定を受けたが、平成28年4月、新たに4町(久御山町、井手町、笠置町、精華町)に存在する構成文化財も追加認定された。
これにより、「お茶の京都」エリアの山城地域12市町村すべてに構成文化財が存在することとなった。
日本遺産は、全国に点在する建造物や遺跡・名勝地、祭りなど、地域に根ざして受け継がれている伝承や風習等を語る「ストーリー」を、文化庁が「日本遺産審査委員会」の審査結果を踏まえて認定している。
平成27年度から新たに制度化され、京都府第1号として、平成27年4月に『日本茶800年の歴史散歩〜京都・山城』が、日本遺産に認定された。
対象市町村は、宇治市、和束町、木津川市、宇治田原町、八幡市、城陽市、京田辺市、南山城村で、この地域が日本の喫茶文化を支え、リードしてきた「日本茶のふるさと」としてのストーリーが認められたもの。
平成27年4月24日認定 日本茶800年の歴史散歩
宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、木津川市、宇治田原町、和束町、南山城村(京都府)
Aug. 2010 撮影:田中康平
京都府八幡市/久世郡久後山町
八幡市と久世郡久後山町を結ぶ木津川にかかる木橋
正式名称は上津屋橋だが通称流れ橋と呼ばれる
橋長(全長)356.5m、幅3.3m、橋の踏み板部分が橋脚に固着されておらず、川が水没すると橋の上板が浮いて流れて抵抗が減って橋が全壊するのを防いでいるという。
上板はワイヤーで結ばれており水が引いた後引き戻される。こうすることで背の低い橋をかけることができると説明されている。
昭和28年に建設以来16回流れており最近では2009年7月にも流れたが20108月現在は戻されて橋として機能している。
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