京都府京都市左京区 禅華院
Zenkein,Sakyoku, Kyoto city,Kyoto
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February 8, 2020 野崎順次 source movie
京都府京都市左京区修学院烏丸町20
解脱山 禅華院
略縁起
当院はもとは天台宗に属していたが現在は臨済宗大徳寺派に属している。
本尊は釈迦如来、脇侍に観音菩薩と地蔵菩薩を配し、この三尊が天台宗の名残とされている。
開山は大徳寺百七十世清巖宗渭禅師。禅師は寛永元年(1624)に禅華院を臨済宗大徳寺派に改宗。本堂は昭和四年の御大典の際、当時の宮内省より下賜されたものである。本堂前の庭園は小堀遠州の作庭と伝わっている。
観音堂には楠木正成公ご信仰の円通菩薩を安置。その右横には拾遺都名所図会(1787年刊行)記載の三面大黒天像が安置され、この像を授かった当院四世・省峯禅師が描かれた夢想大黒天画影が伝わっている。
山門の鐘楼門は省峯禅師の造営によるものであり、第二次世界大戦にて鐘は供出したが昭和三十一年に再鋳された。山門北側には石仏群があり昭和初期に阿弥陀如来像と地蔵菩薩像の二体の大石仏が音羽川にかかる後安堂橋より移された。左横に安置されている釈迦如来像、弥勒菩薩像は昭和五十二年に雲母寺跡より移された。
(現地説明板より)
鐘楼門から境内へ
石仏群(説明は全て河合哲雄「石仏と石塔!」サイトより)
雲母(きらら)坂地蔵(平安時代後期)
もと雲母坂にあったものを昭和52年に禅華院に移した。
弥勒菩薩坐像(平安時代後期 大治元年
1126年)
阿弥陀如来石仏(花崗岩)
禅華院(ぜんげいん)石仏
もと修学院離宮の田圃のなかにあったものを当寺に移した。
阿弥陀如来坐像(鎌倉時代後期、花崗岩、高さ176Cm)
地蔵菩薩坐像(鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 128Cm)
祠の中には大日如来
禅華院(ぜんげいん)石仏群(鎌倉時代後期~室町時代)
阿弥陀如来石仏(花崗岩)
弥勒菩薩坐像(花崗岩、高さ 95Cm)
釈迦如来立像(花崗岩、高さ 120Cm)
さらに
本堂前庭園(伝小堀遠州作の枯山水)
その他
Feb.2,2018 中山辰夫
京都市左京区修学院烏丸町20
宗派:臨済宗大徳寺派 本尊:釈迦如来 創建:不詳 中興:大徳寺第170世・清厳宗謂
修学院離宮の南西に位置する 音羽川にも近い
かつて天台宗であり、比叡山三千坊の一つだったとされる
この地一帯は、比叡山の西側にあり、大津市の坂本(東坂本)に対して西坂本(西の坂本)といわれ、延暦寺の末寺が多数存在していたとされ、比叡山への近道もあった。(雲母坂)
「山門(鐘楼門)」の二層は、鐘楼になっている。京都では数少ない。
江戸時代、1826年、修学院離宮(中御茶屋)の建物を移築し、修復したとされる
本堂・庫裏
「本堂」は、昭和御大典御(1928・昭和3年)の際の建物の一部を移築し、翌1929(昭和4)年に再建された。
書院と庭園
庭は江戸時代初期の小堀遠州(1579-1647)作ともいう。
楓の木が数本あり、その美景が有名
境内には石仏がいくつもある 各所から集められた仏である。主なものを並べる。
雲母(きらら)坂地蔵—阿弥陀如来坐像
以下の2体は修学院離宮の田圃の中にあったとか
阿弥陀如来坐像−鎌倉時代後期
地蔵菩薩坐像−鎌倉時代
雲母寺にあんちされていたもの
雲母坂跡は当寺より数十分の距離にある
参考資料≪ ウイキペデイア 他≫
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