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京都府京都市伏見区 瑞光寺

Zuikoji,Fushimiku, Kyoto city, Kyoto

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Mar.2,2015 中山辰夫

京都市伏見区深草坊町

宗派:日蓮宗 本尊:釈迦如来

まさに藪の中にあって“庵”と言った方が適するようなお寺である。元政庵の名で親しまれてきた。

彦根藩士石井元政が出家してこの地に草庵を結び、学問と詩歌に明け暮れ、この庵は当代一流の文化人が集まるところとなった。

萱葺の大きな屋根の山門、一見田舎家と思わせる総萱葺の本堂、そして静寂−これらに隠遁者元政上人の心情がこもっている。

この辺りは、深草十二陵と呼ばれる後深草天皇をはじめとする天皇・皇族の陵墓地であり、古くは藤原基経の建立した極楽寺の旧跡とも伝えられている。

山門周辺

山門をくぐりと鐘楼〜本堂周辺 本堂は『寂音堂』 江戸時代1661(慶長6)年に建立された。山門・鐘楼も元政時代のものである。

本堂『『寂音堂』

江戸時代1661(慶長6)年に建立された。京都には珍しく草庵を拡大したような総萱葺の建物である。井伊家の援助で建てられた。

庫裏としだれさくら

元政上人の墓

境内はJR奈良線が横切り、本堂・庫裏などと元政墓地が分離された。元政の墓は遺志により盛土の上に小さな竹三本を建てるだけの簡素なもの。

三本の竹の意味は法華経広宣流布のため、衆生救済のため、両親のためであったという。

墓の傍らに、江戸時代前期の常陸国水戸藩主・水戸光圀(1628-1701)の「嗚呼孝子元政之墓」の碑が立つ。近年に建てられた。

身延山(山梨県)には、「元政上人埋髪の塚」がある。

光圀は元政庵にならって水戸に西山荘を建てたとされる。

≪参考≫

彦根藩二代井伊直孝に近習頭として仕えた元政は、19歳のとき、「出家得度せん、父母寿考永く孝養を尽くさん、天台の三大部を誦せん」という三願をたて、1649(慶安2)26歳にして妙顕寺日豊のもとで出家し日政と号した。1655(明歴2)年この地に草庵を建て、母を迎えて孝養を尽くし、厳しく戒律を守って清貧の生活を送った。

詩歌に長じた元政は石川丈山、明の人元贇らと親しく交遊し、詩文集などをつくった。

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