京都府京都市山科区 随心院
Zuishinin, Yamashinaku, Kyoto city
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November 17, 2024 野崎順次
京都府京都市山科区小野御霊町 35
真言宗大本山
随心院
令和6年度『秋季非公開文化財特別展』
期 間:令和6年11月1日(金)~12月1日(日)
時 間:9:00~16:00(閉門16:30)
拝観料:大人1,000円 中高生500円
普段は入れない本堂内陣に入ることができ、間近に仏像を拝むことができます。
重要文化財である秘仏『如意輪観世音菩薩』を御開帳し、快慶作『金剛薩埵坐像』定朝様式の『阿弥陀如来坐像』と共に内陣にて拝観可能。その他の貴重な仏像も拝観できます。
また表書院のだまし絵『四愛図の間』への立ち入りなど普段入れない場所への拝観が可能です。
紅葉と共にお楽しみください。
(本院ウェブサイト)
いつもより文化財をじっくり拝観できるというので来てみた。もちろん撮影禁止である。
境内は国史跡指定。
パンフレット
庫裏を通り、大玄関から薬医門を見る。
表書院から能之間
本堂前の庭園は杉苔で覆われている。
本堂の向こうに池泉回遊式の庭園があり、奥の石組もよさそうであるが、立ち入り禁止である。
奥書院前の庭園には小町堂がある。
ぐるりと回って庫裏に戻った。
Nov.12.2017 中山辰夫
随心院
京都市山科区小野御霊町35
京都市地下鉄東西線の小野駅で下車。
随心院は、平安の歌人、小野小町ゆかりの寺として有名。醍醐寺、勧修寺と並び平安の歴史を伝える門跡の遺構である。
京都市の東南に位置する小野郷は、古来より小野氏の勢力地だった。随心院は、その郷の南に位置し、小野小町の旧跡だったという伝承が残る。
宗派:真言宗善通寺派の大本山 本尊:如意輪観音菩薩像 創建:991(正歴2)年 開基:仁海
案内
境内地図 「髄心院・淡交社より引用」
開基・仁海供養塔とその周辺
仁海は954{天歴8)年に生まれ、1046(永承元)年までの村上〜御冷泉の九朝にわたる92年の長い人生を生き、9回神泉苑で雨乞い祈祷を行い、すべて成功して「雨僧正」とか「入水僧正」と呼ばれた。藤原道長やその家族の病気平癒祈願にも効験があり、寵愛された。
仁海が開いた曼荼羅寺の小野流から随心院流、勧修寺流、安祥寺流、更に醍醐3流、広沢6流の12流がその後も分かれ、現在110流を越える。
小町文塚は本堂の裏手ある。右側に文塚、左側に権現がある。
小町文塚周辺
清瀧権現
塔頭 大乗院
小野梅園
境内には約230本の梅の木がある。山紅梅、白梅、薄紅梅などがあり2月末から咲き始め3月中旬が見頃となる。
もっとも多い薄紅梅の色である薄紅梅色を「はねずいろ」ということから「はねずの梅」とも呼ばれている。
薬医門
総門〜庫裏
宝暦3年(1753年)二条家よりの移築、庫裡は同家の政所御殿であったもの。
表書院に向かう。内部は撮影禁止である。
これから訪れる各部屋の並び
表書院〜能の間〜奥は大玄関
薬医門、玄関、書院はいずれも寛永年間(1624〜31)年の建築で、九条家ゆかりの天真院からの寄進による。
大玄関
表書院
能の間
九条家の寄進により宝暦年間(1753年-1764年)に建造された。1991(平成3年)に改修工事が行われた。霧島ツツジが眺められる。
本堂
桃山期1599(慶長4年)の建築で寝殿造。堂内には本尊並びに諸仏が安置される。
心字池 初夏にはツツジの刈込が美しい
小町堂
奥書院
江戸時代初期の建立。狩野派絵師による襖絵で装飾されている。
参考資料≪淡交社—随心院、京都発見—梅原猛、パンフレット、他≫
京都市山科区小野御霊町35
宗派:真言宗 本尊:如意輪観世音菩薩 開基:仁海僧正
文塚の方へ行く 仁海僧正供養塔〜榧(かや)の木
榧(かや)の木は、深草少将の百夜通いの折り、小町が榧の実を糸で綴って日数を数えていた。後にその実を蒔いて育ったと伝わる。元は99本あったとか。
小町文塚〜清滝権現
当時の貴公子から小野小町に寄せられた千束の文を埋めた所と伝わる。
長屋門付近
總門と長屋門前の塔頭・大乗院
総門は1753(宝暦3)年に二条家より移築された。
梅園
約230本の梅は少し早く5分咲きほど。背後の高塚山を重ねての見晴らしがいい。ユキヤナギも動き出していた。やはり「はねず踊り」のある月末頃が盛りのようだ。
「はねず」とは薄紅の梅のことで、隨心院の紅梅は古くからこの名で親しまれている。
庫裏と玄関
1753(宝暦3)年二条家より移築された。二条家の政所であった。
庫裏の横の庭に目指すサンシュユの木が2本あった。
表書院と能之間
寛永年間(1624〜31)の建築で九条家ゆかりの天真院尼の寄進による。襖絵は撮影禁止である。
小野小町文張地蔵尊と卒塔婆小町坐像が祀られている・
庭園
回廊で結ばれる大小の坪庭は、コケ・皐月・石楠花がシズンに合わせ彩る。
薬医門付近
大玄関
全館の左右に小玄関や使者の間がある。
本堂付近
桃山期の建築で、寝殿造りの堂内には本尊・如意輪観音、他の諸仏が泰安されている。
奥書院
徳川初期の建造。狩野派による舞楽の図、節会饗宴の図、賢聖の障子、虎の図よりなっている。撮影禁止である。
その他
目に留まったものを写しました。
2011.12.4撮影
山科随心院の紅葉を撮影しました。
駐車場脇、仁海僧正の墓の紅葉
大師堂にも紅葉しているモミジがあります。
長屋門から勅使門
拝観時間になったので、入口から入ります。
庫裏、玄関内部
障壁画は撮影できませんので、杉戸の絵を撮影しました。
本堂前の庭園の紅葉と山茶花
勅使門裏側、鐘楼付近の紅葉
総門から中を見ると色づいている木もありました。
紅葉は本堂付近と大師堂、総門近くと鐘楼付近です。
紅葉だよりにも出ていますが、数は少ないです。
朝に行っても本堂付近は逆光になるので、撮影するなら午後遅くがいいかもしれません。
April,2011 撮影:大野木康夫 source movie
所在地 京都府京都市山科区小野御霊町35
随心院は、山科区小野にあり、以前は真言宗小野派の本山でしたが、現在では善通寺派の大本山です。
平安中期、仁海僧正が建立した曼荼羅寺の塔頭でしたが、寛喜元(1229)年に門跡寺院となり、大いに栄えました。
その後、応仁の乱で焼失し、慶長4(1599)年に再興されました。
小野は岩倉と並び、古くから小野氏の根拠地とされており、随心院も小野小町の屋敷跡で、深草少将が通ったところといわれています。
3月27日、随心院ではねず踊りが行われるので、撮影に行きました。
境内では、遅咲きの梅の花が咲き誇っていました。
少し早く着いたので、まず拝観をしました。
庫裏の前には小野小町の歌碑があります。
庫裏から入り、大玄関から表書院に向かいます。
庭にはいろいろな花が咲いていました。
表書院からは庭園が眺められます。
本堂は慶長年間の建築です。
庭園その他
伽藍の西側には梅園が広がっています。
境内は名勝に指定されています。
梅園の北側には小野小町の化粧井戸と呼ばれる古い井戸があります。
はねず踊りの「はねず」は、「唐棣」と書けば「庭梅」のこと、「朱華」と書けば黄味のある朱色のことで、小野梅園の紅梅にちなんだ名前です。
もともとは、地元の子供が歌い踊っていたものですが、大正年間に一度途絶え、昭和48(1973)年に地元の人の努力で復活し、毎年3月の最終日曜日に随心院の薬医門前で踊られるようになりました。
開演前から多くの人が詰め掛けていました。
公演の司会は、ミス小野小町が務めます。
舞台中央に花笠が据えられます。
踊りを披露する地元の小学生のインタビューがありました。
わらべうたに合わせて、10人の小学生が踊ります。
はねず踊りの次は、今様の舞が披露されました。
踊るのは白拍子姿の中学生2人です。
次は、下京区市比賣神社のいちひめ雅楽会の舞楽が披露されました。
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