京都府舞鶴市 舞鶴旧鎮守府
Maizuru naval district, Maizuru City, Kyoto
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舞鶴市大字与保呂小字桂1751 舞鶴旧鎮守府水道施設 桂取水堰堤 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治33(1900) 重力式コンクリート造堰堤、堤長50m、堤高12m、取水隧道及び上流側左岸石垣附属、導水及び拝砂設備を含む 20031225
舞鶴市大字与保呂小字桂1751 舞鶴旧鎮守府水道施設 桂量水堰堤 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治33(1900) 重力式コンクリート造堰堤、堤長31m、堤高3m、下流側左岸石垣附属 20031225
舞鶴市大字与保呂小字桂1751 舞鶴旧鎮守府水道施設 与保呂川支流砂防堰堤 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治33(1900)頃 重力式石造堰堤、堤長22.5m、堤高8.4m 20031225
舞鶴市大字与保呂小字岸谷1747 舞鶴旧鎮守府水道施設 旧岸谷川上流本流取水堰堤 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治38(1905) 重力式コンクリート造堰堤、堤長28m、堤高10m 20031225
舞鶴市大字与保呂小字岸谷1747 舞鶴旧鎮守府水道施設 旧岸谷川上流支流取水堰堤 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治38(1905) 重力式コンクリート造堰堤、堤長7.3m、堤高3.8m、放水路附属 20031225
舞鶴市大字与保呂小字岸谷1747 舞鶴旧鎮守府水道施設 岸谷川下流取水堰堤 重文 近代/産業・交通・土木 大正 大正10(1921) 土堰堤、堤長148m、堤高30m、取水隧道、取水塔、放水塔及び堤体脇法面附属 20031225
舞鶴市大字与保呂小字岸谷1747 舞鶴旧鎮守府水道施設 岸谷川上流支流砂防堰堤 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治38(1905) 重力式石造堰堤、堤長14m、堤高6m 20031225
舞鶴市大字与保呂小字岸谷1747 舞鶴旧鎮守府水道施設 旧接合井 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治38(1905) 煉瓦造、面積10.7㎡ 20031225
舞鶴市大字北吸小字大杉509 舞鶴旧鎮守府水道施設 旧第一配水池 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治34(1901) 煉瓦造、面積551㎡、木造上屋付、送水及び排砂設備を含む 20031225
舞鶴市大字北吸小字大杉509 舞鶴旧鎮守府水道施設 旧第二配水池 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治34(1901) 煉瓦造、面積551㎡、木造上屋付、鉄板葺、送水及び排砂設備を含む 20031225
舞鶴市字浜2011舞鶴赤レンガ博物館 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 舞鶴海軍兵器廠魚型水雷庫 重文 近代/その他 明治 明治36(1903) 鉄骨煉瓦造、建築面積424.36㎡、二階建、鉄板葺(内装を除く) 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 第三水雷庫1棟(国道沿い) 20080609
舞鶴市字北吸1039舞鶴市政記念館 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 舞鶴海軍兵器廠予備鑑兵器庫 重文 近代/その他 明治 明治35(1902) 煉瓦造、建築面積756.05㎡、二階建、鉄板葺(内装を除く) 20080609
舞鶴市字北吸1039まいづる智恵蔵 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫 重文 近代/その他 明治 明治35(1902) 煉瓦造、建築面積756.05㎡、二階建、桟瓦葺(内装を除く) 20080609
舞鶴市字北吸1039 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫 重文 近代/その他 明治 明治35(1902) 煉瓦造、建築面積756.05㎡、二階建、スレート葺 20080609
舞鶴市字北吸無番地 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 舞鶴海軍需品庫需品庫 重文 近代/その他 明治 明治35(1902) 三棟よりなる 各煉瓦造、建築面積550.48㎡、二階建、桟瓦葺 20080609
舞鶴市字北吸無番地 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 舞鶴海軍需品庫需品庫 重文 近代/その他 明治 明治35(1902) 三棟よりなる 各煉瓦造、建築面積550.48㎡、二階建、桟瓦葺 20080609
舞鶴市字北吸無番地 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 舞鶴海軍需品庫需品庫 重文 近代/その他 明治 明治35(1902) 三棟よりなる 各煉瓦造、建築面積550.48㎡、二階建、桟瓦葺 20080609
August 27, 2023 野崎順次
source movie
京都府舞鶴市
海軍ゆかりの港めぐり遊覧船
赤れんが博物館の前から出発する。
すぐ近くの自衛艦(番号不詳)や赤れんがパークを見ながら沖へ
海上自衛隊北吸桟橋
118 護衛艦ふゆづき 5,100t
さらに沖へ
日本板硝子舞鶴事業所
舞鶴クレインブリッジから鳥島、蛇島
海上自衛隊舞鶴航空基地
ジャパンマリンユナイテッドの桟橋
425 補給艦ましゅう 13,500t
177 イージスシステム搭載護衛艦あたご 7,750t
対岸の海上自衛隊北吸桟橋には、さっき見た護衛艦ふゆづき、後の山の中腹には北吸浄化場
鎮守府の石積み護岸からジャパンマリンユナイテッド桟橋
4301 多用途支援艦ひうち 980t
606 掃海艦はつしま
570t
177 イージスシステム搭載護衛艦あたご 7,750t
戻る
August 27, 2023 野崎順次 source movie
京都府舞鶴市北吸
旧北吸浄水場施設
施設の説明は文化遺産オンラインからの引用である。また、両配水池の内部は通常非公開である。
舞鶴旧鎮守府水道施設は,市内を貫流する与保呂川にある桂貯水池施設,その支流の岸谷川に築かれた貯水池施設,及び舞鶴旧軍港を望む高台にある旧北吸浄水場施設から構成される上水道施設である。
海軍の艦艇補給用水の確保を主な目的として,建設が進められた。明治34年に桂貯水池施設及び北吸浄水場施設が竣工し,明治38年に岸谷川上流貯水池施設,大正10年に岸谷川下流貯水池施設が築かれた。
軍部の建設による最古の本格的水道施設であるばかりでなく,わが国最初期の重力式コンクリート造堰堤をはじめ,技術の時代的特色がよく表れた多様な堰堤遺構群がまとまって残る水道施設として,水道技術史上,高い価値がある。
国重文 旧第二配水池 明治/1901
煉瓦造、面積551平方メートル、木造上屋付、鉄板葺、送水及び排砂設備を含む
国重文 旧第一配水池 明治/1901
煉瓦造、面積551平方メートル、木造上屋付、鉄板葺、送水及び排砂設備を含む
付属施設 袖壁付門柱と石垣
港の眺望
August 27, 2023 野崎順次 source movie
京都府舞鶴市 北吸トンネル
Kitasui Tunnel, Maizuru City, Kyoto
京都府舞鶴市北吸
国登文 北吸隧道 明治/1904
煉瓦造、延長110m、幅員3.8m
官設舞鶴線と同時期に築かれた旧軍港引込線の煉瓦造隧道。五枚厚の馬蹄形坑口を有し,笠石・帯石・ピラスターを備えた坑門を延長110mの両端に構える。舞鶴の工業化を支えた旧軍港引込線の代表的遺構で,現在自転車道として市民に広く親しまれている。
(文化遺産オンライン)
舞鶴線に接続した軍港引込線は昭和60年(1985)3月に廃止され、その後、整備された。市役所前から歩き始める。
北吸トンネル西坑口
内部
北吸トンネル東坑口
整備された自転車道はトンネルを出てから三笠通りまで約300m続く。
August 19 and 27, 2023 野崎順次 source movie
海上自衛隊舞鶴造修補給所
明治・大正期の赤レンガ倉庫
(Old Brick Warehouses in JMSDF Maizuru
Repair and Supply Facility, Maizuru City, Kyoto Pref.)
京都府舞鶴市北吸
文化財未指定未公開、海上自衛隊現役の倉庫である。
国道27号線沿いに西から東に3棟並ぶ。
大正10年(1921)竣工・旧舞鶴海軍軍需部第三被服庫(海上自衛隊舞鶴補給所No.4倉庫)
明治34年(1901)竣工・旧舞鶴海軍経理部衣糧科被服庫 (海上自衛隊舞鶴補給所No.3倉庫)
明治34年(1901)竣工・旧舞鶴海軍経理部衣糧科被服庫 (海上自衛隊舞鶴補給所No.2倉庫)
少し東に離れて、重文指定非公開赤レンガ倉庫3棟の南に
大正8年(1919)竣工・旧舞鶴海軍軍需部第一需品庫(海上自衛隊舞鶴補給所No.17倉庫)
August 19, 2023 野崎順次
source movie
京都府舞鶴市北吸
舞鶴赤れんがパーク
パンフレットと現地説明表示板
アプローチ、東舞鶴駅からバスで市役所前に
国重文 赤れんが1号棟 舞鶴市立赤れんが博物館
世界唯一のれんがをテーマとした博物館。赤れんが博物館の建物は、明治36年に建築された魚形水雷庫を利用しています。現存する鉄骨れんが造りの建物としては最古級のもので、国の重要文化財に指定されています。館内では世界の古代文明(メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明等)のれんがや、ホフマン窯を再現したコーナーなどがあります。
館内にあるれんがづくりのトンネルは不思議な感覚
舞鶴港の地形が分かるジオラマも展示
(海の京都DMO舞鶴観光協会ウェブサイト)
パンフレットと建物外観
内部と展示1階
1-世界のれんが
2-ホフマン窯コーナー
内部と展示2階
3-日本のれんがのあゆみ
4-舞鶴市とれんが
5-耐火れんがコーナー
6-歴史を証言するれんが
赤れんが博物館前広場
赤れんが博物館駐車場からエントランスへのアーチをくぐった博物館前は大きな広場になっています。広場の先には舞鶴港の海が見え、自衛隊艦艇が停泊しているスポットでもあります。また人気の遊覧船のりばもこちらにあります。
(海の京都DMO舞鶴観光協会ウェブサイト)
芝生広場
テーブルと椅子を備えた芝生広場があり、左から右へ赤れんが2号館、3号館、4号館が並び、その奥に5号館が見える。また、キッチンカーや本日開店したサカナテラスがある。
国重文 赤れんが2号棟 舞鶴市政記念館
明治35年(1902)に旧海軍兵器廠の倉庫として建設されたれんが造の倉庫で、終戦までは砲銃庫として、戦後は市役所の第二庁舎として使われました。現在は、総合観光受付、展示室、カフェ「cafe
jazz」などがあります。
縄文から現代に至る舞鶴のあゆみを展示
「海軍カレー」や舞鶴発祥「肉じゃが」の丼が人気
(海の京都DMO舞鶴観光協会ウェブサイト)
国重文 赤れんが3号棟 まいづる智恵蔵
同じく明治35年(1902)に旧海軍兵器廠の倉庫として建設された倉庫です。終戦までは弾丸庫並小銃庫として、戦後は民間倉庫会社の倉庫として使われました。現在では、舞鶴や海の京都エリアの土産物が並ぶ赤れんがSHOPのほか、コワーキングスペースを備えた施設となっています。
海軍ゆかりの地ならではのオリジナルグッズも!
Wi-FiやAC電源を備えたコワーキングスペース
(海の京都DMO舞鶴観光協会ウェブサイト)
国重文 赤れんが4号棟 赤れんが工房
こちらも同じく明治35年(1902)に旧海軍兵器廠の倉庫として建設された倉庫です。終戦までは砲銃庫として、戦後は民間倉庫会社の倉庫として使われました。扉や窓、瓦屋根などに当初の形式を再現しています。現在では、創作活動や音楽練習のほか、結婚式や披露宴会場としても利用されています。
防音設備のあるスタジオを完備
創作工房など市民のものづくりの拠点となっています
(海の京都DMO舞鶴観光協会ウェブサイト)
国重文(附) 赤れんが5号棟 赤れんがイベントホール
大正7年(1918)に旧海軍軍需部の倉庫として建設された倉庫です。終戦までは水雷庫として、戦後は民間倉庫会社の倉庫として使われました。赤れんが倉庫群の中で最も規模が大きく、明治期の倉庫と比べても堅牢な造りとなっています。現在は、5号棟カフェとして、お食事や喫茶を楽しんでいただけるコーナーのほか、展示や音楽イベント、マルシェ等の会場として利用されています。
舞鶴海自カレー「ふゆづき」のレシピが一番人気!
夏や冬には、冷暖房が効いたコーナーで一休み
(海の京都DMO舞鶴観光協会ウェブサイト)
5号棟沿いにバス停に急ぐ海上自衛隊員
西の奥に非公開の国重文指定赤レンガ倉庫が3棟続いている。赤れんがロードを通って⑥⑦⑧と撮影し、折り返して撮影を続けながら戻った。
赤れんが6号棟 文部科学省所管倉庫 明治35年(1902)竣工・旧舞鶴海軍需品庫(旧・電機庫)
赤れんが7号棟 文部科学省所管倉庫 明治35年(1902)竣工・旧舞鶴海軍需品庫(旧第一水雷庫)
赤れんが8号棟 文部科学省所管倉庫 明治35年(1902)竣工・旧舞鶴海軍需品庫(旧第二水雷庫)
July 6 2018 田中康平
兵庫県 舞鶴市 舞鶴旧鎮守府倉庫施設
Former storehouse facilities for Maizuru Chinjufu ,Maizuru city,Kyoto pref.
京都府舞鶴市北吸1039
戦前の旧帝国海軍の補給用倉庫 明治期に建造され保存状態がよく多くが国の重要文化財に指定されている。その独特の雰囲気から映画撮影にも利用されているという。
入江が深く日本海の軍事拠点として旧帝国海軍の第4海軍区の司令部が設置されたが、日露戦争には整備が十分には間に合わずその後のワシントン軍縮協定では縮小となった。第2次大戦直前に再び拡充整備されたが6年後には終戦を迎えた。
軍事的には十分な役目が果たせなかったように見受けられる。戦後は引き上げ港の一つとして用いられた。(wikipedia等による)。現在は海上自衛隊の基地が設置されている。
舞鶴東港の風景
停泊している181はDDH-181 ヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」(いわゆるヘリ空母)
舞鶴赤レンガパーク見取り図
舞鶴海軍需品庫需品庫(三棟)明治35年(1902年)竣工 国重要文化財
舞鶴海軍軍需部第三水雷庫(大正八年竣工) 国重要文化財
舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫 明治三五年八月竣工 現 舞鶴市政記念館 国重要文化財
舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫 明治三五年八月竣工 現 まいづる智恵蔵 国重要文化財
舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫 明治三五年八月竣工 国重要文化財
舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫 明治三六年七月竣工 現 赤煉瓦博物館 国重要文化財
東舞鶴港の風景
停泊している2隻は掃海艇すがしま(681)、のとじま(682)、その後ろの824はミサイル艇はやぶさ
西舞鶴港の風景
海上保安庁のヘリコプター1機搭載型巡視船だいせん
及びコスタクルーズのクルーズ船
A camera
B camera
舞鶴港遊覧
December 15,2013 大野木康夫 source movie
舞鶴旧鎮守府水道施設
舞鶴旧鎮守府水道施設は,市内を貫流する与保呂川にある桂貯水池施設,その支流の岸谷川に築かれた貯水池施設,及び舞鶴旧軍港を望む高台にある旧北吸浄水場施設から構成される上水道施設である。
海軍の艦艇補給用水の確保を主な目的として,建設が進められた。
明治34年に桂貯水池施設及び北吸浄水場施設が竣工し,明治38年に岸谷川上流貯水池施設,大正10年に岸谷川下流貯水池施設が築かれた。
軍部の建設による最古の本格的水道施設であるばかりでなく,わが国最初期の重力式コンクリート造堰堤をはじめ,技術の時代的特色がよく表れた多様な堰堤遺構群がまとまって残る水道施設として,水道技術史上,高い価値がある。
配水施設,砂防施設,石垣・境界杭等の附属施設も,近代水道システムの構成を知る上で重要であり,土地と併せて保存を図る。
(国指定文化財等データベースより)
蛇切岩
桂取水堰堤
明治33(1900)年の築造
重力式コンクリート造堰堤、堤長50m、堤高12m、取水隧道及び上流側左岸石垣附属、導水及び拝砂設備を含む
桂量水堰堤、岸谷川下流取水堰堤と並び現役の水道施設です。
与保呂浄水場の東、蛇切岩のすぐ上流に位置しています。
桂量水堰堤
明治33(1900)年の築造
重力式コンクリート造堰堤、堤長31m、堤高3m、下流側左岸石垣附属
桂取水堰堤のすぐ上流です。
与保呂川支流砂防堰堤
明治33(1900)年頃の築造
重力式石造堰堤、堤長22.5m、堤高8.4m
桂量水堰堤から少し下流の左岸側に位置します。
泥に覆われたり、少し崩れていたりして、わかりにくかったです。
桂取水堰堤のダム湖
岸谷川下流取水堰堤
大正10(1921)年の築造
土堰堤、堤長148m、堤高30m、取水隧道、取水塔、放水塔及び堤体脇法面附属
現在も与保呂浄水場の主力水源となっています。
旧接合井
明治38(1905)年の築造
煉瓦造、面積10.7平方メートル
岸谷川上流取水堰堤から岸谷川沿いの管理道をのぼり、送電線の下あたりの路傍に位置しています。
岸谷川上流支流取水堰堤
明治38(1905)年の築造
重力式コンクリート造堰堤、堤長7.3m、堤高3.8m、放水路附属
旧接合井から少し上流に支流の合流点があり、そこから支流をさかのぼり、砂防ダムを一つ越えたところに位置しています。
岸谷川上流本流取水堰堤
明治38(1905)年の築造
重力式コンクリート造堰堤、堤長28m、堤高10m
さらに岸谷川沿いに管理道をのぼると、管理道が土砂崩れでふさがっているところがあり、そこがこの堰堤の位置です。
冬季なので堰堤本体が見えています。
岸谷川上流支流砂防堰堤
明治38(1905)年の築造
重力式石造堰堤、堤長14m、堤高6m
岸谷川上流本流取水堰堤のダム湖跡の左岸に位置しています。
岸谷川上流本流取水堰堤を左岸側から撮影しました。
ふと見ると、明治三十○年の銘盤が見えました。
旧舞鶴旧鎮守府水道施設
Water supply installations of former Maizuru Chinjufu (naval station), Maizuru city, Kyoto
2012.11.23撮影
舞鶴旧鎮守府水道施設は,市内を貫流する与保呂川にある桂貯水池施設,その支流の岸谷川に築かれた貯水池施設,及び舞鶴旧軍港を望む高台にある旧北吸浄水場施設から構成される上水道施設である。
海軍の艦艇補給用水の確保を主な目的として建設が進められた。明治34年に桂貯水池施設及び北吸浄水場施設が竣工し,明治38年に岸谷川上流貯水池施設,大正10年に岸谷川下流貯水池施設が築かれた。
軍部の建設による最古の本格的水道施設であるばかりでなく,わが国最初期の重力式コンクリート造堰堤をはじめ,技術の時代的特色がよく表れた多様な堰堤遺構群がまとまって残る水道施設として,水道技術史上,高い価値がある。
配水施設,砂防施設,石垣・境界杭等の附属施設も,近代水道システムの構成を知る上で重要であり,土地と併せて保存を図る。
(国指定文化財等データベースより)
岸谷川下流取水堰堤(重要文化財)
大正10(1921)年の築造
土堰堤、堤長148m、堤高30m、取水隧道、取水塔、放水塔及び堤体脇法面附属
舞鶴市の与保呂浄水場の背後の貯水ダムです。
岸谷川の本流脇の道を上りますが、倒竹木や崩落などでところどころ道がさえぎられています。
何か古そうな堰堤がありましたが、指定外のものでした。
岸谷川上流本流取水堰堤(重要文化財)
明治38(1905)年の築造
重力式コンクリート造堰堤、堤長28m、堤高10m
道はここで崩落のため行き止まりになっています。
形状から見て間違いないと思うのですが、躯体が雑草に覆われ、よく見えません。
岸谷川支流の方は崩落がひどくで近づけませんでした。
与保呂川のほうにも行きたかったのですが、降雨と疲労のため、断念しました。
Nov.2010 撮影:大野木康夫
倉庫施設
Warehouses
所在地 京都府舞鶴市字浜2011、同字北吸1039、同字北吸無番地
舞鶴には、細川藤孝が築城した田辺城の城下町である西舞鶴と、明治34(1901)年に設置された舞鶴鎮守府を中心に新たに発展した東舞鶴の二つの市街地があり、昭和13(1938)年には西舞鶴を中心とした地域は舞鶴市、東舞鶴を中心とした地域は東舞鶴市と、別々に市政が施行されました。
しかし、昭和18(1943)年、海軍の要請により両市は合併し、市役所は旧東舞鶴市にある鎮守府の近くに置かれました。
敗戦により鎮守府は廃止されますが、舞鶴港は戦後に設置された第八管区海上保安本部、海上自衛隊舞鶴地方総監部の所在地として、護衛艦や巡視船が停泊する港となりました。
また、鎮守府の遺構として、倉庫施設や水道施設が残っており、共に重要文化財に指定されています。
近年では、赤煉瓦の倉庫施設群を使って、まちおこしの取組が始まっています。
舞鶴港の風景
舞鶴港は、リアス式海岸である舞鶴湾の最奥部にある天然の良港として、特定港、重要港湾に指定されています。
市役所の西側にある海上自衛隊舞鶴地方総監部においては、休日には護衛艦の一般見学が行われ、多くの見学者で賑わっています。
旧鎮守府倉庫施設
舞鶴鎮守府は明治34年に開庁され、魚形水雷庫、予備艦兵器庫、弾丸庫並小銃庫、雑器庫並預兵器庫の4棟は、舞鶴海軍兵器廠の武器倉庫として、需品庫3棟は、舞鶴海軍需品庫の需品倉庫として、開庁後明治36年までに建設された。
舞鶴旧鎮守府倉庫施設は、海軍舞鶴鎮守府開庁時に整備された倉庫施設であり、海軍鎮守府の施設構成を理解するうえで重要で、設計図書等が完存していることも貴重である。また舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫は、現存最古級の鉄骨造建築であり、建築技術史上の高い価値がある。
(国指定文化財等データベースより)
舞鶴海軍兵器廠魚型水雷庫(重要文化財)
明治36(1903)年の建築
鉄骨煉瓦造、建築面積424.36㎡、二階建、鉄板葺
市役所の北側に隣接しており、舞鶴市立赤れんが博物館として整備、公開されています。
市役所の西側に赤煉瓦の倉庫が4棟集まって建っています。
舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(重要文化財)
明治35(1902)年の建築
煉瓦造、建築面積756.05㎡、二階建、鉄板葺
予備艦兵器庫(3棟並んだ東側の倉庫)は、戦後、市役所の倉庫として利用されていましたが、現在は舞鶴市政記念館として整備され、展示等に利用されています。
舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫(重要文化財)
明治35(1902)年の建築
煉瓦造、建築面積756.05㎡、二階建、桟瓦葺
弾丸庫並小銃庫(3棟並んだ中央の倉庫)は、舞鶴倉庫株式会社北吸第5号倉庫として利用されていましたが、近年舞鶴市が買い取り、「まいづる智恵蔵」と名付けられ、ギャラリーや展示コーナーとして再利用されています。
舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫(重要文化財)
明治35(1902)年の建築
煉瓦造、建築面積756.05㎡、二階建、石綿スレート葺
雑器庫並預兵器庫(3棟並んだ西側の倉庫)は、舞鶴倉庫株式会社北吸第6号倉庫として利用されていましたが、現在は舞鶴市が買い取り、整備工事中です。
舞鶴海軍軍需部第三水雷庫(重要文化財)
大正7(1919)年の建築
煉瓦造、建築面積1,266.25㎡、二階建、桟瓦葺
魚型水雷庫の附指定
第三水雷庫(南側、国道27号線沿いの倉庫)は、舞鶴倉庫株式会社北吸第7号倉庫として利用されていましたが、現在は舞鶴市が買い取り、整備工事中です。
国道沿いの壁面には、白いペンキで「舞鶴倉庫」と大書されています。
市役所から地下道をくぐって南に出ると、旧国鉄舞鶴線の廃線跡に整備された自転車及び歩行者専用道路が南東に向かって伸びています。
しばらく進むと、煉瓦造りのトンネルが見えてきます。
北吸隧道(国登録有形文化財)
明治37(1904)年竣工
煉瓦造、延長110m、幅員3.8m
官設舞鶴線と同時期に築かれた旧軍港引込線の煉瓦造隧道。五枚厚の馬蹄形坑口を有し,笠石・帯石・ピラスターを備えた坑門を延長110mの両端に構える。舞鶴の工業化を支えた旧軍港引込線の代表的遺構で,現在自転車道として市民に広く親しまれている。
(国指定文化財等データベース)
国道に戻り、第三水雷庫の西へ進むと、4棟の赤煉瓦倉庫が並んでいます。
舞鶴海軍需品庫需品庫3棟(重要文化財)
旧電機庫、旧第一水雷庫、旧第二水雷庫
明治35(1902)年の建築
各煉瓦造、建築面積550.48㎡、二階建、桟瓦葺
敷地の奥に3棟が直列に並んでいます。現在は、近畿財務局の倉庫となっています。
舞鶴海軍軍需部第一需品庫
大正8(1920)年の建築
現在は、海上自衛隊舞鶴補給所№17倉庫となっています。
さらに西に進むと、国道沿いに3棟の赤煉瓦倉庫が並んでいます。
舞鶴海軍経理部衣料科被服庫2棟
明治34(1901)年の建築
現在は海上自衛隊舞鶴補給所№2及び№3倉庫となっています。
舞鶴海軍軍需部第三被服庫
大正10(1922)年の建築
現在は海上自衛隊舞鶴補給所№4倉庫となっています。
この3棟は、夜間にはライトアップされます。
さらに西に進み、自衛隊桟橋を越えてから、国道を南に渡り、高台に上ると、旧北吸浄水場があります。
舞鶴旧鎮守府水道施設旧第一配水池及び第二配水池(重要文化財)
明治34(1901)年の建築
各煉瓦造、面積551㎡、木造上屋付、鉄板葺、送水及び排砂設備を含む
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