京都府長岡京市 市街
Downtown,,Nagaokakyo City, Kyoto
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Feb.28,2017 中山辰夫
長岡京市内散策
京都府長岡京市
長岡京市は、京都・大阪を結ぶ軸の中心に位置し、北は向日市と京都市、東は京都市、南は大山崎町、西は大阪府と接している。
この地域の開発は早く、4世紀後半より首長の墳墓である前方後円墳がつくられ、今も古墳が多く残っている。
桓武天皇が784(延暦3)年長岡市から向日市大山崎にまたがる一帯の地に造営した都が長岡京
造長岡宮使藤原種継の暗殺、廃太子早良親王の非業の死などにより、都は794(延暦13)年平安京に移った。長岡京は約10年間の都だった。
長岡京は清少納言の枕草子にも登場し、「むかし 心つきて 色好みなる をとこ 長岡といふ所に家つくりて居りけり」(伊勢物語58巻)の主人公・『在原業平』が晩年を過ごした地でもある。さらに、『菅原道真』が大宰府への左遷される時に、名残惜しんだ地とも言われている。
都が平安京に遷されると、貴族や寺社の荘園がおかれ、乙訓地域を縦断する山陽道(現西国街道)には、多くの人が往来していた。
中世に入って細川家の領地となり、「細川ガラシャ夫人」が現在、町おこしに関わる。
1972(昭和47)年市制と共に長岡京市に改称された。
真言宗の乙訓寺、長岡天神で知られる長岡天満宮、浄土宗西山光明寺派総本山の光明寺がある。『乙訓たけのこ』が有名である。
市内案内
旧石田家住宅—国登録文化財、「神足ふれあい町家」
長岡京市神足二丁目13−10
市内を縦貫する旧西国街道に東面して建つ。切妻造,桟瓦葺,つし2階の町家で,北東南3面に桟瓦葺の庇を廻す。内部は南に通り庭を,北に2列6室を配する。神足村旧家の商家を石田家先代が購入したもので,茶の小売業を営みつつ旧街道の佇まいを今に伝える。
神足石仏群
長岡京市神足三丁目
右手(東)には六地蔵、左手(西)には五王像が並ぶ。江戸末期の作、死後の恐怖から逃れたいと庶民信仰から造られたとされる。
中野家住宅—国登録文化財
長岡京市調子一丁目
旧西国街道に北面して建つ。建築面積194㎡、木造つし2階、切妻造桟瓦葺で、西側に寄棟造の下屋を付ける。正面中央を土間の出入口とし、東側のゲンカン、コウシノマに出格子をたて、上屋は漆喰を塗り込め、虫籠窓を穿つ。旧街道沿いに残る大型民家。市に寄贈されたが一般公開していない
中山修一記念館
長岡京市久貝三丁目3−3
「幻の都」といわれてきた”長岡”の実在を証明した故・中山修一氏の軌跡と長岡京発掘研究の成果が展示されている記念館。
この記念館は、中山氏の生家で、 遺族より寄付されたものを整備し、2002年(平成14年)9月1日に開館した。
河合家住宅—国登録文化財
長岡京市粟生野梶ケ前19
丹波街道沿いの集落、街道東に敷地を占める。西面する正面13mの木造平屋建。切妻造桟瓦葺とし、西・南・東面に深い下屋庇をまわし、西面北端に便所などを付設。北寄りに二列に居室を配し、北列に仏間と座敷を並べる。乙訓地方における大型農家の一例。
佐藤家住宅−国登録文化財−ともかく広い。塀廻りを歩くだけで精一杯。
長岡京市長法寺祭ノ神7
敷地東辺の築地塀北端から、北辺の東米蔵までの折曲り延長40mに及ぶ。
通り側は切石積石垣上に土台を置く。腰は高く焼杉板を張る高塀で、柱上部で腕木を出し、桟瓦葺屋根を支える。内部は漆喰の大壁仕上げとする。伝統的な集落景観を構成している。
邸宅内は殆ど外部からは見えない
田村家住宅−国登録文化財
長岡京市南谷11
丹波街道沿いの敷地南寄りに建つ。建築面積61㎡、木造二階建、入母屋造桟瓦葺。一階は東面北端に玄関を構え、診察室などを配する。
東面と南面は上下階に同意匠のガラス窓を建て、統一感のある外観とする。座敷の造作も丁寧で開放的な和風住宅。
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