京都府長岡京市 光明寺
Komyoji, Nagaokakyo City, Kyoto
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December 23,2025 大野木康夫
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令和7(2025)年10月24日に文化審議会の答申があり、光明寺の8棟が重要文化財に指定されることになりました。
今まで、紅葉や青もみじの撮影だったので、改めて建造物を撮影してみました。
【答申より引用】
光明寺は、長岡京市の西山東麓に境内を構える、西山浄土宗の総本山寺院である。建久九年(1198)に熊谷直実が法然を開祖として創立した念仏三昧院を前身とし、安貞2年(1228)には当地において法然の遺骸を荼毘に付し、廟堂を造立した。その後、相次ぐ戦乱や火災により被災と再建を繰り返したが、その都度再興された歴史を持つ。本堂は、宝暦3年(1753)に上棟された大型七間堂で、内外陣境の金剛柵のほかは内部に区画がなく、浄土宗寺院本堂が開放的かつ融通性に富む平面へと変遷する上で、最初期の事例となった建造物である。彫刻等の細部装飾も豊富ながら華美になり過ぎず、良材を用いた質の高い仏堂である。18世紀半ばにおける京都洛中の大工と地元洛西の大工の合作である。阿弥陀堂は、一間四面堂を彷彿とさせる形式で、浄土宗寺院における阿弥陀堂としては独自の特徴を有し、地元大工の代表作と言える。釈迦堂は食違い六間取平面で、浄土宗西山派の方丈の間取りを伝える。御本廟は17世紀半ばの京都近辺の建造物としては珍しく多彩な建築彫刻が施され、府内の同系統の廟と比しても装飾性が際立つ。境内には、さらに鐘楼、総門などの建物が並び立ち、江戸時代中期以降に復興を遂げた境内の様相を現在に伝え、歴史的価値が高い。
説明板
総門(答申対象)
弘化2(1845)年の建築
一間高麗門、本瓦葺
附・築地塀2棟
北方及び南方 各折曲り延長7.2メートル、本瓦葺、南方戸口1所付
本堂へ
本堂(御影堂)(答申対象)
宝暦7(1753)年の建築
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺
鐘楼(答申対象)
明暦3(1657)年の建築
桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺
阿弥陀堂(答申対象)
寛政11(1799)年の建築
桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、向拝一間、背面軒下張出附属、本瓦葺
渡廊下(本堂の附)
桁行折曲り十三間、梁間一間、一重、切妻造、桟瓦葺
勢至堂
御本廟(答申対象)
明暦2(1656)年の建築
正面一間、側背面二間、一重、宝形造、檜皮葺
御本廟拝殿(答申対象)
明暦3(1657)年の建築
桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、向唐破風造、背面歩廊附属、桁行二間、梁間一間、向唐破風造、檜皮葺、御本廟繋塀附属
法然上人の御遺骨が納められているため非公開です。御影堂、阿弥陀堂の縁や渡廊下付近に竹で結界が示されており、そこから奥には行けません。冬季は木の葉が落ちるので、かろうじて拝殿の屋根付近が枝越しに見えます。
勅使門、釈迦堂
勅使門(答申対象)
文久元(1861)年の建築
四脚門、切妻造、前後唐破風造、檜皮葺
附・築地塀2棟
北方及び南方
各折曲り延長9.7メートル、本瓦葺
釈迦堂(答申対象)
元文3(1738)年~寛保元(1742)年の建築
桁行19.0メートル、梁間14.9メートル、一重、入母屋造、桟瓦葺
附・中門1棟
一間薬医門、きりつま本瓦葺
December 22,2024 大野木康夫
source movie
十二月下旬、光明寺の紅葉参道の残り紅葉
November 29,2021 大野木康夫
source movie
開門前の門前
開門
本堂前から紅葉参道に急ぐ
紅葉参道薬医門前の紅葉風景
東側から
入口に戻る
係の方に勧められて再び本堂へ
本堂付近
御廟付近
書院付近
紅葉の間
紅葉参道に戻る
紅葉参道
薬医門付近
帰路
Nov.28,2020 瀧山幸伸
A camera
B camera
December 2,2018 大野木 康夫 source movie
総門付近
表参道
観音堂付近
御影堂
鎮守社へ
もみじ参道
薬医門付近
写真を撮影する人で混雑しています。
帰路
京都府長岡京市粟生
宗派:西山浄土宗総本山 本尊:法然源空像(御影堂) 寺域:1万7000坪 建物宗数:32
9時少し前に到着する。門前の紅葉に期待が膨らむ。 9時過ぎには人の集まりが目立ってくる。右側にある塔頭の「安楽院」。お店はまだ準備中。
総門付近 浄土門根元地の石標
表参道(女坂)周辺 つま先上がりの長い石道である
観音堂・経堂・勧化所とその周辺
御影堂 入母屋造・本瓦葺・桁行27.6m・梁行25.8m・1753(宝暦3)年再建上棟
阿弥陀堂 入母屋造・本瓦葺・総ケヤキ造・桁行13.4m・梁行10.9m・1799(寛政11)年再建上棟・本尊:丈六阿弥陀像 勢至堂・ほか
石棺 阿弥陀堂前にある 法然の石棺と伝える 古墳出土の組合せ式石棺
御影堂〜蓮生閣への連絡路付近
鐘楼
方丈〜信楽庭〜勅使門
小書院〜大書院〜玄関周辺
薬医門を下りる
もみじ参道 玄関から薬医門を経て総門塀たる緩やかな参道は、両側から楓の木々が大きな枝を伸ばし、紅色のトンネルになる。初夏の青葉も美しい。
スナップ
9時の開門直後に到着
御影堂付近は紅葉は終わっているのでもみじ参道へ
薬医門付近では両側およそ2〜30mのところに人が集まって写真撮影
移動したい人は固まって移動し、その間は撮影はお休み
何回か行ったり来たりして撮影
もみじ参道の紅葉
帰路
November 24, 2015 野崎順次 source movie
京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1
西山浄土宗総本山
報国山 光明寺
(Komyoji Temple, Nagaokakyo City, Kyoto Pref.)
建久9年(1198)、法然上人の弟子熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)の開基とされています。境内の参道両側にあるもみじが、晩秋には色鮮やかに紅葉するのが有名です。
寺の施設は約2万坪、建物数は32棟で、うち17棟が市文化財に指定されています。
また、樹齢約500年の柏槙(びゃくしん)も市の天然記念物に指定されています。
京都洛西観音霊場第七番札所です。
(長岡京市ウェブサイトより)
パンフレットと現地説明板
総門から表参道を上る。
鐘楼
御影堂の前と阿弥陀堂あたり
御影堂
釈迦堂と信楽庭
勅使門あたり
もみじ参道、途中に薬医門がある。
November 24, 2013 大野木康夫 source movie
臨時バス、観光バス、自家用車と人の波
総門前
総門から表参道
御影堂前
御影堂、御本廟から釈迦堂
小書院
勅使門周辺
いよいよもみじ参道へ
薬医門周辺
もみじ参道
再び総門付近
Nov.29 2012 瀧山幸伸
Edited movie
A camera
B camera
June 2011 大野木康夫 Nov.2010 撮影:大野木康夫 所在地 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1 西山浄土宗総本山。建久9年(1198)、法然上人の弟子熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)の開基とされています。
境内の参道両側にあるもみじが、晩秋には色鮮やかに紅葉するのが有名です。
寺の施設は約2万坪、建物数は32棟で、うち17棟が市文化財に指定されています。
また、樹齢約500年の柏槙(びゃくしん)も市の天然記念物に指定されています。
京都洛西観音霊場第七番札所です。
(長岡京市HPより) 長岡天満宮から丹波街道を北西に20〜30分歩くと、光明寺の総門に着きます。
JR長岡京駅や阪急長岡天神駅からバスも出ています。 訪れたのは平日の朝ですが、すでに総門の前は行列ができていました。
法然上人が初めて南無阿弥陀仏の教えを説かれたのが光明寺のある粟生であったことから、総門前には「浄土門根元地」の石碑が建っています。
総門は天保16(1845)年建築の高麗門です。 総門をくぐると、たいていの人は表参道に向かわず、もみじ参道に向かいます。
色とりどりの紅葉に覆われているもみじ参道を歩き、薬医門を目指しました。 薬医門をくぐり、書院や釈迦堂などの諸堂が建ち並ぶ一角に向かいました。 勅使門、庫裏、大書院などが建ち並んでいます。 石段を上ると大きな御影堂が見えます。
御影堂(長岡京市指定文化財)
宝暦3(1753)年の建築
桁行18間、梁間18間、入母屋造、本瓦葺
堂内には、法然上人自作と伝わる「張子の御影」が安置されています。 御影堂の裏には、法然上人の御遺骨を安置する御本廟があり、前には法然上人の銅像があります。 御影堂前に、法然上人の石棺があります。
法然上人没後、比叡山の衆徒が上人の墳墓を暴いて御遺骸を加茂川に流そうと企てたため、遺骸を納めた石棺は秘かに嵯峨、太秦に移されましたが、安貞2(1228)年、石棺から光明が放たれ、粟生の地を照らしたことから、粟生に建立されていた念仏三昧院で御遺骸を荼毘に付し、御廟を築いて御遺骨を安置したそうです。
このことから、念仏三昧院は光明寺と改称され、現在は西山浄土宗の総本山となっています。 伽藍内には鐘楼や法然上人の袈裟懸け松などがありました。
帰りは表参道から下りました。 June 2012 大野木康夫
2011.6.10撮影 source movie 青もみじの光明寺です。
訪れる人も少なく、ひっそりとしていました。
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