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京都府長岡京市 勝龍寺城跡周辺

Shoryujijo ato, Nagaokakyo city, Kyoto

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Feb.19,2017  中山辰夫

勝龍寺城公園

京都府長岡市勝竜寺13番1号

南北朝時代から江戸時代初期にかけてこの地にあった勝龍寺城の城跡に整備された公園。1992(平成4)年に開園した。

 

織田信長の命により明智光秀の三女、玉(後の細川ガラシャ夫人)が細川氏へ嫁ぎ新婚の2年間を過ごした城。秀吉との山城合戦で、明智光秀が破れ退却した城である。江戸時代初期に廃城になった。

主郭跡地は公園となり、模擬櫓や城門などの城風の建築物が並ぶ。当時の遺構としては、水掘や土塁、離れた場所に残る堀跡などがある。

現在は城を模した外観の管理事務所があり、2階ではこの城に関する資料などを展示している。

長岡市は「ガラシャの物語」による町おこしの一環として、公園の完成と同時にスタートさせた「長岡京ガラシャ祭り」を毎年11月第2日曜日に行っている。

勝龍寺城位置

建造物、石垣はすべて模擬である。城跡公園は三方を堀にかこまれている。

       

入口—発掘調査で虎口は桝形であったことからそれにあわして復元されている

  

案内−発掘調査の際の写真や堀についての説明。お玉は後の「細川ガラシャ」、長岡京市はまちおこしの軸として毎年「長岡京ガラシャ祭」を開催している。

   

冠木門−南門の西側につくられている。

  

北門跡と石仏−発掘調査で、堀を囲む石垣跡から出てきた石仏や五輪塔

  

本丸の西側にあった沼田丸と呼ばれる場所。土塁と堀で囲まれた長方形の曲輪。沼田は忠興の父・細川藤孝の妻の旧姓で、その一族の居住地

   

管理棟兼資料室

外観はお城。1階は休憩室。2階は資料が展示してある。模擬の建築である。

      

公園内の散策

二人の銅像、ガラシャおもかげの水—100%地下水、井戸水

    

「東方辺土塁と多門櫓」、「多門櫓への階段」の案内

    

隅櫓

   

石段の上に土塁が築かれ、さらにその上に石垣を築く鉢巻石垣となっている。

軒丸瓦の九曜紋と瓦の丸二紋

  

忠興が信長の仲介を受けて、光秀の三女・玉(ガラシャ)と結婚した際に、信長の命により九曜を定紋とし、これが細川家の家紋となった。以前、忠興が信長の小刀の柄に九曜が描かれているのを大変気に入っていたことを、信長が覚えていたためと言われる。

勝龍寺堀土塁と空堀

京都府長岡京市東神足2丁目寺内

勝龍寺城跡は、1992(平成4)年に公園整備された本丸と沼田丸のほかに、神足神社西側に土塁と空堀が残されている。

公園から約200m離れた地点に神足神社があり、そこから南側に東西に土塁と空堀がある。石壁がペイントされてあるので通りからよく見える。

   

勝龍寺城跡は、1992(平成4)年に公園整備された本丸と沼田丸のほかに、神足神社西側に土塁と空堀が残されている。

現存する遺構は、細川藤孝が1571(元亀2)年に城を大改修した時の姿を留めるものと考えられている。

           

Feb.28.2017

勝龍寺

Shoryuji

京都府長岡京市勝竜寺

勝竜寺集落の中央にある。宗派:真言三宝宗、本尊:十一面観音(国重要文化財・鎌倉時代))

806(大同元)年帰朝直後の空海(弘法大師)が青龍寺の名を取って開基、観音堂を始め九十九坊が建てられていたといわれる。

永正(1504〜21)初年頃の勝龍寺城指図(九条家文書)には、勝龍寺城に道路を接して勝龍寺の位置が示されており、城に接していたことから兵火は免れず、山崎合戦にも罹災した。

現在は、本堂・庫裏・鐘楼があるのみ。

本堂とその周辺

       

鐘楼とびんずる尊者像:病気の人が、このお像をなでた手で自分の悪いところをさすると、病気が治ると信じられている。

  

境内社

春日神社

     

神足神社

Koutarijinja

長岡京市東神足

祭神:舎人親王(天武天皇の皇子)旧神足村の産土神、神足=神の足から、スポーツ選手もお守りを授かりに訪れる、直ぐ隣に勝龍寺城の城土塁がある

        

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