京都市右京区 仁和寺
Ninnaji,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto
京都府京都市右京区御室大内33
真言宗御室派総本山
世界遺産 仁和寺
撮影日: 2011年4月30日および5月5日
仁和寺は第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成、寺号も元号から仁和寺となった。平安?鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保った。しかし応仁の乱(1467〜)で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失した。本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移された。
『仁和寺御伝』によれば、寛永11年(1635年)7月24日、仁和寺第21世 覚深法親王は、上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾された。さらに御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了。ようやく創建時の姿に戻ることが出来た。
昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、近年では平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録された。
パンフレット、金堂と観音堂が特別公開されていた。
重文 二王門(江戸初期)、仁王像は江戸前期再建時のもので、運節という仏師の作である。
二王門から中門まで
重文 中門(江戸初期)
重文 九所明神本殿・左右殿(江戸初期)
重文 五重塔(江戸初期)
重文 経蔵(桃山、江戸初期に移築)
風が強く、松の花粉が舞う。
国宝 金堂(桃山、江戸初期に移築)
重文 鐘楼(江戸初期)
新緑の候
重文 御影堂 (江戸初期、内裏清涼殿の用材を使用)
重文 御影堂中門 (江戸初期)
重文 観音堂(江戸初期)
勅使門(大正2年再建)
重文 本坊表門
白書院と南庭
宸殿(明治末−大正初期再建)、北庭、黒書院、霊明殿
参考資料
仁和寺HP
京都の世界遺産一覧HP
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