京都市右京区 仁和寺
Ninnaji,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto
June 19,2016 中山辰夫
御殿
京都市右京区御室大内33
仁和寺案内
世界遺産に登録された仁和寺の広々とした境内には国宝・重文の伽藍が聳え魅惑に溢れている。
ここでは、国登録文化財に指定されている、大玄関と皇族門、白書院、宸殿、黒書院、零明院とその周辺をまとめた。
今回訪れる先はすべて御殿内にある。御殿は仁和寺の本坊(僧侶の住居)で、その入口は本坊表門(国重要文化財)である。
ここは仁和寺の創建者、宇多天皇が出家後に「御室」と呼ばれる僧坊を建てた場所でもあり、現在は御所風の建物が建つことから「旧御室御所」とも呼ばれる。
ここでは、国登録文化財に指定されたものを並べる 登録告示:2011(平成23)年10月28日 全て同一日である。
大玄関
建築:1890(明治23) 木造平屋建 瓦葺一部檜皮葺 建築面積:127㎡ 渡廊下付 造形の規範となっている。
御殿群南端に東面して建つ。桁行12m梁間7.0m、入母屋造桟瓦葺で、東正面に間口6.0m近い大きな唐破風造檜皮葺の車寄を構える。細部では蟇股や大瓶束の笈形に秀麗な彫刻を施すなど、威厳と華やかさを備えた大型の玄関である
皇族門
建築:1914(大正3) 木造檜皮葺 間口2.7m 造形の規範となっている。
大玄関から東へ延びる塀の中間に構えた門.四脚平唐門、檜皮葺 木割の細い繊細な門である。
本柱は円柱出控え柱は角柱、男梁上の蟇股と舟肘木で横木を受け、大疎垂木年、桟唐戸の上に透彫欄間を入れる。御殿群の前庭と内庭を仕切る。
勅使門
建築:1914(大正3) 木造檜皮葺 間口5.2m 左右袖塀付 造形の規範となっている。
白書院正面に東面して建ち、四脚門、前後唐破風造側面入母屋、檜皮葺。本願寺唐門を模した形式をもち、壁面や桟唐戸などを、花菱や鳳凰、唐草などを図案化した流麗な透彫りで埋め尽くす。亀岡末吉の意匠感覚が発揮された見応えのある大型の門である。
大玄関と白書院は廊下でつながっている
白書院
建築:1890(明治23) 木造平屋建 瓦葺 建築面積:196㎡ 造形の規範となっている。
宸殿と大玄関の間に東面して建ち、桁行15.8m梁間12.5m、入母屋造桟瓦葺
細部
表と裏に三室ずつ配る六室構成で、正面広縁を吹放しとする。旧宸殿としての格調を備える書院である。
襖絵は1937(昭和12)年に福永晴帆による松の絵が部屋全体に描かれている。
各室から見る南庭
白書院と宸殿は渡廊下でつながっている
宸殿(しんでん)
境内南西の御殿群中央に建つ。寝殿造の外観、書院造の内部構成を組み合わせ、東側に中門廊風の突出を設ける
江戸時代に仁和寺を再興した際、京都御所から移築されたが、1887(明治20)年に焼失した。現在の建物は1914(大正3)年に建てられた。
木造平屋建 檜皮葺 建築面積:257㎡ 三室よりなる。桁行19.7メートル梁間11.8メートル、入母屋造檜皮葺である。
南庭側
北庭側
内部は三室からなり、襖絵や壁などの絵は全て原在泉の手によるもので、四季の風物をはじめ、牡丹・雁などが見事に描かれている。
北庭園
内外とも門跡寺院に相応しい優雅な意匠で、亀岡末吉の代表作のひとつである。
黒書院
建築:1919(明治43) 木造平屋建 瓦葺 建築面積:181㎡ 渡廊下付
宸殿西側に建立。宸殿と白書院の双方と、檜皮葺屋根の渡廊下で繋ぐ。桁行15.5メートル梁間11.7メートル、入母屋造桟瓦葺
京都・花園にあった旧安井門跡の寝殿を移して改造したもので、1909(明治429年(1909年)竣工。
平面は方丈型六間取で、西奥室に座敷飾を備える。周囲に舞良戸を建て、内向きの書院らしく落着いた外観になる。
内部は竹の間・秋草の間など6室からなり、1937(昭和12)年に堂本印象が描いた襖絵が室内全体を飾る。現在、印象が付けた画題の名が各室の名称となる。
渡廊下周辺で見かけた意匠
渡廊下で結ばれる。 回廊の途中に国重要文化財「遼廓亭」が少し見える。
霊明殿
宸殿の北東にみえる霊明殿は、歴代門跡の御霊を祀り、仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊 薬師如来坐像を安置する為に建立された。
建築:1911(明治44) 木造平屋建 檜皮葺 建築面積:53㎡ 渡廊下付
黒書院の北側に渡り廊下を介して南面して建ち、方三間、宝形造、一間向拝付、檜皮葺である。設計は亀岡末吉
正面上に掲げられた扁額は近衛文麿の筆。内部は一室で三間幅の仏壇を設け、折上小組格天井を張る。平安後期頃の様式を意識した構成
蟇股には亀岡末吉の得意とした唐草を図案化した彫刻を施す。
閼伽棚
参考資料≪パンフレット、HP≫
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