京都府京都市左京区 三千院
Sanzenin,Sakyoku,Kyoto city,Kyoto
Category |
Rating |
Comment |
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
||
![]() |
京都市左京区大原来迎院町540 往生極楽院阿弥陀堂 重文 近世以前/寺院 平安後期 久安4(1148) 桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、こけら葺 18971228
April 19,2022 大野木康夫
source movie
参道
山門付近
聚碧園
有清園へ
有清園
苔と青もみじとシャクナゲ
帰路
Apr.2,2021 瀧山幸伸
Nov.12,2017 瀧山幸伸
November 22,2014 大野木康夫 source movie
紅葉の時期、大原は多くの人で賑わいます。
三千院有清園の紅葉を朝一番に見に行きましたが、地下鉄国際会館前7時35分発の京都バスでもほぼ満席でした。
バス停から呂川(りょせん)沿いに三千院に登って行きました。
日は昇っていますが、まだ山陰になっています。
三千院門前にはすでに拝観待ちの列ができていました。
開門の8時30分まで、実光院近辺をぶらつきました。
開門はやや早く8時10分頃、受付が終わったらまっすぐ有清園に向かいました。
有清園の紅葉はポスターやガイドブックのとおりの眺めでした。
苔との対比に目を奪われます。
人が増えてきたので庭園に下りました。
日があまり射さないので紅葉はあまり赤くならず、オレンジ色や黄色が勝っています。
帰りに覗くと、聚碧園の紅葉ははまだもう少しのようでした。
勝林院、宝泉院を回って門前付近に戻るとようやく日が射してきました。
朱雀門付近
バス停への帰路
雪の日、京都市内中心部の積雪は昼前には溶けてきたので、雪景色を求めて三千院に行きました。
高野橋東詰から京都バスで大原に向かいました。
高野川にはユリカモメの群れがいました。
花園橋を過ぎると雪がまだずいぶん残っていました。
八瀬を過ぎるとなかなかの雪景色です。
大原バス停
参道
三千院山門
拝観入口から坪庭
聚碧園
有清園、往生極楽院
途中から青空は姿を消し、雪が降ってきました。
宸殿から眺める往生極楽院は幻想的でした。
帰路
京都府京都市左京区大原来迎院町540
三千院(魚山三千院門跡)
(Sanzen-in Temple, Sakyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
三千院は八世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源をもち、のちに比叡山東麓の坂本(現・大津市)に移され、たび重なる移転の後、明治四年(1871)に現在地に移ったものである。「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は明治四年以降使われるようになったものである。一方、往生極楽院(旧称・極楽院)は、平安時代末期の十二世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり、明治四年に三千院の本坊がこの地に移転してきて、その境内に取り込まれたものである。
往生極楽院は重要文化財、その中に安置されている阿弥陀三尊坐像は国宝に指定されている。客殿に面する聚碧園庭園と往生極楽院阿弥陀堂を中心とする有清園庭園の二つの庭園があり、京都市名勝に指定されている。
朝方が関西の平地にもうっすらと雪が積もったので、京都の大原に雪見に出かけた。地下鉄で国際会館まで、そこからバスに乗る。
三千院のバス停から歩く。
見渡す限り大原の里。東南アジアからの留学生が雪だるまを作っていた。
パンフレットと現地説明板、参道
御殿門から
客殿前の聚碧園庭園
有清園庭園
国重文 往生極楽院 平安末期創建 江戸初期大修理
入母屋造、こけら葺き、妻入。内部は船底天井として、中尊の像高2.3メートルの阿弥陀三尊像を堂内の空間一杯に安置する。
弁財天、観音堂などその他境内
大原阿弥陀石仏(売炭翁石仏)鎌倉時代中期
花崗岩製、高さ2.25m、幅1.8mの無地の二重円光背をつくり、高さ30cmの蓮華座の上に結跏趺坐する像高1.7mの常飲阿弥陀像を厚肉彫りしたもの。京都市内では最大で、その堂々とした姿は見るものを圧する。一石石仏の優作である。
帰途
参考資料
ウィキペディア「三千院」
「京都の石仏」
京都府京都市左京区大原来迎院町540
三千院(魚山三千院門跡)
(Sanzen-in Temple, Sakyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
撮影日: March 10, 2013
三千院は八世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源をもち、のちに比叡山東麓の坂本(現・大津市)に移され、たび重なる移転の後、明治四年(1871)に現在地に移ったものである。「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は明治四年以降使われるようになったものである。一方、往生極楽院(旧称・極楽院)は、平安時代末期の十二世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり、明治四年に三千院の本坊がこの地に移転してきて、その境内に取り込まれたものである。
往生極楽院は重要文化財、その中に安置されている阿弥陀三尊坐像は国宝に指定されている。
パンフレットと現地説明板
三千院には客殿に面する聚碧園庭園と往生極楽院阿弥陀堂を中心とする有清園庭園の二つの庭園があり、京都市名勝に指定されている。
聚碧園庭園
有清園庭園と往生極楽院
大原阿弥陀石仏(売炭翁石仏)鎌倉時代中期
花崗岩製、高さ2.25m、幅1.8mの無地の二重円光背をつくり、高さ30cmの蓮華座の上に結跏趺坐する像高1.7mの常飲阿弥陀像を厚肉彫りしたもの。京都市内では最大で、その堂々とした姿は見るものを圧する。一石石仏の優作である。
参考資料
ウィキペディア「三千院」
「京都の石仏」
2011.8.27撮影
大津の葛川から国道161号線を南下し、大原三千院に行きました。
夏のオフシーズンで、春秋ほどではないですが、多くの人で賑わっていました。
往生極楽院阿弥陀堂
Mar. 2006 瀧山幸伸 source movie
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中