京都府大山崎町 宝積寺
(Hoshakuji-Temple, Oyamazaki Otokuni-gun, Kyoto)
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乙訓郡大山崎町大山崎銭原1 寶積寺三重塔 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長9(1604) 三間三重塔婆、本瓦葺 19210430
September 18,2017 大野木康夫 source movie
寶積寺
参道
仁王門
三重塔
本堂
Sep.12.2017 中山辰夫
宝積寺
京都府乙訓郡大山崎町大山崎銭原1
宗派:真言宗 本尊:十一面観音像、像高182.2cm(天福元年(1233年)仏師:法印院範・法橋院雲作)
奈良時代・724年に聖武天皇の勅願により僧・行基が開いたとされる真言宗の寺院、通称「宝寺」とも呼ばれる。
鎌倉時代の傑作といわれる本尊の十一面観音像(国重文)をはじめ寺宝が多い
聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから「宝寺」(たからでら)の別名があり、大黒天宝寺ともいう。
参道沿いの三重塔は羽柴秀吉が山崎の合戦の際に一夜にして建てたといわれ、美しい桃山建築様式を今に伝える
古式ゆかしい2月の「星供節分会」や、鏡餅に写った自分の姿を見て鬼が退散するという4月の「大厄除追儺式(鬼くすべ)」もみものとされる
参道〜仁王門 仁王門は京都府登録文化財、三間一戸 切妻造 木造金剛力士 国重要文化財 鎌倉時代
途中、左側にある不動堂と待宵の鐘
三重塔 国重要文化財 (紅葉は撮影:Oct.10.2017)
桃山時代、本瓦葺、総円柱、総高:19.5m、桃山時代、大日如来坐像安置、塔前に社家のぢ評者の一人、井尻則定寄進の石灯籠一対あり。
境内 境内に入ると正面に本堂、すぐ右側に閻魔堂がある。
閻魔堂
本堂の右側に建つ。堂内に閻魔王坐像・司録坐像などの木像の像を配置。いずれも国重要文化財、製作は鎌倉時代のもの。
本堂 京都府登録文化財
小槌宮(こづち 大黒天神)
聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから「宝寺」(たからでら)の別名があり、大黒天宝寺ともいう。蟇股は宝船
不動堂
石造九重塔
大山崎町文化財、鎌倉時代軸部に1241(仁治2年)の銘あり。五重塔として建てられ、その後九重に積み上げられた。
聖武天皇の納髪の塔と伝える供養塔。
毎年4月18日に行われる厄除追儀式は行基以来との伝承がある。3尺の餅を75個呉竹に挟んで本堂の鴨居にかけて祈祷を行い、松葉をくすべて悪魔を払う。悪魔は餅に写る己の姿を見て恐怖を感じ退散するという独特の民俗行事。
Nov.2009 撮影/文:野崎順次
京都府乙訓郡大山崎町大山崎銭原1番地
真言宗智山派
天王山 宝積寺
撮影日: 2009年11月7日
724年、聖武天皇の勅命を受けた行基による開基と伝える。聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから「宝寺」(たからでら)の別名があり、大黒天宝寺ともいう。
仁王門の金剛力士以外は写真撮影ができないが、本寺には重文の仏像が数体ある。
本堂の木造十一面観世音菩薩立像は本寺の御本尊で、像高181.8cm、天福元年(1233年)仏師法印院範、法橋院雲作である。
また、閻魔堂安置の閻魔王、司命、司録、倶生神、闇黒童子の各像は、天王山西麓の大阪府島本町にあった西観音寺旧蔵で、同寺が明治の廃仏毀釈で廃寺になったため宝積寺に移された。
いずれも鎌倉時代の作で、閻魔一族の像としては日本でも古くかつ優れた作品で生き生きとした迫力がある。
アプローチとパンフレット
仁王門、三間一戸、切妻造
重文 木造金剛力士 - 寄木造、彩色:
阿形(那羅延金剛力士)像高284.2cmおよび吽形(密迹金剛力士)像高277.5cm
重文 三重塔 - 桃山時代、本瓦葺、総円柱、大日如来坐像安置
本堂 - 入母屋造、本瓦葺、1606年改築
町文化財 石造五重塔 - 鎌倉時代、五重塔として建てられ、その後九重に積み上げられた聖武天皇の供養塔
小槌宮、閻魔堂など。
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