京都府京都市右京区 龍安寺
Ryoanji,Ukyoku,Kyoto City,Kyoto
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京都市右京区竜安寺御陵ノ下町13 竜安寺本堂 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長11(1606) 桁行21.0m、梁間18.0m、一重、入母屋造、こけら葺 玄関1棟 19670615
December 7,2024 大野木康夫
source movie
紅葉の時期が遅れる中、土曜日の朝一番に車で行ってみました。拝観受付は8時30分からで、その時間に行ったら無料駐車場には余裕がありました。
駐車場から拝観受付へ
山門付近
鏡容池
庫裏へ
石庭
方丈障壁画は細川護熙元首相の筆によるものに替えてありました。
方丈の裏側へ
蹲踞
帰路
外国人観光客の団体が石庭に到着
庫裏前から方丈前へ
参道を西へ
西源院
鏡容池へ
鏡容池を回って山門へ
帰路
Dec.5,2020 柴田由紀江
Nov.25,2020 瀧山幸伸
A camera
B camera
Mar.24,2020 瀧山幸伸
A camera
B camera
April 13, 2019 野崎順次 source movie
京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13
臨済宗妙心寺派
大雲山 龍安寺
桜がほぼ満開である。
パンフレットと現地説明板
南の参道からのアプローチ、庫裡まで
国史跡および特別名勝 龍安寺方丈庭園 室町時代 枯山水
本庭は方丈南庭で、面積は百二坪、東西に細長く長方形の平庭で、南と西は土塀で囲い、完全な抽象的枯山水であり、庭石十五個だけの作庭で、一木一草もない。これが本来の枯山水である。
東に五石、塀際に二石、西中央に三石と二石、西北に三石の配石で、七五三配石となり、全庭の白砂を海洋とすれば、大海中の諸島の抽象構成である。本庭を雲海の庭と見る人もあり、古く虎の児渡しと見た人もあり、七五三庭と見たり、心字配石と見る人もある。多様な見方のできるだけ、本庭が自由な作品であり、巾が広く、傑出していて、その点では永遠のモダンであり、最高に傑出した枯山水と賞讃することができる。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」竜安寺庭園より)
方丈と裏手の知足の蹲踞の実物大模型、勅使門あたり
仏殿の南から西源院の西あたりは巨石が多い。名勝の範囲に入っているかどうかは分からない。
国名勝 龍安寺庭園
鏡容池を中心とする庭園。竜安寺の前庭であって、参道、鏡容池、杉松椒桜その他の疎林等より成る。方丈石庭の環境をなす重要な境域である。
西の桜苑あたり
西源院湯どうふ店の庭
鏡容池を西から東へ巡る。
November 26,2016大野木康夫 source movie
京福電鉄北野線
龍安寺駅からのアプローチ
山門はきぬかけの道をはさんで南側
混みあう参道
鏡容池東側
参道、石垣
方丈、石庭
方丈を南側から撮影
鏡容池へ
鏡容池北側の紅葉
鏡容池周辺
紅葉も終盤
帰路
京都市右京区龍安寺御陵下町13
世界遺産
本堂:重要文化財
庭園:国指定史跡・特別名勝 特別指定年月日:1954.03.20(昭和29.03.20)
国指定文化財等データベース解説文: 庭園で名髙い竜安寺は、細川勝元の菩提所である。もとの本堂は江戸末期に焼けたので、この寺にゆかりの深い西源院の本堂を移した。 この本堂は慶長十一年(一六〇六)の建立である。 方丈形式本堂として特に大規模な例の代表である。
石庭をめぐる紅葉は暖冬のためかまだ青いところあったが池の周りはほぼ見頃で大勢の人が訪れていた。
Jan.19.2015 中山辰夫
竜安寺は白砂と十五の石からなる「石庭」のある寺として有名。1994(平成6年)にユネスコで「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録された。徳大寺家の山荘を譲り受けた細川勝元が、妙心寺の義天和尚に帰衣して建てた寺。妙心寺の境外塔頭である。
最盛期には七堂伽藍が建ち並び、多くの禅僧が参集していた。応仁の乱で焼失し、その後再興された。
さほど大きくない山門をくぐり延々と続く石道の参道を進む。山門は1680年建立、切妻造。
山門は1680年建立、切妻造。勅使門、玄関口、庫裏が並ぶ。
玄関口から方丈へ行く通用路。意匠が凝らしてある。
樹齢400年以上の侘助椿と「吾唯足知」の永楽銭の銭型手水舎は水戸光圀の寄進ともいわれる。「われ ただ たることを しる」と刻まれている。
石庭〜方丈(客殿 国重要文化財)前に広がる。石は15石。石英片岩や緑石片岩が使われている。
漢の江陵の太守の善政を慕って、人間ばかりか虎までが子を連れて大河を渡ってきたという故事を表わした「虎の子渡しの庭」ともいわれる。
石庭を囲む土塀が低く造られているのは、方丈から岩清水八幡宮を拝するためとされ、油壁とされている。
竜安寺庭園 (国名勝)
山門をくぐった直後の左側にあって、徳大寺家の山荘時代のもの。
庭園の中心は鏡容池(きょうよいけ・国の名勝)。灌漑用のため池泉にした平安時代からの名池。度々の改修を経て多島式池泉の庭園となった。秀吉も盛大な花見の宴を催したとされる。睡蓮、花ショウブ、桜、紅葉と四季夫々に見栄え
竜安寺垣
November 30,2014 大野木康夫 source movie
龍安寺の紅葉は少し遅めです。
この日は朝一番に訪れました。
駐車場から境内入口へ
鏡容池の東岸付近を通って方丈へ
紅葉は盛り過ぎでしたが見ごたえがありました。
方丈への参道、石段
竹垣は龍安寺垣
石庭の紅葉風景
朝一番なので人も少なく、眺めを満喫しました。
方丈の周囲を回りながら撮影
つくばいに紅葉が映りこんで虹色に見えました。
方丈から鏡容池へ
鏡容池北側
帰路
禅苑の名刹、大雲山龍安寺。
その創建は宝徳二年(1450)、足利将軍の管領職にあった細川勝元が、徳大寺公の山荘を譲り受け、妙心寺第五世の義天玄承(詔)禅師を開山に迎え創建しました。
まもなく応仁の乱で焼失してしまいますが、勝元の実子・政元によって再興されました。
明応八年(1499)には方丈が建立され、石庭もこの時に築造されたと伝えられています。
また、寛政九年(1797)に方丈、開山堂、仏殿を火災によって焼失。
現在の方丈は塔頭・西源院の方丈を移築したものです。
秀吉も幾度か龍安寺を訪れ、自らの手による制札が、今も残されています。
また、勝元夫妻・政元らの墓が、開山義天和尚の墓と共に現存しています。
(龍安寺ウェブサイトより)
パンフレット
山門、鏡容池
庫裏、書、目の不自由な人のための石庭模型など
国重文 方丈(本堂)
国史跡・特別名勝 石庭
国重文 勅使門と油土塀外側
その他
正月の朝、小雪まじりの龍安寺です。
京都の寺社は外国人観光客が目立ってきましたが、ここは特に欧米系の外国人観光客が多いような気がします。
A camera
B camera
Feb.2005 瀧山幸伸 HD(1280x720)
Ryoanji, west garden
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