京都府京都市東山区 蓮華王院(三十三間堂)
Rengeoin (Sanjusangendo) ,Higashiyamaku,Kyoto city,Kyoto
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京都市東山区東大路通七条西入三十三間堂廻り町657 蓮華王院築地塀(太閤塀) 重文 近世以前/寺院 桃山 桃山 桁行二十九間、築地塀、本瓦葺 19370729
京都市東山区東大路通七条西入三十三間堂廻り町657 蓮華王院南大門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長5(1600) 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19000407
京都市東山区東大路通七条西入三十三間堂廻り町657 蓮華王院本堂(三十三間堂) 国宝 近世以前/寺院 平安後期 文永3(1112) 桁行三十五間、梁間五間、一重、切妻造、向拝七間、本瓦葺 棟札1枚 18971228 19520329
June 4, 2022 野崎順次 source movie
京都市東山区三十三間堂廻町657
後白河法皇によって建立された三十三間堂は、千体千手観音立像(国宝)や、南北約125メートルに及ぶ本堂(国宝)など魅力が多く、仏像や建築ファンも唸らせる名所として古くから知られています。2021年3月には、本堂東側に池庭回遊式庭園が整備されたというお庭好きに嬉しいニュースが飛び込んできました。手掛けたのは、昭和の名作庭家
中根金作さんを祖父にもつ中根行宏さん、直紀さんご兄弟です。このたび、おふたりから庭園の魅力について学ぶ機会をいただきました。
じつは庭園は新設ではなく、昭和36年(1961)の後白河法皇770回忌記念事業の際に、中根金作さんにより造園されたお庭がベースになっています。当時は鎌倉時代に再建された本堂の様式に調和するよう、お庭も特に池の石組については古式の手法で行われたそうです。行宏さん、直紀さんは祖父の仕事の良い部分を残しつつ、過去の史料を頼りに三十三間堂の往時の姿をできる限り再現したといいます。江戸時代の絵図、古写真、航空写真を拝見しながら、お庭の今昔を丁寧に読み解いていきましょう。
(「そうだ 京都に、行こう」サイトより)
パンフレットと現地説明板
東庭 北庭
それから
東庭 南庭
三十三間堂
京都駅前では、維新選挙カーが市バス大渋滞をもたらし、みんな大迷惑
March 3,2021 大野木康夫
source movie
蓮華王院本堂(国宝)
南大門(重要文化財)
築地塀(重要文化財)
July 27,2016 大野木康夫
整備工事中のため立ち入りできる範囲が制限されていました。
訪問時は三十三間堂参進閣(参拝者用玄関通路)の改修工事のため、事前の発掘調査が行われていた。付近は法住寺殿跡にもなっており歴史的遺物が重層している模様。
元旦の早朝に前を通りがかった。荘厳な雰囲気の中に一段と見栄えがした。勿論入場できなかったが外観だけでも十分に満足できた。三十三間堂は後白河法皇の寺蓮華王院の本堂。蓮華王は人々の願いをなんでも聞き入れてくれる慈悲の功徳を持った観音の極限を象徴したものといわれる。この観音の王様をしかも一千一体も安置したところが三十三間堂である。十段の階段に祭壇も無く整然と立ち並んでいる。 建物の正面柱間の数が三十三あることから三十三間堂というとされるが、実際には三十五あるという。観音菩薩は人々の願いを三十三に化身して示現するといわれる。三十三とは観音の功徳を象徴する数である。 本堂は国宝、南大門、太閤塀は国の重要文化財である。
May 1,2010 野崎順次
パンフレットと入口
国宝 本堂 - 鎌倉時代、入母屋造 本瓦葺
遊歩道を庭園から西門まで時計回りにたどる。
重要文化財 南大門 - 切妻造、本瓦葺、三間一戸の八脚門。南大門は、豊臣秀吉が建立した方広寺の南門をその子豊臣秀頼が現在の位置に移築した門である。
重要文化財 太閤塀 - 本瓦葺、豊臣秀吉によって寄進された築地塀。方広寺大仏殿の外塀から移築された。瓦に豊臣家の桐紋の文様が用いられていることから「太閤塀」と呼ばれている。かつては西にも存在したが、現在は南の塀のみ残っている。塀は高さ5.3m、長さ92mに及ぶ建造物である。
参考資料 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
Mar.2010 瀧山幸伸 source movie
A camera
B camera
Mar. 2006 瀧山幸伸 source movie