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京都府京都市左京区 賀茂御祖神社(下鴨神社)

Kamomioyajinja(Shimogamojinja),Sakyoku,Kyoto city,Kyoto

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京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 東本殿 国宝 近世以前/神社 江戸末期 文久3(1863) 三間社流造、檜皮葺 末社印社本殿1棟、末社一言社本殿2棟、末社二言社本殿2棟、末社三言社本殿3棟、透塀1棟 19010802 19530331

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 西本殿 国宝 近世以前/神社 江戸末期 文久3(1863) 三間社流造、檜皮葺 19010802 19530331

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 祝詞舎 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行五間、梁間一間、一重、北端唐破風造、南端幣殿に接続、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 幣殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行七間、梁間二間、一重、入母屋造、正面中央軒唐破風付、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 東西廊(東) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行四間、梁間一間、一重、両下造、幣殿及び東御料屋に接続、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 東西廊(西) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行七間、梁間一間、一重、両下造、幣殿及び西御料屋に接続、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 東西御料屋(東) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 東西御料屋(西) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 叉蔵 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行三間、梁間三間、校倉、入母屋造、妻入、本瓦葺 19670615

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 四脚中門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 四脚門、切妻造、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 東西楽屋(東) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 東西楽屋(西) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 中門東西廻廊(東) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行折曲り十四間、梁間一間、一重、両下造、東御料屋及び東楽屋に接続、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 中門東西廻廊(西) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行五間、梁間一間、一重、両下造、預り屋及び西楽屋に接続、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 預り屋 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 西唐門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 一間一戸向唐門、檜皮葺 左右透塀2棟 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 舞殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 神服殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永6(1629) 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺 19030415

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 橋殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 細殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行五間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 供御所 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行九間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺 19030415

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 大炊所 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行五間、梁間三間、一重、切妻造、本瓦葺 井戸屋形1棟 19030415

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 楼門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 楼門東西廻廊(東) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行十六間、梁間一間、一重、一端楼門に接続、他端切妻造、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 楼門東西廻廊(西) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行十六間、梁間一間、一重、一端楼門に接続、他端切妻造、檜皮葺 19010802

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 摂社出雲井於神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 一間社流造、檜皮葺 岩本社本殿1棟、橋本社本殿1棟 19670615

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 摂社三井神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 一間社流造、檜皮葺 19670615

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 摂社三井神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 一間社流造、檜皮葺 19670615

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 摂社三井神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 一間社流造、檜皮葺 19670615

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 摂社三井神社拝殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行二間、梁間一間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺 19670615

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 摂社三井神社棟門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 一間薬医門、切妻造、檜皮葺 19670615

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 摂社三井神社東西廊下(東) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行四間、梁間一間、一重、両下造、檜皮葺 三井神社末社本殿3棟 19670615

京都市左京区下鴨泉川町59 賀茂御祖神社 摂社三井神社東西廊下(西) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永5(1628)頃 桁行五間、梁間一間、一重、両下造、檜皮葺 19670615

 


Nov.23,2022 柚原君子

 

                                                                                                                                                


December 8,2020 大野木康夫 sourece movie

駐車場から社殿へ

    

社殿群

名残の紅葉を求めて修学旅行の高校生がたくさん訪れていました。
また、三井神社の棟門が閉じており、幣殿には「撮影厳禁」との貼り紙が設けられていました。

                        

三の鳥居から糺の森へ

  

奈良の小川付近

               

参道を南下

                            

紅葉橋付近

紅葉のハイライト

                            

河合神社へ

            

再び紅葉橋付近

                      

参道を戻る

                                                                      

瀬見の小川付近

                  

帰路

     


September 8,2018 大野木康夫

台風21号後の様子

社殿には影響なし

                                                   

糺の森の風倒木等

                                


Dec.10,2016 中山辰夫

河合神社とその周辺

紅葉シーズンの終りの参道を歩く。見応えのある景色に遭える時がある。参道は整備工事が行われていた。

    

表参道に入る 

         

河合神社

下賀茂神社の摂社 高野川と賀茂川の合流する地に当たることから河合社と呼ばれ、只州とも記される。祭神は玉依姫命、鴨一族の祖先を祀る社とされる

創建は平安時代「鴨川合坐小社宅神社」に比定されている。式年遷宮が行われ、1741(寛保元)年に行われ社殿の改造がされた。 

1887年、賀茂御祖神社(下鴨神社)の第一摂社となる。

                

鳥居二つ、四脚門、拝殿、幣殿、玉垣、御料屋、祝詞屋、本殿と続く。貴布祢社、任部社(とべしゃ)が建つ、門の南に、三井社が祀られている。

本殿は三間社流造、切妻造、正面軒が長い流造、高床式造で下鴨神社本宮とほぼ同じ形式、規模を持つ。

参道周辺

          


Nov.29,2016 中山辰夫

秀穂舎(しゅうすいしゃ)

下鴨神社に代々仕えた神職の社家は神社の周辺に数多くあったが、現在は2軒だけが残る。

その内の一軒である下鴨神社の学問所で絵師だった浅田家旧邸を改修して、鴨社資料館「秀穂舎」が10月1日に開館した。

旧邸は、江戸時代中期の数少ない伝統的社家建築で、木造2階建てである。その保存と警鐘を目的に、旧社家の日常生活を復元した常設展示や、下鴨神社に縁のある人物や品を紹介する特別企画展などを開催する。 10月1日からは、開館記念特別企画展の鴨長明資料展が開かれた。

旧三井家下鴨別邸の右側にある。表門の右手の脇門より入る。

                


December 10,2016 大野木康夫 source movie

    

                

                       

    

                

 

                                     

              

 

      

                       

                          


Dec.14,2015  瀧山幸伸

Edited Movie Download YouTube

source movie

                                                                                                                                                                                                                                                  

 

                                                                                                                                                                           

                                                                                 


February 22, 2015 野崎順次 source movie

今年4月27日の式年遷宮を前に東西本殿(国宝)はまだ修理工事中であるそのためか、三井神社と大炊殿に人影が少なく、ゆっくり拝観できた。国指定重要文化財建造物の建築時期は全て江戸前期寛永五年(1628)頃である。

パンフレットと現地説明板

              

糺の森

                 

奈良の小川

     

さるや休憩所、香ばしい豆茶で体を温めた。

    

鳥居あたり

             

国重文 楼門 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺葺

国重文 楼門東西回廊(東)(西) 桁行十六間、梁間一間、一重、一端楼門に接続、他端切妻造、檜皮葺葺

                     

国重文 舞殿 桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺

       

国重文 橋殿 桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺

       

国重文 細殿 桁行五間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺

      

井上社と御手洗池あたり

         

国重文 摂社出雲井於神社本殿 一間社流造、檜皮葺

附 岩本社本殿1棟、橋本社本殿1棟

        

国重文 神服殿 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺

              

国重文 供御所 桁行九間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺

  

国重文 四脚中門 四脚門、切妻造、檜皮葺

     

国宝東本殿の附 透塀1棟、末社一言社本殿2棟、末社二言社本殿2棟、末社三言社本殿3棟、末社印社本殿1棟

         

国重文 摂社三井神社棟門 一間薬医門、切妻造、檜皮葺

国重文 摂社三井神社東西廊下(東) 桁行四間、梁間一間、一重、両下造、檜皮葺

国重文 摂社三井神社東西廊下(西) 桁行五間、梁間一間、一重、両下造、檜皮葺

     

棟門から三井神社の内部を拝観する。後で西唐門から中に入った。

    

国重文 西唐門 一軒一戸向唐門、檜皮葺

               

国重文 摂社三井神社拝殿 桁行二間、梁間一間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺

     

国重文 摂社三井神社本殿3棟 一言社、流造

           

国重文東西回廊(東)の附 三井神社末社3棟

        

国重文 大炊殿 桁行五間、梁間三間、切妻造、本瓦葺

附 井戸屋形1棟

                           

御車舎と葵祭資料館

                

水ごしらへ場

   

葵の庭(カリンの庭)

   


May, 2013 中山辰夫

  

 

        

               

              

                  

              

     

  

  

            


Apr.15, 2013 中山辰夫

下鴨神社で見る葵祭

説明 「京都葵祭パンフレットより引用」

 

舞台中央に三人の女性が入場する。被着装者(御方 おかた)と、その前後に位置する着付者(衣紋方 えもんかた)二人である。

前衣紋方は御方に息がかからないように終りまで膝をつき、衣紋を上げる。(衣紋をあげる=きつけすること)

後衣紋方が単(ひとえ)を運び、御方の後から着せる。

  

御方は白小袖に紅長袴姿である。髪には櫛と平額に日蔭糸を付けている。前衣紋方は襟先を整えて、衣紋紐(赤い紐)で結ぶ。

袿(うちき)は全部で5枚着る。そのため「五衣 いつつぎぬ」と呼ばれる。室町以降のこと。

一枚目の袿

一枚目の袿を着せて、衣紋紐で結ぶ。何枚重ねても紐は一本である。 初夏にふさわしい萌黄色である。

   

二枚目の袿

純白の単衣である。単衣を結び留めている赤い衣紋紐は蝶結びである。

  

三枚目の袿

「五衣」は淡い紅色から濃い紅色への色目に変わる。その色目のかわりが見る者に楽しみとされる。

単衣は絹で色つやがある。草木染めで植物染料を使用しており、原料は全国から集める。御所の回りを歩くとトントンと衣の仕上げ職人の作業音が聞こえるが

全国の8〜9割を京都でまかなう。

    

四枚目の袿

仕上がりは一本の衣紋紐のみで結ばれる。祭当日は10時から17時頃まで崩れないよう、トイレにも行けない。前日より水を断つようだ。

    

五枚目の袿

四枚目までの衣紋紐を抜き取る。 単衣は絹で色つやがある。草木染めで植物染料を使用している。全国から原料を集めるが、衣の仕上げる職人は

御所の回りに多く、全国の8〜9割をまかなう。

    

ここから織りの世界に入る。胸元や袂に色が重なる。紋も入る。

打衣(うちぎぬ)

真っ赤な萌黄。もともとは紅色の綾織物を砧(きぬた)で打って光沢を出したことから、「打衣」の名前がついた。裏地の色もあざやかである。

 

    

表着(うわぎ)

下りの世界に入る。紋も入る、表着と続く唐衣は豪華である。

   

唐衣(からぎぬ)

羽織の一種。襟元を大きく折り返してある。身ごろの丈も短い。丁が羽を広げる合わせ蝶の紋である。

    

仕上げ〜完成

裳(も 腰から下の方に着ける衣で後方に長くひきずる)は3mほどの長さである。檜扇(ひおうぎ)や帖紙(たとう)をわたす。

着付の時間は15分強であった。十二単衣は重さが15〜6kgあるようで、女性にとっては大変な負担である。

頭上には、太陽がシンボライズされた飾りをのせる。

葵祭では男女合わせて530人強の着付けが行われるため早朝よりの作業となる。東京の衣紋方も協力する。

     

王朝の舞披露

二人の衣紋者が退場された後に行われる。踊りではなく、地面から足を離さない舞である。長い裳が見える。

               

≪参考≫

   

以下は、財団法人民族衣装文化普及会「十二単衣の基礎知識」より引用

十二単衣の歴史

奈良時代の後期に着物の原型が生まれたと言われ、平安時代により現代に近い着物が生まれました。十二単衣は平安時代の中期に完成した女房装束の儀服です。

女房装束の代表格・十二単衣は、成人女性の正装です。

宮中などの公の場所で晴れの装いとして着用されました。着用するときも限られていて、宮中の儀式など、公家女房の晴れの装いとして用いられました。

現在では御即位の大礼の儀、皇族妃の御成婚の儀に用いられます。

十二単の構成

全体の構成は、「唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ) ・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)からなり、髪型は大垂髪(おすべらかし)が基本です。

唐衣(からぎぬ)

男性の束帯に相当する女性の第一正装。唐衣はその一番上に着る衣なので、十二単衣の装束の中で一番美しく構成され、唐服を模したところから唐衣と言われる。上半身を羽織るだけの短い衣で、背身頃は前身頃の約三分の二の長さ、袖丈より短い。

桁も下の「襲(かさね)」を見せるため短く出来ている。奈良朝時代には袖がなかったが、藤原時代に袖がつけられた。最初は袖口に置口といって飾りの別裂がついていた。襟は裏を返して着る。

地位により地質・色目・文様に区別があるが、普通には地文の上にさらに別の色糸で上文を織り出した二重織物が用いられ、裏地には板引きの綾絹などを用いる。

表着(うえのきぬ・うはぎ)

表着は唐衣の下に着る。袿であるが、多くの袿の一番上に着るのでこの名があり、下に着る五衣(いつつぎぬ)の襲(かさね)を見せるため少し小さめに作られている。

二重織物などの高級な生地が用いられ、裏は無地で、襟、袖口、裾が一センチほど「お退り(おめり)」に仕立てられている。垂頸(たりくび)の衣で襟、袵があり袖は広袖。常に袷で、綿入れはない。

文様は「立涌」、「唐草」、「菱文」などが多い。色は赤、萌黄、二藍などのほか重色目も使われる。

打衣(うちぎぬ)

表着の下に着る袿で、打衣の名称はもと紅の綾を砧でうって光沢を出したことからつけられたが、のちには打つ代わりに「板引き」といって布地に糊をつけ漆塗りの板に張り、よく干して引きはがして光沢を出すようになった。表地は綾、裏地は平絹を用いる。色は紅色または濃色(こきいろ)で、紅に別名もある通り、紅染めの衣である。地文のみで上文はない。

五衣(いつつぎぬ)

袿を五枚重ねて着るので五衣とよばれるが、形や大きさは表着と変わらない。

地質は綾、唐綾、絹などを用いる。袷仕立てで、袖口、襟、裾が細めに見えるように中に挿んで着る。文様は地文のみで、五枚の色の重ね方や配合に美意識を働かせており、これを「襲色目(かさねのいろめ)」という。古くは十数枚重ねたこともあったが、十二世紀末ごろから、五枚が正規となった。

単衣(ひとえ)

単と書くこともある。袿の下に着るもの。形は袿と同じだが、桁と丈が他の袿より大きく長く仕立てられている。常に単衣仕立てで、地質は綾、絹など。色に決まりはないが、文様は菱に限られている。夏は単重といって、二枚を重ね、袖口で一枚のようにひねり合わせて着た。

長袴(ながばかま)

この袴は筒形で、裾は後ろに長く引く。表裏とも緋色の精好地(せいこうじ)。前後の紐が一連で、左脇が輪になり、右脇に両紐が出ているので、前紐を後ろへ回し、左脇あきから前へ通し、後紐と共に右腰前方で形鉤(かたかぎ)に結ぶ。

裳(も)

裳は奈良時代には腰に巻いたものだったが、平安時代になって衣服を数多く重ね着するようになり、腰に巻くことができなくなったため、腰に当てて結び、後ろに垂れて引くものになった。

裳の形は八幅か十幅の布地を使って縫ったもので、腰に当てる固い部分を「大腰(おおごし)」といい、その左右から分かれて左右脇より下へ引くものを「引腰(ひきごし)」。

また大腰の左右から出ている紐を「小腰(こごし)」という。地質は経(たて)生絹、緯(ぬき)半練りの綾織物で、夏は穀織(こめおり)、紗など。三重襷(みえだすき)の地文の上に松、鶴、桐竹、鳳凰、海賦(かいふ)などの模様が地摺り、箔押、纐襭(こうけち)、描絵などでほどこされている。色は白、赤、青、裾濃(すそご)などがある。また、「小腰」は、唐衣の表裂の共裂(ともぎれ)を用いる。

大垂髪(おすべらかし)

垂髪は古代から現代までの基本の髪型であるが、大垂髪は、平安時代に始まり、室町時代、江戸時代へと三段階、三様の変化を遂げながら、現代に至っている。

平安時代の垂髪は裾を引くほどに長いのが理想とされ、黒く艶があり、豊かなことが要求された。成人すると「鬢批ぎ(びんそぎ)」の儀式があり、頬にかかる一部の髪を目より30センチほど下で短く切る習慣があった。

室町時代は額を四角く出し、髢(かもじ)を繁いで、背中でいくつも結び目を作って垂らした。

江戸時代になると、結髪式に鬢を張らせるので、後から見た形が杓子に似ている。この杓子の最も大きいのを「お大(おだい)」と称し、仙花紙を幾枚も張り重ねて堅くし、黒く塗って作った「つとうら」を用いて形を作る。次に二メートルに近い丸髢を髪上げの道具につないで、前髪の位置から後に垂らす。前髪は上げずに、垂らした髪は元結で四か所結ぶ。上から首の後の辺りで絵元結を結び切りに、二番目は少し下がった所に紅の水引きを片鉤(かぎ)に結び、三番目、四番目は共に「こびんさき」と言って、縦四つ織りにした白い紙を、いずれも片鉤に結ぶ。

 


Dec.2012 大野木康夫 source movie

                                      

                                               

                                     


Dec.10,2011 大野木康夫 source movie

   

  

    

     

                 

          

     

              

           

       

     

   

   

      

    

     

 

    

   

          

  

 

 

 

 

    


May 2009  瀧山幸伸 source movie

                                                                                                                                                           

                                                                                                                                                    


Feb.2005 瀧山幸伸 HD(1280x720)

     

 

     

  

   


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