京都府宇治市 平等院
Byodoin,Uji city,Kyoto
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宇治市宇治蓮華116 浄土院養林庵書院 重文 近世以前/住宅 桃山 桃山 桁行9.1m、梁間9.9m、一重、正面入母屋造、背面切妻造、檜皮葺、側面庇附属 19270425
宇治市宇治蓮華116 平等院観音堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺 19020417
宇治市宇治蓮華116 平等院鳳凰堂 中堂 国宝 近世以前/寺院 平安中期 天喜元(1053) "中堂、両翼廊、尾廊より成る桁行三間、梁間二間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺" 旧板扉8枚、旧鳳凰棟飾1対 18971228 19510609
宇治市宇治蓮華116 平等院鳳凰堂 両翼楼(北) 国宝 近世以前/寺院 平安中期 天喜元(1053) 桁行折曲り延長八間、梁間一間、隅楼二重三階、宝形造、廊一重二階、切妻造、本瓦葺 18971228 19510609
宇治市宇治蓮華116 平等院鳳凰堂 両翼楼(南) 国宝 近世以前/寺院 平安中期 天喜元(1053) 桁行折曲り延長八間、梁間一間、隅楼二重三階、宝形造、廊一重二階、切妻造、本瓦葺 18971228 19510609
宇治市宇治蓮華116 平等院鳳凰堂 尾廊 国宝 近世以前/寺院 平安中期 天喜元(1053) 桁行七間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺 18971228 19510609
April 29,2024 大野木康夫 source movie
門前の藤
表門
ツツジ
観音堂前の藤は盛り過ぎ
鳳凰堂
浄土院養林庵書院
浄土院
宇治川
October 13 and 22, 2019 野崎順次 source movie
京都府宇治市宇治蓮華116
平等院
ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。
JR宇治駅から歩く。
パンフレット、表門
扇之芝
国重文 観音堂 鎌倉初期
国宝 鳳凰堂(阿弥陀堂)
国史跡・名勝 平等院庭園 浄土式庭園
この阿弥陀堂建築に対して前面の池庭は、浄土曼陀羅そのものの表現としての池庭である。しかし本園を熟視すると、実はこの鳳凰堂は池庭の中島に作られていることが解り、池庭の中島に建築を設けることは、上古における池心宮式のものであって、この園地が、ただ単に永承年中、またはその前の長徳年中に、道長や頼通が池庭を作ったのではなく、菟道稚郎子の山荘園地が荒廃しながらも残っていたものを、利用したものと考えることが必要である。
平等院には、この園地の古地図が保存されているが、それを一覧すると、鳳凰堂が大中島に建立されていることの外に、他にも小中島が図示されていることが解り、本園が上代の園地を大体に保存するとともに、これを道長や頼通の時に改修して作庭したものと考えてよい。
ただしかし、本園はその後、建武の兵火や、明応期の荒廃があって、池庭が大変に荒廃して石組などもなくなり、池の地割だけがようやく保存されて来た。しかしさらに近年の大改修によって、池畔の護岸が、全く河川石垣風に改修されてしまって、文化財の保存を云々する人々の修理が、逆に悪改修をしてしまったのは残念である。堂前の石燈籠はもと金燈籠であり、基礎のみが平安期で、竿から上は鎌倉期の作品となり、平等院型として有名である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」平等院庭園より)
鳳凰堂は東向きである。まず、北側から見る。
東側正面
東南から
南から
元に戻って、北から見る。
鐘楼あたり、梵鐘はレプリカ
鳳翔館 2001年3月1日開館
栗生明設計、日本芸術院賞、日本建築学会賞作品撰奨を樹壮、
旧南門
国重文 養林庵書院
浄土院あたり
浄土院羅漢堂あたり
不動堂、頼政公のお墓、最勝院
帰途、宇治川へ
Nov.19,2018 瀧山幸伸
Edited Movie(Evening) Download YouTube
門前
夜間拝観
南門
浄土院養林庵書院
梵鐘(レプリカ)
観音堂
藤棚ミスト
鳳凰
鳳凰堂背面から正面へ
鳳凰堂
ハス、サルスベリ
門前上林三星園
鳳凰堂修理後初の一般向けライトアップ
京都府宇治市宇治蓮華116
世界遺産 登録:1994年
平等院鳳凰堂 国宝 国宝指定年月日:1951.06.09
平等院観音堂 重要文化財 重文指定年月日:1902.04.17
平等院庭園 史跡・名勝 指定年月日: 1922.03.08
紅葉の景観も美しい。訪問時は一部青葉もあって見頃は12月と思われるが、この状態でも十分見ごたえがある。
アプローチ、表門付近
平等院 鳳凰堂 庭園 観音堂 他
京都府宇治市蓮華116
朝日山 平等院
(Byodo-in Temple, Uji City, Kyoto Pref.) ときの権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業を、その子頼通が永承7年(1052)にこれを仏寺に改め、平等院としました。永承7年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。その翌年の天喜元年(1053)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されております。
平等院の国宝
鳳凰堂(中堂・両翼廊・尾廊)4棟
阿弥陀如来坐像
木造雲中供養菩薩像 52躯
木造天蓋
鳳凰1対
梵鐘
壁扉画14面
(オフィシャルサイト京都観光Naviより) 重要文化財
観音堂
木造十一面観音立像
養林庵書院 - 山内寺院の浄土院に建つ。非公開。
史跡・名勝
平等院庭園 - 浄土式庭園
(ウィキペディア「平等院」より)
パンフレット
アプローチ、JR宇治駅から商店街を経て表参道に入る。宇治茶の店が多く、よいお茶の香りがする。
表門あたり
国重文 観音堂 鎌倉前期
ちょうど盛りの藤棚
国宝 鳳凰堂 平安中期 天喜元年(1053)
梵鐘(模造)
鳳翔館
旧南門 桃山
青もみじ
国重文 浄土院養林庵書院 桃山
その他、羅漢堂回り
山科駅
奈良線の車窓から
JR宇治駅から平等院へ
平等院の雪景色
帰路、京阪宇治駅へ
A camera
B camera
鳳凰堂の修理が尾廊を除き終了し、素屋根が解体されました。
門前
鳳凰堂
赤い塗装が鮮やかです。
鳳凰も金色に輝いていました。
養林庵書院
観音堂
September 10,2012 平等院鳳凰堂は平成24(2012)年9月から平成26(2014)年3月まで修理中です。
修理が始まる際の足場組の作業がおこなわれているところです。
修理が終わると瓦が新しくなり、木部や漆喰壁も塗り直されるので色鮮やかな姿になります。
所在地 京都府宇治市宇治蓮華116
1月10日の朝、小雪の舞う中、平等院へ行きました。 ときの権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業をその子頼通が、永承7年(1052)にこれを仏寺に改め、平等院としました。
永承7年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。
その翌年の天喜元年(1053)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。
約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されております。
(平等院HPより)
観音堂(重要文化財)
鎌倉時代前期の建築
桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺
浄土院養林庵書院(重要文化財)
桃山時代の建築
桁行9.1m、梁間9.9m、一重、正面入母屋造、背面切妻造、檜皮葺、側面庇附属
旧南門
桃山時代の建築
伏見城の城門であったとされる薬医門
鳳凰堂(国宝)
天喜元(1053)年の建築
中堂、両翼廊、尾廊より成る
中堂
桁行三間、梁間二間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
両翼廊(南)
桁行折曲り延長八間、梁間一間、隅楼二重三階、宝形造、廊一重二階、切妻造、本瓦葺
両翼廊(北)
桁行折曲り延長八間、梁間一間、隅楼二重三階、宝形造、廊一重二階、切妻造、本瓦葺
尾廊
桁行七間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺
No.1 Mar. 2006 source movie
鳳凰堂
観音堂
鐘楼
養林院書院
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