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京都府宇治市 興聖寺

Koshoji,Uji city,Kyoto

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 Nature
 
 Water
 
 Flower
 
 モミジ カエデ ツバキ サザンカ サツキ
 Culture
 
 
 Facility
 
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June 12, 2022 野崎順次 source movie

京都府宇治市宇治山田27
曹洞宗
仏徳山 興聖寺

日本曹洞宗最初の寺院である。道元が興聖宝林寺を建立したことに始まる。本尊は釈迦三尊。参道は「琴坂」と称し、紅葉の名所として人気を博している。「春岸の山吹」「興聖の晩鐘」は宇治十二景に含まれている。境内は京都府の興聖寺文化財環境保全地区に指定されている。

パンフレットと現地説明板、
      


表門(石門) - 慶安年間(1648年 - 1651年)建立、およびその周囲
     


府名勝 琴坂
宇治川右岸に面した表門より山門に通じるまでの200m程の緩やかな勾配参道は、「琴坂」と呼ばれ、京都府指定名勝となっている。紅葉と桜で有名である。琴坂の参道沿いに流れる湧き水は、本堂脇の貯水槽に一旦貯められた朝日山の山水が流れており、その水の流れがあたかも琴の音色に聞こえ、長い参道が琴の形状に似ていることから琴坂と呼ばれるようになった。
    


市文 山門(竜宮造) - 天保15年(1844年)に改築
           


市文 中雀門(薬医門) - 弘化3年(1846年)建立
  


市文 鐘楼 - 慶安4年(1651年)建立、梵鐘(市文)も慶安4年(1651年)の鋳造、「興聖寺の晩鐘」として「宇治十二景」と「宇治十境」の一つに数えられている。
   


中雀門あたり
     


市文 鎮守社 - 祭神:秋葉大権現。六角形の建物
    


法堂前庭園(法堂から見て右側)と石塔(江戸初期造立)
        


法堂前庭園、法堂から見て左側

浮島十三重石塔九重目の笠石と相輪 - 浮島十三重石塔は1908年(明治41年)に再建されたが、九重目の笠石と相輪は当寺に移された。

     

府名勝 法堂前枯山水庭園
                    


市文 庫裏
         


府名勝 大書院池泉庭園 石造多層塔と黒松を植樹した出島と中島が造られている。
                       


大書院 - 1912年(明治45年)建立。宇治川電気が当寺の西に発電所を作りたいというので境内の一部を売却し、資金とした。1919年(大正8年)に貞明皇后行啓の際に使用された。
       


大書院の反対側には山畔を活かした苔庭がある。
           


市文 法堂(本堂) - 慶安元年(1648年)に伏見城から移築され、改築された。伏見城の戦いの際に東軍の鳥居元忠率いる守備兵は敗北し、自害した。その血が付いたままの床板を天井板として使っている為、血天井と呼ばれている。掛かっている「興聖寶林禅寺」の額は四条天皇筆の勅額である。
                        


市文 宝物殿(祠堂殿、知祠堂) - 祀られている聖観音菩薩立像(市文)は手習観音と呼ばれている。『源氏物語』宇治十帖の手習之古蹟である「手習の杜」に祀られていたとされる。
       


市文 天竺堂(天竺殿)
           


開山堂回りの枯山水庭園
            


市文 開山堂(老梅庵)の内部、 寛延3年(1750年)に塔頭・東禅院の大悲殿を移築したもの。
     


市文 僧堂 - 慶安元年(1648年)建立。元禄15年(1702年)に改築。
              


帰途、宇治川沿いに下る。
             


参考資料
ウィキペディア「興聖寺(宇治市)」


Dec.2011 中山辰夫

宇治市宇治山田27−1

宗派:曹洞宗永平寺派の修行道場

本尊:釈迦三尊像

開山:道元禅師 

京阪電車宇治駅から徒歩約10分の距離。JR宇治駅からは徒歩で約25分かかる。

 

宇治橋右岸を川上へ、宇治神社の鳥居前を通り過ぎ。宇治川水力発電所の放水路を越えて暫らく進む。

    

左側に石造りに表門(総門)がある。

    

この表門から約200mの参道は「琴坂」と呼ばれ、4月はヤマブキが咲き、11月はモミジのトンネルで、絶好のカメラスポットである。

脇を流れる谷川のせせらぎが、琴の音に似ていることから「琴坂」と称される

      

モミジのトンネルを通り過ぎると、竜宮造りの山門(楼門)。中国風の白い門である。この山門からの琴坂の眺めも素晴しい。

   

寺域はかなりの広さで、諸堂を囲む両翼の白壁が威厳を保つ。

    

興聖寺は曹洞宗のお寺。天福元年(1233)の開祖で、日本曹洞宗の最初の寺院で修行道場である。

江戸時代初期に、淀城主 永井尚政(ながいなおまさ)が菩提寺として復興した。

     

山門を過ぎると右側に、鐘楼・左側に衆寮の建物が建つ。 釣鐘は慶安4年(1651)建立。林道春自選自書の銘がある。

「興聖の晩鐘」として宇治十二景の一つ

    

正面には薬医門が建つ。 弘化3年(1846)改修 廊下で社殿が結ばれている。

      

向かって右の建屋は庫裏である。

  

薬医門をくぐると石組の庭園で、これは本堂の前庭となっていている。

前庭のツツジ・サツキも美しく、琴坂のモミジ・カエデと合わせて、宇治十二景の一つとされる。

       

本堂

朝日山を背景に建つ。慶安元年(1648)建立。伏見桃山城の遺構より建立。

血染の天井、鶯張りの縁

    

額は四条天皇勅額である。

   

血天井

慶長5年(1600)に、前哨戦となった伏見城の攻防戦で、豊臣軍の大軍に攻められ伏見城中で自刃した徳川軍の

鳥居元忠(とりいもとただ)ら約800人を供養するために、自刃した血痕が残る大広間の床板を天井にして祀られている

同じ血天井が、養源院・宝泉院・正伝寺・源光庵にも残る

僧堂と経堂

慶安元年(1648)建立 元禄15年(1702)改修

    

開山堂

寛延3年(1750)改修

永興詮慧和尚代になる祖像を安置

  

境内を取仕切る石敷の通路

    

大屋根が重なり合う寺観

    

モミジ

          

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