三重県伊賀市 寺田
Terada,Iga City, Mie Pref
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のどかな農村に優れた摩崖仏 |
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洗練された石造美術 |
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September 5, 2020 野崎順次 source movie
三重県伊賀市寺田
寺田地区石仏めぐり
(Stone Buddhist Images in Terada Town, Iga City,
Mie Pref.)
午前8時半大阪難波発近鉄特急に乗った。桜井・名張間の景色が好きだ。
名張で急行に乗り換え、伊賀神戸に9時37分着、7分後に発車する伊賀鉄道を捕まえ、10時10分に上野市に到着した。
10時20分発の三重交通バスで、10時35分頃下岡山に着いた。ここは寺田地区の南端である。帰りのバスは隣の荒木バス停で、13時6分に乗らないと、その次は15時41分だ。コンビニ、食堂、喫茶店など見あたらないし、酷暑晴天なので、時間のつぶしようがない。
服部川沿いの国道163号線(伊賀街道)をしばらく歩く。大型車を含む交通量が多く、歩道がないので気を使う。ゆるいカーブを回り込むと中之瀬の摩崖仏の横に出た。
県文 中之瀬阿弥陀三尊摩崖仏 鎌倉時代後期
概要: 旧伊賀街道が川の対岸にあり、行人は川越で磨崖仏を合掌した。
現状・規模: 中尊阿弥陀立像は、全高390cm・像高298cm、観音菩薩は、全高175cm・像高146cm、勢至菩薩は、全高173cm・像高133cm、地蔵菩薩は、全高320cm・像高250cm、不動明王は、全高295cm・像高240cm。
形状: 二重光背形に彫り,くぼめた中に上品下生来迎印の阿弥陀立像を半肉彫りし、三尊の蓮弁は線刻であらわす。頭光から二条-三条ずつの光明が放射している。観音・勢至は線刻であらわす。向かって右側の観音は蓮台を捧げ、宝冠左右から三条ずつ瓔珞を垂下する。左の勢至は合掌する。三尊の左に線刻の不動明王立像、右に線刻の地蔵立像が彫られる。地蔵立像の顔は、正面向きでなく阿弥陀三尊の方に向けている。右手は与願印・左手は宝珠を持つ古式の像である。右方に少し離れて蓮座上の月輪に「アク」の梵字が刻まれる。特に阿弥陀三尊は鎌倉後期はじめの様式を示すしっかりした石仏である。
伝承: 中之瀬磨崖仏の作者は、新大仏寺の石造須弥壇に彫刻を刻んだ宋人石工ではなかったかといわれる。地蔵菩薩は中之瀬のコーリジゾー(子売地蔵)とよばれて、伊賀人に親しまれ「安産生御守」の版木は羽根の永福寺が所蔵するといわれる。
(日本石造物辞典編集委員会「日本石造物辞典、2012」より)
残念ながら、日差しの角度が悪く、線刻がほとんど見えない。
全景
阿弥陀三尊
地蔵菩薩
不動明王
左の端に彫りくぼめているような箇所があった。
車道を戻り、大光寺(大岡寺)の参道を少し上ると、行者堂がある。
さらに少し上ると暗い山道となり、北向地蔵の巨石が見えてきた。
市文 寺田北向地蔵石仏 南北朝時代
概要: 『西大寺諸国末寺帳』明徳二年(1391)本に「八鳥服部、大岡寺」がみえる。大岡寺は大岡山南面の山胸部にあり、北向地蔵石仏はその参道に所在する。伊賀市の指定名称は岡山の石仏である。
現状・規模: 高さ140cmの岩の北面に穿たれた高さ69cm、幅136cmの隅切り長方形の枠内に彫られる。
形状: 花崗岩製。自然石に隅切りの枠取りを造り、錫杖と宝珠を持つ地蔵三体が彫られる。地蔵の座する蓮座の蓮弁は魚鱗葺であらわす。敷茄子は格狭間四個を彫り出す。反花は複
弁蓮華となり、框座は壇上積となる。光背は二重円光で頭光には単弁蓮華文を彫り出す。摩滅も少なく、丁寧な彫刻で伊賀の石仏では最高の出来である。
(日本石造物辞典編集委員会「日本石造物辞典、2012」より)
すぐ横の二尊石仏
山道を降り、田んぼの中の道を寺田の集落へ向かう。五輪塔と小さな摩崖仏が祀られていた。
市文 寺田地蔵座像 鎌倉時代後期
概要: 正清寺所有。もとの所在不明。磨崖仏を切り取って現在の地蔵堂に安置した。
現状・規模: 高さ94cm、幅90cmの岩面に穿たれた隅切り長方形の枠内に彫られる。
形状: 花崗岩製製。縦長の自然石に上部のみ隅切りを施した彫りくぼみを造り、その中に半肉彫りの地蔵坐像を彫る。像は剃髪の僧形、顔は手ずれで摩滅しているが、顔を前に向け、偏袒右肩に柄衣を付け、右手は右胸前で錫杖を持つ。左手は肘を下にして大腿部に乗せ掌に宝珠を取る。地蔵の坐る台座は単弁受花、敷茄子、複弁反花座となる。光背は二重円光で、頭光には蓮花文の単弁を彫り出す。
(日本石造物辞典編集委員会「日本石造物辞典、2012」より)
その他
荒木バス停に戻る。その近くに荒木又右衛門生誕の碑があった。
服部川と稲田
帰途、伊賀鉄道上野市駅から伊賀神戸へもどる。
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