三重県桑名市 桑名石取祭
Ishidorimatsuri in Kuwana, Kuwana city, Mie
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August 5,2018 大野木康夫 source movie
桑名石取祭の祭車行事(重要無形民俗文化財)
桑名石取祭の祭車行事は、桑名市中心部に鎮座する旧城下町桑名の総鎮守である桑名宗社に対して行われる行事で、氏子町内から祭車と呼ばれる車が出され、鉦、太鼓で激しく囃しながら曳き回される。
この行事は、本来夏の禊ぎ祓いの意味を持ち、清らかな石をとって祭地を浄める祭りで、現在は氏子の各町内が11の組に分かれて参加する。桑名宗社は、桑名神社と中臣神社の2社からなり通称春日神社と称される。
この桑名宗社の氏子の町内には元々春日神社の氏子であった本氏子と石取祭に参加するため春日神社の氏子になったといわれる準氏子がある。
桑名市は三重県北東部に位置し愛知県と境を接する。江戸時代には桑名藩の城下町であり、東海道の宿場町でもあった。木曽川、揖斐川、長良川が合流する河口の、尾張から海上7里を渡った所に位置し、伊勢参詣の出発点としても賑わいを見せた。
この祭の初見史料は『慶長自記』で、その慶長18(1613)年の条に「七月十七日石取アリ」と見える。このことからすでにこの時期に石取の行事があったことが窺えるが、祭礼ではなく石を取る行事のみであったといわれている。この『慶長自記』に見える行事が祭礼化したのが現在の石取祭である。
期日は、現在8月の第一日曜日に行われているが、江戸時代初めには7月17日、江戸時代後期には7月7日、その後大正9年からは7月12日、昭和33年からは8月7日、そして昭和46年からは現在の祭日になった。
石取祭は基本的には町と呼ばれる自治会単位で祭車を所有して行事に参加するが、複数の自治会が連合した組織で参加している例もあり、その単位は一様ではない。
それぞれの町内には自治会の役職の他に祭りを担当する役員として祭事長、副祭事長がおかれ、青年会、中老会、少年会といった組織が作られている。青年会は15、6才で加入し35〜40才で脱退する。中老会は青年会を脱退した者が加わり50才ぐらいで脱退するとする町内が多い。少年会は中学生までの子どもが加入する組織である。祭りの運営にあたっては青年会が中心になり中老会は指導的役割を担っている。また、祭りの際に祭車を実際に動かすのは、町内の人ではなく、ネトリ又はネドリと呼ばれる桑名の町の周辺の農村部の人達である。
この行事は、6月第一日曜日に行われる御籤占式から始まる。これは本楽での祭車の渡祭の順番を決める行事で、神職、神社役員、各町内の祭事長、青年連盟の会長、副会長が参加して春日神社拝殿で行われる。各町内の祭事長が籤を引き渡祭の順が決まる。特に一番の祭車を花車、最後を末番ともいう。
その後7月第三月曜日には、神社役員、各町の祭事長で構成される祭事長会議の議長、副議長、青年連盟の会長、副会長が参加して川原祓式が町屋川で行われる。この時には参加者が石を入れた献石俵を春日神社と青年連盟の分2俵ずつ作り、春日神社に運んで桑名神社と中臣神社にそれぞれ奉納する。この献石俵は石取祭が終わるまで供えられ、祭り終了後は中から石が取り出されて、拝殿前に撒かれる。
8月第一日曜日には本楽と呼ばれる行事が行われる。その前日の土曜日を試楽といい、試楽前日の夕方から祭車が曳き出され祭りの準備が始まる。
試楽の深夜0時には春日神社で鉦鼓打始式が行われ、太鼓の音を合図に青年連盟会長が赤提灯を振ると、組単位に集まった祭車が鉦鼓を叩き始める。これを叩き出しといい、その後祭車がそれぞれの組内を曳行する。
朝10時頃から神社では朝御饌祭がはじまる。その前に参加町内は川原祓式後に町屋川で拾った石を入れた献石俵を春日神社拝殿前に奉納する。
夕方になると町練りといって各組単位で祭車が集合し組内の曳き回しを行う。この町練りでは決められた順路を通りながら曳き別れ場所に向かい、ここで曳き別れを行うと、試楽の鉦鼓が停止される午前0時までに町内に引き上げる。
本楽の日は、夜中1時半から春日神社で鉦鼓打始式が行われ、2時には太鼓の音を合図に青年連盟会長が提灯を振って2時の叩き出しが始まる。これがすんで夜が明けると神社役員と青年連盟役員が春日神社に集合し、祭車整列位置と渡祭後定位置の番号札付けを行う。
石取祭に参加する町内は大きく北市場と南市場の2つに分かれており、渡祭の際の祭車の並び方も北市場並びと南市場並びがあり1年交替で並ぶ場所を交替している。
本楽の午後になると、各町内の祭車は、送り込みといって渡祭順に定められている整列位置に向かって移動する。この途中祭車は神社役員が詰めている立宿の前を通り確認を受ける。すべての祭車が整列位置に着くと、午後4時半頃には渡祭準備のため各祭車は整列位置から曳き出され、春日神社に向かう。一番籤を引いた花車と呼ばれる祭車が春日神社手前に着いて停止すると、後ろに続く祭車も順次停止し渡祭に備える。
夕方、春日神社で夕御饌祭が行われると神職と神社役員が楼門前に向かい、春日神社の斎火を提灯に移し渡祭順一番の花車の祭事長・自治会長に引き渡す渡祭始式が行われる。斎火を受け取った花車の祭事長は自分の町内の提灯に移すと次の番の祭車の祭事長に斎火を渡し、以下順々に斎火が渡されて提灯に灯されていく。
花車が渡祭をすると、順番にしたがって各祭車が渡祭をしていく。渡祭は各祭車が神職と神社役員の待つ楼門前に進み番号札を神職に渡してお祓いを受けて退出するもので、神社役員の振る提灯の合図で楼門前に進み、同じく提灯の合図で退出する。
渡祭が終了した祭車は、すべての祭車の渡祭が終了するまで定められた渡祭後定位置まで進んで待機し、花車から順番に定められた場所で曳き別れを行い各組の帰路待ち合わせ場所に向かって待機する。組の全祭車が揃うと各組に向かって帰路につき、それぞれ適当な場所で曳き別れを行い町内に戻っていく。
わが国に数多く見られる山・鉾・屋台は神霊の依るダシを賑やかな行列で鎮め送ることを本来の目的にしたものといわれている。そのダシが美的建造物になるところに成立したのが山や鉾であり、それを囃す行為とともに造形化されたのが各種の屋台である。この行事は、採取した石を氏神に奉納することを目的に成立した行事で、石取という行事から祭礼へ展開したものとして注目される。我が国における山・鉾・屋台の祭の成立過程においてこの行事は特色ある展開過程をとったものとしてその変遷過程を知る上で重要である。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)
(国指定文化財等データベースより)
8月5日、桑名石取祭の本楽を見に行きました。
昼1時から送り込みが始まります。
送り込みは本楽に参加する祭車38台が渡祭の順番に並ぶものですが、今年は南市場並びということで、桑名港交差点の南西に設置された立宿から近鉄益生駅付近まで一列に並びます。
立宿に向かう各町の祭車を撮影しました。
立宿付近
立宿の少し南側の日陰で、整列位置に向かう各町の祭車を撮影しました。
送り込みの際の囃子は主に子供会が行っているようです。
渡祭のときに主力となる青年会は、祭礼行列では羽織や浴衣姿で行列をしていることが多いからかもしれません。
この日は暑かったので、しばらく撮影してから桑名宗社の南にある石取会館で休憩しました。
桑名宗社の前で渡祭が始まるのが午後6時30分からなので、その1時間前に桑名宗社前に行って待ちました。
6時過ぎまではあまり人も集まらない状態でしたが、渡祭直前には多くの人が桑名宗社前に集まってきました。
渡祭の一番くじの祭車は花車と呼ばれます。
今年は馬道の祭車が花車でした。
渡祭は、桑名宗社に向かって祭車を停め、5分から6分の持ち時間で祭車の後部に取り付けられている太鼓と大鐘を打ち鳴らして演奏するもので、交代しながら全力でたたきます。
各町くじの順番で渡祭を行います。
19番の春日町まで撮影しました。
午後9時になったので、田町交差点に行き、祭車の曳別れを見ました。
渡祭を終えた祭車は、桑名宗社の北、七里の渡し付近で待機した後、田町交差点で四台が一斉に囃子を演奏してから各町に帰ります。
10時にバッテリーがなくなってきたのに気付いたので、曳別れを待つ祭車を撮影しながら帰りました。
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