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三重県松阪市 宝塚古墳

Takarazukakofun,Matsusaka city,Mie

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Feb.13,2018 中山辰夫

三重県松阪市宝塚町・光町 (宝塚古墳公園内)

1932(昭和37)年国史跡に指定。

宝塚古墳は、松阪の市街地から南へ3kmほど離れた丘陵の上にある古墳2基(宝塚1号墳・宝塚2号墳)の総称で、旧伊勢国最大の古墳。

国の史跡に指定され、1号墳の出土品、276点は国の重要文化財の指定を受けている。

       

1号墳

古墳時代中期の5世紀初頭頃の築造と推定される。被葬者は明らかでないが、当地の豪族の飯高氏祖とされる乙加豆知命(おとかずちのみこと、に比定する伝承がある。被葬者像としてはヤマト王権から伊勢の支配を移譲された在地系有力者と想定される。

墳形は前方後円形で、前方部を東方に向ける。

規模

墳丘長:111m 後円部 3段築成  直径:75m 高さ:10m(出島状施設裾から)墳丘北側には出島状施設(造出の類型)が付されていた。、特に多種多様な形象埴輪が出土した。

造出し

出島状施設は造出の類型になる付帯祭祀施設とされるが、主墳丘に直接取り付く造出とは異なり、主墳丘から離れて位置し土橋で連結されるもの。

       

特に多種多様な形象埴輪が出土した。船形・眉形・囲形・家形・蓋(きぬがけ)形などの埴輪

      

船形埴輪はあたかも港に停泊しているかのような状態での出土。全長140cm、高さ92cmと全国最大、威儀具を備えた王者の船として装飾されており他に例を見ない。

後円部墳頂

    

周囲の全景

       

前方部から望む後円部と後円部から望む前方部

 

後円部墳

  

2号墳

帆立貝形古墳 墳丘長:90m 高さ:10.5m 築造:5世紀前半〜 家形・蓋形・眉形の形象埴輪などが出土 

       

出土した埴輪は松阪市文化センターで収録・展示されている。

参考資料≪パンフレット、ウイキペデイア、三重県の歴史散歩、他≫


Feb.6,2018 瀧山幸伸 source movie

国史跡

 宝塚古墳は、松阪の市街地から南に3kmほど離れた丘陵上にあります。1号墳と2号墳からなる古墳で、昭和7(1932)年に国史跡に指定されました。かつて周囲には、下図のようにたくさんの古墳が存在したことが知られていますが、残念ながら開発により、そのほとんどが姿を消してしまいました。

平成11(1999)年から、古墳を保存・整備する手がかりを得る目的で、松阪市が発掘調査をおこなったところ、1号墳造り出しで類例のない姿の船形(ふねがた)埴輪が発見され、全国的に注目を集めました。船形埴輪をはじめとする宝塚1号墳出土品は、当時の姿をよくとどめており、古墳時代を研究するうえで貴重な資料であるとの評価をうけ、平成18(2006)年に国重要文化財に指定されました。

 今からおよそ1700年前、各地で古墳がつくられるようになりました。古墳とは、土を盛りあげてつくった墓のことで、そこにはクニや地域の王・指導者やその一族が葬られました。古墳はおよそ300年間つくり続けられ、各地に大小さまざまな古墳がたくさんつくられたので、歴史学や考古学では、その時期を古墳時代と呼びます。

 古墳づくりには、当時の最新技術が使われ、多くの人びとが古墳づくりに参加しました。実際に死者を葬るときには、さまざまな儀式が行われ、死者とともにたくさんの道具やアクセサリーなども納められました。

 ひとくちに古墳といっても、さまざまな形のものがつくられました。古墳の形は、葬られた人物の力の大きさによって決まっていたと考えられています。古墳時代の全時期を通して伊勢国最大の前方後円墳である宝塚1号墳は、伊勢の王墓として他を圧倒する規模をもちます。前方後円墳をつくることができたのは、ヤマト王権とそれに関係する限られた人物であったと考えられており、当時の社会情勢などから、宝塚1号墳に葬られた人物は、近畿地方との深いつながりをもち、近畿地方から東国への玄関口にあたる伊勢湾西岸の広い範囲を支配する立場にあった人物と推定されています。

 昭和4(1929)年、三重県を代表する郷土史家 鈴木敏雄氏がおこなった、飯南郡花岡村(当時)遺跡調査の際、村人から聴き取った「宝塚」が古墳の名称となりました。 この鈴木氏の調査が契機となり、昭和7(1932)年には宝塚1号墳及び2号墳は国史跡に指定され、現在まで保存されることとなったのです。

 宝塚1号墳は、5世紀初頭(およそ1600年前)につくられた、伊勢地方で最大(全長111m・前方部最大幅66m・後円部直径75m・最大高10m)の前方後円墳です。古墳の北側には、マツリの場とされる「造り出し」と呼ばれる幅約18m・奥行き約16mの舞台状の場所が設けられ、古墳本体とは土橋でつながっています。これは、「造り出し」という「マツリの空間」が定型化していく過程のものとして、また当時の古墳での祭祀(さいし)の形態を考える上で極めて重要な発見であるといえます。この造り出しの周囲から140点もの埴輪が当時置かれた位置を保った状態で発見され、埴輪群の配列など、古墳でおこなわれたマツリのようすを研究するうえで大変重要な資料となりました。

 宝塚2号墳は、5世紀前半頃に造られた、前方部が短い「帆立貝式(ほたてがいしき)」と呼ばれる前方後円墳です。発掘調査の結果、前方部が道路工事で削られていることがわかりました。しかし、道路の反対側で前方部の角を見つけることができたので、古墳の正確な大きさを知ることができました。また、古墳の頂上では、死者を葬った後にその上で儀式をおこなった場所と考えられる、小石が敷きつめられた区画がみつかりました。2号墳では、1号墳でみつかった壷形(つぼがた)埴輪はみつかっていません。その代わりに、壷形埴輪と円筒(えんとう)埴輪が一体化した朝顔形埴輪がみつかっています。このようなことから、2号墳は1号墳に葬られた人物の後継者の墓であると考えられます。

宝塚古墳の出土品

 平成11(1999)年に着手した発掘調査では、1号墳「造り出し」で他に類例のない姿の船形埴輪が見つかり、全国的に注目を集めることとなりました。この埴輪は、全長140cmとわが国最大規模で、船上に立体的な飾り物を樹立する形としては唯一のものです。この船は、古墳に葬られた人物の生前の業績をあらわしているという考えと、魂をあの世に運ぶ「葬送船(そうそうせん)」であるという考えがあります。船形埴輪のほかにも、円筒・壷・蓋(きぬがさ)・盾(たて)・囲(かこい)・柱状・短甲(たんこう)・家などさまざまなものの形をかたどった埴輪が出土しました。当時(約1600年前)の姿をよくとどめた、多種多様な形象埴輪が畿内以外の地域で見つかる例はめずらしく、この地域の古墳時代を研究する上で貴重な文化財であるといえます。宝塚1号墳出土品は平成18(2006)年に国重要文化財に指定されました。埴輪の一部は、松阪市文化財センター「はにわ館」で展示しています。

(松阪市)

 

1号墳

                                                                     

2号墳

                                           

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