三重県松阪市 市街
Matsusaka downtown,Matsusaka city,Mie
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Feb.13,2018 中山辰夫
松阪市は、三重県の中部に位置し、伊勢湾に面する市である。松阪牛の生産で知られる。
江戸時代は伊勢商人を輩出した商業町であり、現在も紀勢本線や近鉄大阪線・山田線沿線を後背地に持つ三重県の経済拠点の1つ。
江戸時代は紀州藩領であった。
近江国日野城主蒲生氏郷は、織田信長亡き後、羽柴秀吉に仕え1584(天正12)年南伊勢12万石の所領を与えられた。
氏郷は四五百森に着目し、1588(天正16)年新しい松阪城を築城。同時に城下町建設にも力を入れ、海岸沿いを通っていた参宮古道を城下に引き入れ、楽市楽座の制を採用して全国から商人を呼び寄せた。出身地の地名を取って、日野町・平尾町・湊町がつくられ、同じ職人を集めた職人町・魚町をつくった。
これがのちに松阪商人・伊勢商人として江戸に進出し、繁栄を極める礎となった。松阪市では毎年11月に氏郷まつりを行っている。
町中や城には氏郷を慕う碑が散在している。
JR松阪駅より日野町から歩きはじめる 先ず松阪牛の弁当を仕込む
先ず松阪牛の弁当を仕込む
伊勢街道をブラブラ歩く。 一度食べたら十分な老舗「和田金」の前を通る
伊勢街道と大手道の交差点に三井家発祥の地とされる場所に休憩所・ポケットパークが新設され、来遠像が設置されている。
三井家邸宅
1622(元和8)年、三井高俊の4男としてこの地に生まれた高利が、1673(延宝元)年に京都に呉服仕入店を出し、翌年江戸日本橋(現・東京中央区)に、今日の三越につながる越後屋呉服店を開いた。
松阪商人の館(旧小津家住宅)−三重県指定文化財)
本町の旧参宮街道(現・主要地方道伊勢松阪線沿いにある。現在、松阪商人の館として整備・公開されている。江戸中期の豪商の住宅の様子がわかる。
小津家は、代々清左衛門を襲名した江戸店持ちの伊勢商人で、江戸や大坂に進出した多くの松阪出身者の中でも、三井・長谷川などと並ぶ屈指の豪商。この住宅はその本宅。建物は町屋造りの主屋のほか、向座敷・料理場、内蔵、前蔵などが現存する。主屋は1700年前後に建立された。
旧長谷川邸−国重要文化財
「丹波屋」を屋号とする松阪屈指の豪商、長谷川治郎兵衛家の本宅。
長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸に進出して成功をおさめた。1675年、3代治郎兵衛政幸を創業の祖とし、後には江戸に5軒の出店を構える木綿商となった。
長谷川家の広大な屋敷構えは、正面外観は建ちの低い、つし二階建てで、袖壁の上に立派な本うだつが上がっている。左手に表蔵を見ながら玄関をくぐると、奥に向かって通り土間が続き、奥に土蔵がさらに4棟、最も古い大蔵、左に米蔵、大蔵の右手に新蔵と西蔵が並んでいる。
長谷川家には、建物群のみならず、創業以来大切に保管されてきた商業資料、古文書、蔵書類及び商業関係の諸道具、生活用具など、膨大な資料が良好な状態で保存されており、伊勢商人の繁栄の証を今に伝える貴重な文化遺産でもある。
見庵(旧小泉家住宅主屋) 国登録文化財 (株)牛銀本店
魚町通り沿いの旧長谷川邸(国指定重要文化財旧長谷川家住宅)の北隣に建つ。道路を挟んで本居宣長宅跡がある。
江戸時代末期に建立の町家で、本居宣長と親交があり紀州藩御目見医師であった小泉見庵を輩出した小泉家の所有だった。
現在は所有者が変わり、まどゐのやかた「見庵」として整備され、展示や講座等様々な催し物が開催されている。
主屋は切妻造平入、つし2階建てで、屋根は勾配の緩やかな瓦葺である。
現在の間取りは少し改造されているが、本来の各部屋の平面配置は、通りを隔てて建っていた本居宣長旧宅と共通点が多いものだった。
また、正面の格子や庇の幕板は、当地域の典型的な町家の外観を示している。
見庵(旧小泉家住宅主屋)は松坂城下町の中規模町家の特徴を良く残しており、隣接する旧長谷川邸(重要文化財旧長谷川家住宅)等とともに歴史的景観に寄与している。
本居宣長宅跡
宣長宅の礎石が残り、子・春庭の旧宅と土蔵が残る。共に国特別史跡である。
一本の松
A camera
三井発祥の地
B camera
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