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三重県名張市 初瀬街道

Hasekaido,Nabari City, Mie

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October 18, 2025 野崎順次 source movie

登録有形文化財(建造物)の説明は文化遺産オンラインサイトから抜粋引用した。

名張市付近の初瀬街道コース(名張市と三重県公式ウェブサイトより)

     

今回の撮影範囲(主として上八町)

 

松崎町で駅からのバス通りと初瀬街道が交差している。

     

初瀬街道を東へ、松崎町から上八町へ

     

伊和新聞社、今年の3月29日に最終号が出て廃刊となった。

    

上八町の町並み

     

国登文 山口家住宅主屋 明治/1868~1882/1931・2006改修
木造2階建、瓦葺、建築面積186㎡
初瀬街道に南面する木造二階建町家で、後方に明治期の座敷部を残しつつ、正面側を昭和六年に建替えて旅館とした。正面中央に主玄関を開き、東側に出格子をたて、西側に脇玄関を開く。二階は小部屋を多数配し、正面に手摺を付ける。戦前の街路の風情を伝える。

        

それから

  

国登文 梅田家住宅主屋 江戸/1866/1919~1926増築・1960改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積155㎡
初瀬街道に東面して建つ。木造つし二階建、切妻造桟瓦葺、桁行六間半梁間五間、正面に下屋を設ける。北寄りに間口二間の玄関から通り土間を通し、その南側に田字型に八畳四室の居室を設ける。建ちが低く、下階を出格子、上階を塗り籠めて虫籠窓を穿つ。

            

国登文 梅田家住宅表蔵 江戸/1866/1945頃改修
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積70㎡
主屋北側に接し、初瀬街道に面して建つ町家。土蔵造二階建、切妻造桟瓦葺、桁行四間梁間三間、西面に一間半幅の下屋を設ける。妻入で、主屋玄関土間に戸口を開く。基礎は亀甲石積、腰は海鼠壁、上部を漆喰仕上とし、主屋と並び、大型町家の景観を整える。

          

前後の町並み

     

初瀬街道から外れて、梅田家の裏に回ると、中蔵の上部が見える。

 

国登文 梅田家住宅中蔵 江戸/1866/2006改修
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積24㎡
敷地南西奥に建つ。土蔵造二階建、切妻造桟瓦葺、桁行三間梁間二間、東面北寄りに片流れ桟瓦葺の蔵前を付設し、出入口を開ける。小屋組は和小屋とする。外壁は腰を海鼠壁とし、上部は白漆喰仕上げで軒に鉢巻を廻す。中庭に面し、町家の良好な景観に寄与する。

   

山口家の裏あたり

 

おまけ 名張川と旧町西部、名張駅前の乱歩像、整然とかけられた箸

       


October 11, 2025 野崎順次 source movie

三重県名張市
初瀬街道

その歴史は古く、壬申の乱(672年)の際に、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から宇陀を経て名張に至った道として知られます。また、天武天皇の娘である大来皇女も、伊勢神宮の天照大神に仕える初代斎王としてこの道を通って伊勢に赴きました。以来、歴代の斎王が大和と伊勢を往来したため「斎王上路」とも呼ばれます。江戸時代中期からは、伊勢参りや長谷観音に参る初瀬詣でが盛んになり、街道沿いには多くの宿場町がつくられるなど明治初期にいたるまでおおいに賑わいを見せました。東奈良名張エリアでは、奈良県宇陀市、三重県名張市が街道上に位置し、さまざまな名所旧跡や宿場町として栄えた昔の街並みが残されています。
(東奈良名張街道ウォーク)

登録有形文化財(建造物)の説明は文化遺産オンラインサイトから抜粋引用した。

名張市街の初瀬街道ルート(資料によって少し異なるが複数ある)と文化財建造物

 

藤堂家邸跡から200mほど北西に行くと十字路に出て、初瀬街道が北東から南西に通っている。住所は松崎町。ここからスタートし、南西に少し行くと、榊町に入る。

      

国登文 小川家住宅主屋 江戸/1830~1868
木造平屋建、瓦葺、建築面積209㎡
初瀬街道沿いの榊町にあり、通りに東面するつし二階建の町家。間口七間半で正面南端二間は出格子を設け、つし二階に格子窓を穿つ。内部は土間に沿って三列に室を並べ、内庭に面する座敷は、出節丸太の床柱を用いた座敷飾りを備える。江戸末期の大型町家。

        

まだ、榊町

   

一の鳥居と名残の一本松
名張の町に堂々と建つこの鳥居は、安永7年(1778年)に寄進された宇流冨志禰(うるふしね)神社の一の鳥居で、名張市指定文化財となっています。その横の一本松にはしめ縄がかけてあります。おかげ参りの盛んな頃には、この鳥居の下で焼き餅やお茶などで旅人をもてなしたといわれています。
(東奈良名張街道ウォーク)

      

ここで初瀬街道は中町と元町に分かれる。中町の説明板があるが、そちらには行かず、元町の方へ行く。

       

国登文 中井家住宅主屋 昭和前/1932/1965改修
木造2階建、瓦葺、建築面積124㎡
市街地の角地に建つ、もと耳鼻咽喉科の医院建築で、木造二階建である。下見板張を基調とする外観は、上下階に並べた窓枠を縦に繋ぐ額縁で垂直線を強調し、上下の窓間を三分割して菱模様を飾るなど、幾何意匠でまとめる。街路のランドマークとなる洋風建築。

         

元町から新町へ

   

国登文 川地写真館 大正/1921/1960頃・1970改修
木造2階一部3階建、瓦葺及び鉄板葺、建築面積102㎡
南西角地に建つ木造2階一部3階建である。東側道路を正面に、北東の3階建屋根に三角の妻壁を立ち上げ、パラペット隅に小塔形飾りを付ける。外壁はモルタル塗で、1、2階外壁のタイル貼は後の改修。当初の写場は2階西側で、屋根を一部ガラス張としていた。

           

乱歩生誕地碑広場
日本の探偵小説の第一人者である作家江戸川乱歩は、明治27年(1894年)名張の町で生まれました。生後まもなく転居したせいで、乱歩にとって名張は「見知らぬふるさと」でありつづけましたが、晩年になってようやく名張の地を踏むことができました。これをきっかけに、昭和30年(1955年)には名張市民の手で「江戸川乱歩生誕地碑」が建立されました。
(なばり観光ガイド)

     

やなせ宿
旧細川家を整備して歴史的町並みの保存整備に関する拠点施設とした。パンフレットと現地説明板。

    

国登文 旧細川家住宅主屋 明治/1868-1911/2008改修
木造二階建、瓦葺、建築面積119㎡
初瀬街道沿いに北面して建つ。間口9.7m奥行13m、木造2階建、切妻造桟瓦葺。1階正面は意匠の異なる格子で構成し、2階は塗籠で虫籠窓を設け、両袖に卯建を付ける。内部は通り土間沿いに3室を並べる。もと宿場町の風情を伝える平入町家建築である。

                     

国登文 旧細川家住宅中蔵(きゅうほそかわけじゅうたくなかぐら) 明治/1868-1911/2008改修
土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積23㎡
主屋の南後方、中庭を挟んで北面して建つ。桁行5.9m梁間3.9m、土蔵造平屋建、切妻造桟瓦葺。腰は海鼠壁で、正面西寄りを出入口とし、両開戸を吊り、庇を掛ける。窓を上下階でずらして配置し、軒を置屋根風形式に塗り込めるなど特徴的な外観をもつ。

    

国登文 旧細川家住宅川蔵 明治/1868-1911/2008改修
土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積21㎡
敷地の南奥に北面して建つ。桁行4.9m梁間4.4m、土蔵造2階建、切妻造妻入鉄板葺。正面東寄りを出入口とし、掛子塗の両開戸を吊り、その両脇を海鼠壁とする。2階の正背妻面には庇付の窓を開ける。敷地後背を流れる名張川沿いの河岸景観に趣を添える。

     

国登文 旧細川家住宅門 明治/1868-1911/2008改修
木造、瓦葺、間口3.2m
主屋東側に接して建つ。間口3.2mの塀の中央に、門口1.3mの門を開き、格子戸をたてる。塀は切妻造桟瓦葺で、門口には板葺の小庇を付け、屋根を二段に重ねる。小庇の桁を絵様付の持送りで受ける上質なつくりで、旧家の格式を伝える門構えを見せる。

  

新町から本町へ

          

国登文 山中家住宅主屋 江戸/1830~1868
木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積209㎡
市中心部、初瀬街道沿いのもと宿屋。主屋は街道に東面して建つ。切妻造の北棟と入母屋造の南棟からなるつし二階建で、正面下屋上を白漆喰で軒裏まで塗込める。両棟とも3室を並べて奧を座敷とし、北棟は南に土間を通す。近世宿場町の景観を伝える町家である。

      

乱歩広場に行くひやわい(路地)、川地写真館側とは反対の入り口。

   

国登文 旧喜多藤(きゅうきたと)表門 大正/1923
木造、瓦葺一部銅板葺、間口2.6m、左右袖塀付
初瀬街道に面して建つ薬医門。間口2.6mで左右に袖塀が付属する。本柱、控柱とも節を出した丸太材を用いて腕木を受け軒桁を渡す。屋根は入母屋造桟瓦葺一部銅板葺。軒天井は小丸太を敷並べた瀟洒な意匠。街道沿いにもと料亭旅館の表構えをつくる。

        

名張川沿いの道を東へ

      

国登文 旧喜多藤大広間棟 昭和前/1936
木造2階建、瓦葺、建築面積164㎡
別館の西に建つ。北面して建ち、二階建入母屋造桟瓦葺。一階は座敷とダンスホールとし、ホールは洋風に中国風意匠を取入れた趣味性の高いつくり。二階は44畳大広間で折上格天井に色漆喰壁を用いた豪奢な意匠。別館同様川沿いを掃出の開口として眺望を誇る。

   

国登文 旧喜多藤別館 大正/1923
木造2階建、瓦葺、建築面積209㎡
名張川沿いのもと料亭旅館。北面して建ち、二階建切妻造桟瓦葺。一階は北をホールと調理場、南を客室とし、二階はホールの周囲に座敷を配する。二階は川沿いの間口いっぱいを掃出のガラス窓開口として眺望を誇る。料亭旅館の中心建物で川沿いの景観をつくる。

    

初瀬街道に戻り、榮林寺前で右折して鍛冶町に入る。初瀬街道の枝道のようだ。

        

国登文 清風亭(せいふうてい)玄関棟 大正/1914
木造2階建、瓦葺、建築面積89㎡
市街地南方の鍛冶町にある料理旅館。通りに面した玄関棟は二階建切妻造平入の東西棟で、一階の戸口以外は出格子構えとし東寄りに土間、中央に階段と帳場を配す。二階は前後二列に部屋を配し、渡廊下で南の客室棟と接続。格子構えの外観が通りの景観をつくる。

     

名張川側に回る。

国登文 清風亭客室棟 大正/1914
木造2階建、瓦葺、建築面積99㎡
玄関棟の南に位置する客室棟は、名張川沿いに面する座敷棟。二階建切妻造桟瓦葺とし、一階は厨房と2室の座敷、二階は3室続きの座敷で東に床を構え、船底天井を張り、南に縁を通して川を望む開放的なつくり。大人数の宴席も対応可能な広間で時代相を示す。

   

鍛治町橋からの眺望

    

本町の初瀬街道に戻る。

浄土宗 榮林寺

             

国登文 木屋正(きやしょう)酒造店舗兼主屋 
明治/1889/1913増築・1988改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積250㎡
初瀬街道に面して建つ。間口15.8mの木造つし二階建、切妻造桟瓦葺で、正面に下屋を設ける。正面左手を出入口及びミセノマとし、右手の床上部前面の張出しは腰を簓子下見板張とする。上部は漆喰塗で虫籠窓を穿ち、老舗造酒屋らしい佇まいを呈する。

         

国登文 大和屋店舗(やまとやてんぽ) 江戸/1830-1867/1959・1968改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積109㎡
旧市街地を通る初瀬街道に北面して建つ。間口8.3mの木造つし2階建、切妻造平入桟瓦葺で正面に下屋庇を付ける。正面全面を開口とし、西半部を土間、東半部を床上とする。上部は白漆喰仕上げで虫籠窓を穿ち、屋根に越屋根を載せ、老舗らしい佇まいを呈する。

                 

初瀬街道本町の町並み

            

国登文 岡村家住宅主屋 江戸/1751~1830/1926~1945・1986改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積169㎡
旧初瀬街道に面して建つ平入町家。木造つし二階建。間口13m奥行13mと、比較的大きな町家。切妻造桟瓦葺で正面に瓦庇を付け、棟には小さな越屋根を設ける。右手を出入口とし、上屋は大壁で、窓四所を穿つ。近世名張の面影を伝える遺構。

      

宇流冨志禰神社の参道を少し行くと、上本町。

         

国登文 保田家(ほだけ)住宅主屋 昭和前/1876頃/1968改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積206㎡
名張城下、神社参道の角地に位置する間口六間のつし二階建で、切妻造桟瓦葺。正面に竪格子構えの下屋を付け、内部は土間と板の間から広い吹抜の作業場をもつ特異な平面とする。正面外観は虫籠窓や格子窓、両端に袖壁を設け、城下の景観の重要な核となる。

            

さらに参道を進むと、柳原町。

       

国登文 貝増家(かいますけ)住宅主屋 明治/1868~1882/1963増築、2009改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積114㎡
通りに北面するつし二階建の町家。一階正面は繊細な格子をたてて弁柄を塗り、つし部分は横細の窓を穿ち、軒先まで塗込める。内部は西寄りの土間に越屋根をあげ、東に四室を田字形に並べ、庭を望む南東室に座敷飾を備える。市街地の歴史的景観を構成する住宅。

        

帰途、名張駅へ

                

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