三重県尾鷲市 土井家
Doike,Owase city,,Mie
孟宗竹の竹林
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土井家の繁栄 |
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孟宗竹の竹林 |
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人形のコレクション、製茶遺跡 |
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July 30, 2016 野崎順次 source movie
三重県尾鷲市中井浦と古戸野町
土井竹林とお人形の家
(Doi Bamboo Forest and Doll House, Owase City, Mie Pref.)
尾鷲の土井家は「東の諸戸、西の土井」と言われた森林王である。江戸の頃より尾鷲で林業を中心に繁栄してきた。
国道42号沿いのキングパチンコ店の裏(北西)である。南隣の回転寿司徳兵衛の駐車場から回り込む。その南のマクドナルド横の小さな橋に道標が出ている。
湧井井戸を過ぎて竹林へ続く道。亜熱帯植物を見ることができる。
村人たちによる手掘りのトンネン
天明・天保の飢饉の際、土井家では、米三十俵・五十俵を放出して、常に救い合い運動の先頭にたち、土井家をはじめ頭立衆たちの救い合いの御かげで、尾鷲浦の人びとは餓死せずにすみました。苦しい時代が一応過ぎたころ、尾鷲浦の人びとは土井家へ何かお礼をと考え、そして出来あがったのが、竹林前のトンネルだと言われています。
(旅の空からブログより)
トンネルを抜けると巨大な孟宗竹が4千㎡に渡り林立する。土井竹林である。
この竹林は宝暦の頃(1751)七世土井八郎兵衛氏が薩摩地方から母竹を運び分植したもので繁殖が非常に早くその後保護育成に努めた結果を去竹を生じ現在の美林になりました。
ここは又、NHKテレビドラマ「旅路」で雄一郎と有里が初めて出会ったところです。
尾鷲観光協会(現地説明板より)
トンネルを戻り
市文 土井本家湧井井戸
この井戸は、古戸野にある土井本家茶納屋の前にあり、井戸に関する文書は残っていないが、土井本家がこの地に茶畑を経営したのは、宝暦年間(1751〜64年)のことであるから、おそらくその頃に建造されたものであろう。
古戸野は、水量不足のため米作には適さず、土井本家は宇治から茶種をとり入れ、また同地から製茶職人を招いて製茶に励んだ。文化年間(1804〜18)の頃には銘茶を紀州侯に献上し、文政年間(1818〜30)の頃には、生茶の生産高15,000貫、製茶にして3525貫にも達した。
井戸の深さは6mであるが、井戸の南面は底より2mのところまで15mのゆるやかな傾斜で通路が作られている。
この井戸の使命は、茶園の灌漑用水源であって、桶で水を汲み出したが、雨季には井戸の水位が上がり、冬の乾期には井戸の底まで水位が下がる。この涌井井戸は、こうした状態に合わせて便利に使用できるように作られたものである。
涌井方式は南中国に多い型式であるが、土井本家は古くから薩摩藩と交流があったため、同藩を通じてこの涌井方式も知り得ていたのであろう。
(尾鷲市ウェブサイト)
土井家古戸野焙炉(ほいろ)
今は面影もありませんが、このあたり一帯(約三万坪)は土井家が宝暦の頃(1751−1763)から開墾した茶園でした。
文化十年(1813)には紀州十代藩主治宝により「南山」「浜木綿」「松ヶ枝」「琥珀」「椰子の葉」と銘を与えられたものもあり、文政の頃になると製茶にして3,525貫余(約13トン)を収獲する程になりました。
この焙炉も当時は三家ありましたが今は一家となりました。湧井井戸とその西側にある茶納屋等は当時を偲ぶ唯一のものです。
土井八郎兵衛
(現地説明板)
お人形の家、平日のみ予約により開館(土・日曜、祝日休館)。
竹林の入口に立つのが人形の展示館です。もともとは土井家の別荘として、明治初年に紀州の殿様をお迎えするのに建てられた迎賓館、寒雨亭で、館長の土井由紀子氏が子供の頃から集めている世界の民族衣装の人形など2000点が陳列されています。こけしや土人形といった日本のもののほか、世界の民俗人形やテディベアなど、個性的な人形が揃っています。
(いこーよ/子どもとおでかけ情報ウェブサイトより)
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