三重県志摩市 各地
Shima city,Mie
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Feb.23,2023 瀧山幸伸 source movie
浜島
渡鹿野島
Feb.18,2021 瀧山幸伸 source movie
御座 爪切不動
御座港 石仏地蔵尊
御座岬
賢島 みち潮
賢島
浜島
英虞湾
賢島 みち潮
Edited Movie YouTube
登茂山 英虞湾の展望
Tomoyama Ago bay
御座白浜
Goza Shirahama
御座 西浜
Goza Nishihama
越賀
Koshika
和具 英虞湾側
Wagu
的矢港
Matoya
Edited Movie YouTube
的矢湾
Matoyawan
大王崎
Daiozaki
渡鹿野島
Watakanojima
安乗崎
Anorizaki
英虞湾
Agowan
大王町波切
Daio Nakiri
三重県志摩市大王町波切
大王町
大王町は、沿岸漁業が主な産業の素朴な風情のある港町である。
小型の漁船が係留されている波切漁港、空と真っ青な海原に映える白亜の大王埼灯台、縦横に走る坂道と連なる民家の風景が人気で、この町まで絵をかきに来る人が多いことから「絵かきの町」とも呼ばれている。
波切は石工の町としても知られている。 現在は産出しないが、この地域からは波切石と呼ばれる良質の石材が取れ、その歴史は古く、鎌倉時代までさかのぼる。昭和初期に波切漁港の築港で最盛期を迎え、全国に仕事をして波切の名を有名にしたが、時代の移り変わりとともに徐々に衰退した。
「波切石」がまを産出したことから石工が多く住み、この石で、大正時代につくられた漁港や石畳の坂道、石垣が多く残り、度々映画のロケ地となるほど独特な佇まいを今に伝えている。
この町を表現する例 波切神社の鳥居に掲げた石の額と町のトイレの掲示
波切漁港
この海域の避難港を兼ねた漁港で、石積み護岸は『未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選集』(水産庁)に認定された。
1916(大正5)年、漁業奨励のための改修対象港(全国で6ケ所)に選ばれ、11年を費やして1928(昭和3)年春に完成した。
その当時の最新技術である間知石による矢羽積の石積が採用され、今も残っている。(志摩市HP) 岸壁も石工の仕事で花崗岩が使われている。
石積護岸
現在の生業は漁業関連
大王埼沿岸は古くから、カツオやマグロなど、回遊魚の漁場で、今も多くの魚が水揚げされ、干物などが地場産として販売されている
社寺めぐり…石積に着目
矢羽積みの石垣が見られる。
波切神社
創建は不詳、当地域の産土神とされ、1713(正徳3)年に編纂された「志陽略誌」には記載されている。1872(明治5)年に現在の社号である波切神社に改称。
神社の周囲は矢羽積みの石垣で囲われている。(ただし新旧入り混じる)
鯨石とわらじ祭
境内にある鯨石、わらじ祭りは畳一畳程の大わらじを海に流し海上安全と大漁を祈願する神事で、三重県指定無形民俗文化財。
大王埼DGPS局
崎山公園
波切神社から石垣に沿って右手の道を行き、椿のトンネルを抜ける。雄大な太平洋が一望できる
仙遊寺(臨済宗)
波切漁港から灯台へ行く途中にある。約200m石段の坂道を進むと灯台である。波切九鬼氏の菩提寺。初代隆良〜5代定隆までの5基の五輪塔がある。
周囲を囲む土塀の石積みも矢羽積
桂昌寺(臨済宗)
薬師堂
波切バス停(桂昌寺前)南の階段をのぼる。境内に地元の人々の篤い信仰を受ける汗かき地蔵と思案地蔵がある。
汗かき地蔵は漁師・惣左衛門の網に掛かったもので、吉事には白い汗、凶事には黒い汗をかくという言い伝えがある。2月24日のお祭りは春を呼ぶ祭といわれる。
思案地蔵と庚申堂の地蔵
大慈寺
九鬼水軍波切丸の大将川面右近とその臣下の強者がひっそり眠る寺。「志摩のあじさい寺」と呼ばれ、1500株のアジサイが6月に咲く。
最古の石塀
大慈寺は1860年に本堂が再建され、その際につくられた波切最古の石積塀。150年以上経ている。
ノミを使って石を整形し、隙間なく石を合わせた波切石工の祖、林与吉の作。林与吉は波切の石垣職人最初の人で、石工は与吉を祖として、明治末には30人ほど、昭和のはじめには300〜500人もいたとされ、波切漁港の建築で最盛期を迎え、全国で仕事をして波切の名を有名にしたが、時代の移り変わりとともに徐々に衰退した。 (大王町史より抜粋)
石段の坂道と民家、堅牢な石垣
大王町は海蝕段丘の崖上に開けた町のため急坂が多く、その殆どが石畳の階段坂で道路から民家の中に続く。
町の中心部にある伝三坂(でんざざか)や産屋坂などいわれのある坂の他に石段坂が至る所にある。石段坂は至る所にある。
遠景からは見えにくいが、家々は急斜面にしがみつくように立ち並び、石垣や狭い石段、坂道が独特の景観をつくり出している。
家並
代表的な独特の坂道
海べり
八幡さん公園
もと九鬼水軍の城跡だったといわれる丘の上の小公園。大王埼灯台と太平洋を一望できるスポットで、絵描きの銅像が立つ。
変化のある岩礁や崖、打ち寄せる荒波。航海の難所である。
公園からの大王埼灯台と周辺の遠景
大王埼灯台
灯台へは、平坦な山道もあるが、風情のある旧い石段や石垣が続く道を選ぶ。しかし、階段下の断崖は海蝕を防ぐため一部はコンクリート護岸。
周りの岩礁と見分けがつかない色合いにつくられている。
志摩半島東南端に位置し、熊野灘と遠州灘を分けるように突出す岬に、凛として佇む白亜の円形灯台。高さ23m、国登録文化財。
門柱及び塀も指定対象。鉄筋CR構造。表面モルタル洗い出し。灯台と共に熊野灘の歴史的景観に寄与しているとされる。
外径4.2mの円筒形鉄扇形に配した列柱で付属舎バルコニーを支え、入口には古典主義風デザインを施す特徴的な外観。
全国に15基しかない参観可能な灯台の一つである。 螺旋階段をのぼる。
バルコニーからは遥か彼方まで広がる太平洋が360度一望できる。大王埼灯台を含むこの辺りの美しい光景は、映画や小説に度々登場した。気持ちスッキリ!
『伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい』 船頭の歌にあるほど、附近の海は岩礁、暗礁地帯が多く、船乗りにとっては安乗岬、鳥羽の国崎とともに海の難所として古くから恐れられてきた場所。「地球の丸さが分かる灯台」といわれる所以がわかり、見晴らしが満点でこの日の海面は穏やかだった。
波切の各所町から見える灯台。町と一体で、住民に親しみと安心を与える灯台である。
鵜方浜
福川原
合歓の郷の東側
Jan.2013 瀧山幸伸 source movie
志摩半島
Shima peninsura
志摩半島は学校で習ったリアス式地形の海岸であり、かつては真珠の養殖が、今日ではカキの養殖が盛んだ。
伊勢は蘇りの地なので、日の出を体験したい。和具にある宿の屋上からは、日の入りも日の出も堪能できる。
隣の船越では、太平洋と英虞湾を繋ぐ運河や、川崎の日本民家園に保存されている「船越の舞台」が建っていた場所を訪問するのも興味深い。
半島の先端、御座は見どころが多い。自然好きな人には、褶曲地層が美しい日和浜や腰賀海岸で日ひがなのんびりくつろげる。
御座の中心部はそれほど観光化されていないのでゆっくり楽しめる。人々の営みが好きなら、街並と港付近の散策を。海に暮らす人々の日々の生活の場としての集落と港がなぜそこに形成されたのか、朝から晩までの人々の活動は見ているだけでも楽しいが、会話が始まればなお楽しい。地霊にお参りするなら、 文化財の質としての能書きを求めず、石仏地蔵尊と爪切不動尊にお参りしたい。石仏地蔵尊は本尊が海の中にある大変珍しい自然石の地蔵だし、爪切不動尊は水が少ない半島で貴重な水を活かした不動様である。石仏地蔵尊の穏やかな波音、爪切不動尊の清らかな水音とそよ風が社叢をなでる音を聞けば、なぜこれらの場所が信仰の対象として選ばれたのか、素直に納得できる。
太平洋側は古来より船の難所として恐れられた。岩礁が多い海岸だから、海女にとっては生活の糧を与えてくれる場所だ。
麦崎は、残したい日本の音風景百選に、「伊勢志摩の海女の磯笛」として選ばれている。海女が息継ぎのために口笛に似た物悲しげな吐息を発する呼吸調整法だが、潮騒の中に響く音色が哀調を帯びている。冬はオフシーズンなので聞かれないが。
大王崎は、だいだらぼっちが船を沈める場所として有名だった。だいだらぼっちは宮崎駿の「もののけ姫」で有名になったが、全国各地に伝承される妖怪大法師だ。
近年の大王崎は真珠加工品で賑わったが、今日では人工真珠に押され、かつての勢いは無い。価格も非常に求めやすくなっており、人口物には無い「不揃い」の妙味が味わい深い製品に仕上がる。旅の思い出に買い求め、地場産業の振興につなげてほしい。
スペイン村付近の夕陽
布施田 英虞湾側
Fuseda
和具
Wagu
新和具荘付近
日没後
日の出
和具 県立水産高校付近
腰賀海岸
御座
Goza
御座岬
Goza Misaki
英虞湾側
熊野灘側 日和浜
キャンプ場付近
御座浦 石仏地蔵尊
御座 爪切不動尊
麦崎
Mugisaki
大王崎
Dauosaki
灯台
波切神社
Nakirijinja
波切漁港
Nakiri port
ひもの店
真珠加工直売店
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