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三重県津市 北畠氏館跡
Kitabatake homeland,Tsu city,Mie

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June 23, 2019 野崎順次 source movie

三重県津市
北畠神社

北畠神社由緒(別格官幣社)
建武中興の偉業は半ばにして破れ、後醍醐天皇は三種の神器 を奉じて吉野山に仮の皇居を設けられた。時に延元元年(一三三六) 十二月。以降五十七年間を世に南北朝時代と言う。
北畠親房は学徳衆に優れ、天皇の信任篤く、常に側近に在ったが動乱に際して自ら陣頭に指揮をとり、足利勢に対決した。大楠公以下諸忠 臣相次いで戦没し、長子の陸奥守鎮守府将軍顕家も亦、延元三年五月 弱冠二十一才で阿倍野(大阪市)の露と消えた。
神皇正統記は親房が常陸國の戦陣において筆を執ったもので、国体の本義を明らかにして、南朝の正統を天下に宣言し、後世に大きな影 響を与えた史書である。
顕能は興国三年(一三四二)に戦略上の拠点として、この地に霧山城を築き 伊勢国司に任ぜられた。この位置が当時の居館の跡である。館は多気 御所又は北畠御所と呼ばれていた。
その生涯五十八年のうち、実に四十五年の歳月は南朝護持のため に捧げられたのである。大小の合戦六十数回、二度までも京都を奪還した功績は偉大である。南朝方の大御所として、後醍醐、後村上、長慶の 三帝に仕えて忠誠をつくした。弘和三年(一三八三)七月廿八日多気に没す。 以後九代二百数十年に亘って、伊勢国司は一志・飯南・度会・志摩の 南勢五郡と紀伊、伊賀、大和に及ぶ領域に善政を布いたが天正四年(一五七六)十一月、天下制覇を狙う織田信長の謀略により、具教は 三瀬の館(多気郡)に於て殺され、北畠氏は滅亡した。寛永二十年に一族の末裔鈴木孫兵衛家次この地に小祠を設けて北畠八幡宮と呼び村人の尊崇を受けつつ幕末に至った。昭和三年十一月 天皇御即位の大礼の日に別格官幣社に列せられたが終戦とともに廃せられた。
(現地説明板より)

一の鳥居から二の鳥居
          

杉の巨木がそびえる境内
          

拝殿、本殿など
             


国史跡および名勝 北畠氏館跡庭園 

室町時代 池泉鑑賞式
本庭は面積約八百五十坪ほどあって、曲水式の池庭であり、一部に枯山水もある。
(中略)
斉藤拙堂著の「伊勢国司記略」にもこのような池庭に対して米字型の池と称しているほどであって、多くの曲線が全池庭の上に構成され、各所に多くの出島があって曲線を見せている。
そして本庭には、多数の護岸石組があり、しかもこの護岸石組が傑出していて、豪健な手法が用いられていて、当代庭園中でも傑出している。中央部の石橋はやや後のものであるから、もとは土橋か板橋であったであろう。
別に、本庭に向かって左方部に築山があり、この築山下に巨石を組んだ枯山水の一部がある。「作庭記」流にいうところの枯山水であるが、この石組は、中央部に六尺四寸高の巨石を立て、この巨石に向かって、下部から螺旋状に数石を組み、天に向かって躍動する技法を示している。この築山にはまた、正真木としての杉の巨木があり、旧秀隣寺のものと同寸であることも注意してよい。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」北畠神社庭園より)

パンフレットと現地説明板
    

右方
                                       

中央部
                                   

左方、枯山水
                                

特長的な石組
                

その他境内
                     

帰途、バスで君ケ野ダムを経て、JR名松線伊勢竹原駅へ
                                                 

JR名松線で松阪へ
                  


May 2008 瀧山幸伸 source movie

霧山ノ嶮峻ヲ利用シ築キタルモノニシテ一ニ多氣城トモセラレ北畠顕能及其ノ子孫ノ居城ナリ頂上ハ長方形ヲナセル平地ニシテ土壘ヲ繞セリ俗ニ御所ノ目附城ト傳フソノ南方ニ鐘撞堂ト呼ベル平地アリ望樓阯ト認メラル又麓ニ近ク城門阯ト認ムベキ大宮戸ノ地名ヲ存スル平地アリ (文化庁)
              

北畠氏館跡庭園
Kitabatake garden
伊勢國司北畠氏館阯ノ庭園ナリト云フ茶臼山麓ノ台地上ニアリ台地ハ東南二方開ケ多氣盆地ト盆地ヲ流ルヽ八手俣川トヲ望ミ風光明媚ナル位置ヲ占ム庭園ハ屈曲變化ニ富メル池ト築山トヲ主要ナル地割トナシ池汀及築山ニ多數ノ石ヲ組ム石組ハ自然ニ崩壞シ或ハ改修セラレタル部分アルモ猶舊態ヲ保存シ特ニ築山前面ニアル一群ノモノハ立石多ク時代ノ特質ヲ表明ス庭園ノ南方ニアル一小山ハ築山ノ右方ニ聳ヘ借景トナル 室町時代ノ庭園トシテ築造當時ノ姿態ヲ殘存セルモノナリ(文化庁)

                                

伊勢本街道
                 

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