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宮崎県綾町 竹野のホルトノキ

Takenno no Horutonoki,Aya Town,Miyazaki

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Dec.20,2013 瀧山幸伸 source movie

国指定天然記念物 指定基準:植1

指定日:昭和52年(1977)2月17日

所在地:宮崎県東諸県郡綾町大字北俣字竹野(たけんの)地区

樹齢:約350年 樹高:約18m 目通:約6.5m

ホルトノキ科ホルトノキ属(別名:モガシ)ヤマモモに似た被子植物・常緑高木

国内2〜3番目の巨木で、ホルトノキでは、唯一の国指定天然記念物(最大は伊東市宇佐美美留田比波預天神社のホルトノキ:幹周約6.9m)(2〜3番目との表現は、計測方法の違いまたその差が僅かであり確認出来ないため)

「指定当時の解説文:綾北川に突き出た竹野集落の扇状台地上の畑の西端に残された小高い、広さ約5アールの森の中にこのホルトノキが生育している。

この森はホルトノキの巨大な樹冠から成り立ち、イタヤカエデ、ヤブニッケイ、クスノキ、バリバリノキ、シラキ、タラヨウ、ツリバナなどがあり、テイカカヅラ、ツルコウジ、ノシラン、ホシダなども生育し暖林の植相を示している

ホルトノキは樹高約18メートル、根廻り10.5メートル、枝張り東西25メートル、南北30メートルあり、地上1.5メートルぐらいから9本の太枝に分岐している。

代表的なホルトノキの巨樹として貴重である。」

(国指定文化財等データベース)

「上畑の肥田木城主、肥田木正連は元亀3年(1572)伊東氏と島津氏との戦いに伊東の将として参戦、伊東軍は大敗し、この敗戦が伊東氏の敗北につながり天正5年(1577)12月、綾は島津氏の領有するところとなり、竹野の奥約4里の上中尾山中に一族とともに隠棲した。

後に鷲巣に移り住む。

たまたま球磨の方より侵入陣ノ尾に陣をしいたので正連は長男大隅・次男播摩・三男対馬、兄弟三人と知略をもって戦わずしてこれを退ける。

以後、山道出入りの者抑えとして陣ノ尾付近と竹野へ二男播摩・爰野(ここんの)へ三男対馬を配した。

その後、上中尾を拝領し島津氏に仕える。

ホルトノキは、二男竹野播摩の墓の標木であると伝えられ、根元に墓石を抱き込んでいる。

土地の人は、この地を播摩山と言い、この山の草木を採取することを禁じてきた。

(現地案内板・綾町教育委員会)

綾の中心部から綾北側川に沿って進む

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