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宮崎県 川南町 川南古墳群

Kawaminami kofun gun,Kawaminami town,Miyazaki

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Dec.20,2013 瀧山幸伸 source movie

国指定史跡

指定日:昭和36年(1961)2月25日 指定基準:史1

所在地:宮崎県児湯郡川南町大字川南西ノ別府地区

宮崎県中央、尾鈴山系の麓の台地に位置し、墳丘56基からなる古墳群。

約0.5平方キロに前方後円墳24基、円墳32基が平地の水田・畑の中に点在している。

最も大きな39号墳の長さは約113mで、馬蹄形の円壕を含めると約120m。遅くとも4世紀には最初の前方後円墳が造られたと推定される。

この古墳群に葬られている豪族の勢力が強かった時期は4世紀末頃で、39号墳が造られた頃と推定されている。

当時の宮崎地方で一、二を争う力を持っていたと考えられている。

この頃の大きな墳丘は柄鏡形墳丘といわれ、東九州独特の墳形である。

しかし、そのような強大な権力を握っていたのもつかの間で、西都原古墳群に男狭穂塚・女狭穂塚古墳が造られてからは100mを超える古墳は造られなくなった。

大きな古墳は西都原古墳群や新田原古墳群に造られるようになり、宮崎全体でも柄鏡形墳丘はなくなっていった。

これは、古墳群を造った豪族と畿内の王権(大王)との関係が、比較的緩やかな支配・従属関係から、強大な支配・従属関係に変容して行った結果と考えられている。

それ以降の川南古墳群では、6世紀末ごろまで小さな前方後円墳を細々と造っていくようになった。

前方後円墳のほとんどが、ほぼ同一方向を向いている。

(国指定文化財等データベース・現地案内板から抜粋要約)

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