宮崎県 川南町 宗麟原供養塔
Miyazaki Kawaminami town Sourinbaru kuyoto
Category |
Rating 凡例 |
Comment |
General |
||
Nature |
||
Water | ||
Sound/Noise | ||
Atmosphere | ||
Flower | ||
Culture | ||
Facility |
|
|
Food |
Dec.20,2013 瀧山幸伸 source movie
国指定史跡
指定日:昭和8年(1933)2月28日 指定基準:史7
所在地:宮崎県児湯郡川南町湯迫
宗麟原供養塔は、天正6年(1578)11月に行われた豊後の大友宗麟と薩摩の島津義久との合戦(通称:高城之戦(耳川の戦い))の戦没者を供養した塔。合戦の勝利後、島津義久は、戦死者を敵味方の区別なく手厚く弔うよい高城城主・山田新介有信に命じ、さらに天正12年(1584)、合戦の七回忌に当たって大施餓鬼を行うように命じた。
供養塔の完成は、銘によると天正13年(1585)2月である。
・高城之戦(耳川の戦い)=九州を二分する戦いで、「西の関ヶ原」といわれた合戦。(戦死者は約2万人ともいわれている)
・大施餓鬼(おおせがき・おせがき・だいせがき)=塔婆供養をする法要。霊を供養する儀式、法要。
・供養塔の材料は、清武町産の硬質凝灰岩(通称:清武石・最後部の写真参照)
指定当時の解説文:俚俗宗麟原トスル臺地ノ南端ニアリ天正六年島津義久大友宗麟ノ大軍ヲ此地ニ邀撃セシ時戰死セル者ノ靈ヲ同十三年島津氏ノ将山田新介供養ヲ行ヒ建立セシ石塔ナリ 塔ハ六地藏燈籠型ニシテ南面シ總高約九尺竿石ノ四周ニ銘文アリ正面ニ謹奉訓誦大乘妙典一千部爲戰亡各靈千時天正十三年二月彼岸日大施主源有信山田新介ト刻セリ又六角火袋型塔身ノ各面ニハ地藏尊像ヲ陽刻シ敵味方供養塔トシテ著名ナリ
塔の形式は、六地蔵塔で竿石には、
千時 天正13年 大施主
謹奉訓誦大乗妙典一千部為戦亡各霊
二月彼岸日 源有信山田新介
本来無東西 何処有南北(本来東西なし、何処にか南北有らんや)
迷故三界城 悟故十方空(迷うが故に三界は城、悟るが故に十方空)
諸行無常 是生滅法
生滅々己 寂滅為楽 と記されている。
また、数百メートル南方には、大友方の陣地「松山之陣」がある。この陣地は、高城を攻めるための城、いわゆる付城で、戦いのためだけに使う城のため、合戦時の城の構えをよく残していると考えられている。城の最も重要な部分である主郭部は三つの郭がそれぞれ独立する南九州独特の形態である。(現案内板・川南町資料・国指定文化財等データベースから抜粋要約)
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中