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宮崎県串間市 旧吉松家住宅

Kyu Yoshimatsuke, Kushima city,Miyazaki

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串間市大字西方5509 旧吉松家住宅 主屋 重文 近代/住居 大正 大正8(1919) "座敷部、居室部、大広間部、離れ部、台所部、奥座敷部よりなる 座敷部 木造、建築面積134.29㎡、桟瓦葺、北面居室部、南面大広間部に接続 居室部 木造、建築面積106.95㎡、二階建、桟瓦葺、西面台所部に接続 大広間部 木造、建築面積93.13㎡、桟瓦葺、南面離れ部に接続 離れ部 木造、建築面積40.57㎡、桟瓦葺 台所部 木造、建築面積62.73㎡、桟瓦葺、南面奥座敷部に接続 奥座敷部 木造、建築面積104.53㎡、桟瓦葺" 20081202

串間市大字西方5509 旧吉松家住宅 内蔵 重文 近代/住居 大正 大正8(1919)頃 木造、建築面積15.96㎡、二階建、南面蔵前附属、桟瓦葺 20081202

串間市大字西方5509 旧吉松家住宅 物置 重文 近代/住居 大正 大正8(1919)頃 木造、建築面積70.53㎡、南面渡廊下附属、桟瓦葺 20081202

串間市大字西方5509 旧吉松家住宅 外風呂 重文 近代/住居 大正 大正8(1919)頃 木造、建築面積22.99㎡、桟瓦葺 20081202

串間市大字西方5509 旧吉松家住宅 外蔵 重文 近代/住居 大正 大正8(1919) 木造、建築面積40.34㎡、二階建、桟瓦葺、南面下屋附属 20081202


Sep.2022 酒井英樹

 旧吉松家住宅は、宮崎県南部の串間市中心部に位置し、旧志布志街道(日南~志布志)に面して建つ。
 吉松家は近世は庄屋を務め、明治期は串間のほとんどの山林を所有した。
 
 現存住宅は主屋は大正8年(1919)に建てられ、内蔵、物置、外風呂、外蔵の4棟もほぼ同時期に建てられた。


<主屋>
《居室部》
  桁行16.2m、梁間6.6m、二階建、入母屋造、桟瓦葺
  南に座敷部、西に台所部と接続
       

 《座敷部》
  桁行13.0m、梁間11.3m、南妻が入母屋造、桟瓦葺
  北で居室部と接続
  東に入母屋造の玄関を張り出す
  南妻東半で応接室を介して大広間部と接続
玄関
    
 南妻(次ノ間付近)
  

 《大広間部》
桁行12.6m、梁間7.4m、入母屋造、桟瓦葺
         
 《奥座敷部》
  桁行17.6m、梁間6.1m、南妻が寄棟造、桟瓦葺、北に台所部と接続
               

 《離れ部》
  桁行8.9m、梁間4.9m、東妻が寄棟造、西妻が切妻造、桟瓦葺
         

 中庭より主屋方向
           

 居室部2階より中庭方向
   


 座敷部応接室
    

 主屋1階内部
                    

 主屋(居室部)2階内部
      

 座敷部玄関ノ間(桜の間)内部
  桜材を多く使うところから「桜の間」とも呼ばれている
  杉板戸の絵:今井玉芳  
         

<内蔵>
     

<物置>
  

<外風呂>
   

<外蔵>
      


Dec.2011 瀧山幸伸 source movie

   

国指定重要文化財

指定日:平成20年(2008)12月2日 種別:建造物 指定基準:(一)意匠的に優秀なもの

国登録有形文化財

指定日:平成16年(2004)2月17日

敷地面積:950坪

所在地:宮崎県串間市大字西方5509-ィ(仲町通・旧志布志街道沿い)

現所有者:串間市 大正8年上棟

主屋・内蔵・物置・外風呂・外蔵

表門=間口5.5m 石塀=延長66m

構造形式: 座敷部、居室部、大広間部、離れ部、台所部、奥座敷部からなる。

座敷部=木造、建築面積134.29㎡、桟瓦葺、北面居室部、南面大広間部に接続

居室部=木造、建築面積106.95㎡、二階建、桟瓦葺、西面台所部に接続。 

大広間部=木造、建築面積93.13㎡、桟瓦葺、南面離れ部に接続。

離れ部=木造、建築面積40.57㎡、桟瓦葺。

台所部=木造、建築面積62.73㎡、桟瓦葺、南面奥座敷部に接続。

奥座敷部=木造、建築面積104.53㎡、桟瓦葺。

吉松家は、豊臣秀吉の九州征伐に敗れた秋月種長が、甘木(福岡県)から高鍋・串間へ配置替えとなった時、秋月氏に従って串間へ入ったと伝えられており、その後江戸時代を通じて武士と同格の家柄でした。

近世において庄屋をつとめ、明治以降、山林経営により発展した家で、政界にも進出し、地域の政治・経済の牽引役を果たしてきました。

旧吉松家住宅は、その全盛期にあたる大正年間に建築されました。

現存する主屋は大正8年の上棟。木造一部2階建で、接客部や居室部、台所部からなる複雑な平面をもち、格天井の玄関、折上格天井を有する洋間の応接室、2階へ上る階段、奥座敷の仏間、廊下の窓ガラスは、当時の職人による手作り板ガラス、廊下の梁は10mを超える見事な一本材が使われ、大広間の床の間には榧の一枚板を使うなど、随所に良質材を用いて意匠を凝らしており、近代和風建築の粋を結集した大規模な建物である。

主屋のほか、内蔵、物置、外風呂、外蔵など屋敷全体の構成を完存している点においても極めて価値が高い。

昭和60年(1985)頃まで使用され、その後は空家となっていたが、平成15年(2003)に串間市が購入し、平成19年(2007)4月9日以降、資料館として一般公開されている。

(文化庁、国指定文化財等データベース)

動態保存の積極的な取り組みが評価できる。施設入場料が志納で良いこと、施設が格安で貸切利用できること、スタッフのホスピタリティが優秀であることなど、他でも見習う点が多い。

A camera

                                                                                                                                                  

B camera

                                                                                                                                                     

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