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宮崎県宮崎市 穆佐城跡

Mukasa castle,Miyazaki city,Miyazaki

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Dec.21,2013 瀧山幸伸 source movie

国指定史跡 

指定日:平成14年(2002)3月19日

所在地:宮崎市高岡町穆佐(むかさ) 穆佐小学校裏手

穆佐城跡は、穆佐院高城ともよばれ、三股院高城(都城市)、新納院高城(木城町)とともに日向三高城として知られた、大変に有名な中世の山城です。

今でも大規模な城の全容が良好な状態で保存されています。この「穆佐」という名称は平安時代からの呼称。

穆佐城跡は、標高60mの丘陵上に造られた全長600mの山城で、大規模な堀切によって大きく4つの地区(曲輪群)に分かれています。

穆佐城のように防御性を発揮しやすい丘陵や台地上に立地し、大きな堀切で区切った独立性の高い曲輪群を並列させる造り方は、南九州地方の山城の特徴でもあります。

縄張り図からそれぞれの曲輪群の役割が読み取れます。

穆佐城は、南北朝時代は日向国守護の城であり、また、南九州における南朝方と北朝方の戦いの場にもなりました。

応永10年(1403)には島津久豊が穆佐城に入り、同年島津忠国が生まれています。

その後、文安2年(1445)に伊東祐堯の領地となり、伊東氏の豊後落ち後は、再び島津氏の領地となりました。

現在の城跡の全体は、一見して小高い山といった風情で、その面影はありませんが、入山してみると、「堀切」「土塁」を容易に確認することができ、掲載写真のとおり現在発掘調査が進められています。

「島津久豊(しまづひさとよ) 墓所」

(cemetery of Shimazu Hisatoyo)

天授元年/永和元年(1375)〜応永32年(1425)1月

市指定史跡

指定日:昭和54年1月24日

悟性寺(ごしょうじ)内

所在地:宮崎市高岡町穆佐(むかさ)

創設:安政4年(1857)

島津氏第8代当主島津久豊。穆佐城城主(応永10年(1403)〜)

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