宮崎県宮崎市 安井息軒旧宅
Yasui Sokken former residence,Miyazaki city,Miyazaki
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Dec.21,2013 瀧山幸伸 source movie
国指定史跡 (昭和54年5月22日指定)
所在地 宮崎県宮崎郡清武町大字加納甲3376-1
安井息軒(やすいそっけん)
寛政11年(1799)〜明治9年(1876) 儒学者
日向の飫肥(おび)藩 宮崎郡清武郷字中野に生まれる。
文久2年(1862)、幕府儒官を拝命し、14代将軍・徳川家茂の「御儒者」にまで昇りつめ、塩谷宕陰・芳野金陵とともに文久三博士と称せられる。
その門下生からは、陸奥宗光などをはじめ明治維新に貢献した多くの逸材が輩出された。
妻は川添佐代。
森鴎外の「安井夫人」
---仲平(ちゅうへい)さんはえらくなりなさるだろう」という評判と同時に、「仲平さんは不男(ぶおとこ)だ」という蔭言(かげこと)が、清武(きよたけ)一郷(ごう)に伝えられている。---
逸 話
著書「管子纂詁(かんしさんこ)」を清国に送り、その4年後(明治3年1870年)に江蘇州の「応宝時」は、息軒の学識を絶賛する序文を送っている。
また、明治9年(1876)来日した朝鮮の「金綺秀」は息軒に会えなかったことを非常に残念がったという。
明治11年(1878)来日し た清国の文学家・詩人「黄遵憲」は、息軒の著書にふれ、「その著作を読むと大胆ながら詳細に研究されていて、私の国の大学者の風格を備えている。まさに日 本第一の儒者で、荻生徂徠、頼山陽もその比ではない。」とその学識を絶賛したとの逸話がある。
そのことは、とりもなおさず儒教・儒学の本山である中国・朝鮮にその名が知れ渡っていたことの証左といえる。
安井息軒 旧宅
Miyaaki Yasui Sokken former residence
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