宮崎 西都市 常心塚古墳
Miyazaki Saito city Joshinzuka Kofun
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Nov. 2009
国指定史跡
指定日:昭和55年(1980)3月24日
所在地:宮崎県西都市大字上三財常心原
三財川北側の常心原台地に所在し、現在、周囲は畑作地帯で、高塚墳は常心塚古墳のみ確認でき、眺望に優れている。
墳形は「方墳」で、墳丘は2〜3段築成と推測されている。
平成14年(2002)の県営農道整備事業に伴い、墳丘南側に隣接し通る農道を西都市教育委員会が発掘調査した際、外提外側に周溝を確認した。
墳丘に対する発掘調査は行われていない。
大きさは南北で25m、東西で23.8m。
この古墳は墳丘の周囲に沿って廻る外提をもち、外提間は南北で約40m、東西で37.5m。
古墳が造られた時期は、外提外側に廻る周溝の一部を掘削した際に出土した須恵器破片の特徴から、7世紀前半頃と考えられる。
7世紀になると、巨大な前方後円墳造りは終焉を迎え、首長墓として内部主体に横穴式石室や横口式石郭を採用した大型の円墳や方墳が全国的な造られるようななった。
このような古墳を「終末期古墳」と呼び、常心塚古墳もその範疇に含めて考えることができる。
発掘調査により確認されていないが、常心塚古墳の内部主体も横穴式石室と推測されている。
また、「常心塚」という名前は、古墳やそれが造られた時代とは関係なく、後世に「常心」という僧侶が、古墳の中に入り、「即身成仏」を遂げたという伝説があり、その僧侶の名に由来している。
常心塚古墳の南には常心原地下式横穴墓群が所在し、現在、8基の地下式横穴墓が発見されている。
それらは5世紀末〜7世紀前半に造営され、常心塚古墳を造った首長の先祖や母体となる集団とも推察される。
(現地解説版より抜粋要約)
★西都域内に存在する「方墳」は、「常心塚古墳」と「西都原古墳群の171号墳《男狭穂塚(おさほづか)・女狭穂塚(めさほづか)》に隣接する陪塚」の2基だけといわれている。
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