宮崎県 西都市 松本塚古墳
Matsumotozuka kofun、Saito city,Miyazaki
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Dec.20,2013 瀧山幸伸 source movie
国指定史跡
指定日:昭和19年(1944)3月7日
所在地:宮崎県西都市大字三納(みのう)松本
「指定当時の解説文:平地に營造せられたる前方後圓墳にして略々南方に面し長徑約360尺、後円部徑約155尺、高さ約28尺、前方部幅約227尺、高さは後円部と略々同一なり、封土は二段に築成せられ表面に葺石存し周裾には埴輪圓筒の破片散在す。
現在芝草に掩はれ外容極めて整美にしてよく舊態を保ち此の地方に於ける代表的の古墳なり。」
三納川北側の沖積地に所在している。周囲は田園地帯で障壁がなく、優美な墳丘全体を眺めることができ、地元では「船塚」と呼ばれ親しまれており、この地方では鵜葺草葺不合(ウガヤフキアエズ)尊陵として言い伝えられている。
(主軸方位北北東の前方部が開いた二段築成の前方後円墳)
墳長:約104m・後円部径:約47.5m・墳丘高:約7.6mで、周溝を含めた全長は約149mで、周囲に陪塚(ばいちょう)と考えられる同時期の円墳を伴い、小グループを形成している。
また、墳丘の規格が大阪羽曳野市に所在する軽里大塚古墳(かるさとおおつか・5世紀後半)と相似形である可能性が指摘されている。
昭和61(1986)〜62年(1987)年に行われた発掘調査で、墳丘周囲に廻る周溝や周提、前方部の側面に造出しという突出部が検出され、円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪が出土している。
その際、周辺の三納古墳群24・25号墳も調査され、葺石(ふきいし)や周溝が確認でき、現在は削平されているが、本来の古墳の規模が復元できる。
出土遺物は埴輪や須恵器破片。埴輪は円筒埴輪が中心で、24号墳からは蓋(きぬがさ)の一部と考えられる形象埴輪も出土している。
松本塚古墳出土埴輪やこれら周辺の古墳出土遺物の時期から、5世紀後半〜末に築造されたものと推定できる。
5世紀中葉〜後半は、4世紀〜5世紀前半に全盛を誇った西都原古墳群で首長墓である前方後円墳の築造が停滞し、他の古墳群に大型の前方後円墳が築造されるという特徴があり、5世紀後半〜末、一ツ瀬川流域最大規模の墳丘をもつ松本塚古墳はその代表例であり、同時期の前方後円墳は西都原古墳群も含めて周辺には存在せず、首長墓の変遷を考える上では重要な古墳である。
また、西都原古墳群・新田原古墳群・茶臼原古墳群が、地域最大規模の前方後円墳を台地上に築造するのに対して、三納古墳群や松本塚古墳が沖積地に築造されているのは特徴的である。
宮崎平野部において、古墳時代前期・中期・後期といった時間軸の中で、古墳群の築造動向を比較する際、非常に重要な資料として位置づけられている。
(国指定文化財等データベース・西都市教育委員会資料から抜粋・要約した)
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