宮崎県西都市 西都原古墳群
Saitobaru kofungun,Saito city,Miyazaki
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Apr.5,2016 瀧山幸伸
現在、高塚墳311基が現存し、その内訳は前方後円墳31基、方墳1基、円墳279基であるが、他に横穴墓が10基、南九州特有の地下式横穴墓が12基確認されている。
大正元年(1912年)から大正6年にかけて日本で初めて本格的学術調査が行われた地としても有名である。調査は大正元年12月25日から翌年1月6日に第一次調査、同2年5月に第二次調査、同3年8月に第三次調査、同4年1月に第四次調査、同5年1月に第五次調査、同5年12月から翌年1月に第六次調査が実施された。
大正3年(1914年)、出土品を収蔵するため宮崎県立史跡研究所が設立された。後に市に移管され、昭和27年(1952年)博物館法指定で西都市立博物館となる。現在は宮崎県立西都原考古博物館。
その後、昭和9年(1934年)に国の史跡に、昭和27年(1952年)に国の特別史跡に指定され、昭和41年(1966年)から昭和43年にかけて、風土記の丘第1号として整備が進められた。
西都原古墳群は地形的に西都原台地上と、西都原台地と市街地との間に位置する中間台地上の二地域に区分でき、その中で更に11の集団に分けることができる。
西都原台地上
第一集団
台地の東南部地帯。古墳群内で最大の群集地域。前方後円墳7基を含む計91基。姫塚(202号墳)など。
第二集団
台地の東側縁辺部に一列に形成。前方後円墳10基を含む計36基。
第三集団
台地の北部に形成。前方後円墳1基を含む計86基。
第四集団
台地上でも一段高い丸山丘陵の東側裾部に築かれた「男狭穂塚」「女狭穂塚」とその陪塚。
第五集団
台地のほぼ中央に位置する、古墳群内唯一の横穴式石室墓「鬼の窟古墳(206号墳)」とその周辺の3基。平成7年の調査で横穴墓も確認。
第六集団
台地の西側、寺原丘陵一帯に築かれた古墳。前方後円墳3基を含む計16基。
第七集団
寺原集落地域内の古墳。前方後円墳1基を含む計12基。ただし、この前方後円墳は道路によって切断されている。
中間台地上
第八集団
堂ヶ島微高地・童子丸台地上一帯の円墳。
第九集団
宮崎県立妻高等学校及び日向国分寺のある諏訪地域の古墳。前方後円墳2基を含む計20基。
第十集団
三宅集落丘陵の上・下尾筋地域の古墳。前方後円墳5基を含む計18基。
第十一集団
三宅丘陵南部の沖積層である鳥子地域に築かれた古墳。前方後円墳1基を含む計4基。
西都原台地上の主な古墳
男狭穂塚・女狭穂塚
男狭穂塚(おさほづか、175メートル)は日本最大の帆立貝形古墳。女狭穂塚(めさほづか、180メートル)は九州最大の前方後円墳。共に宮内庁陵墓参考地であり、特別史跡の指定範囲には含まれない[1][2]。
姫塚(202号墳)
姫塚は第一集団に含まれる前方後円墳で、墳長50.2メートル、前方部幅30.8メートル、前方部高さ5.25メートル、後円部径28.4メートル、後円部高さ6.0メートルを測る。その形状の美しさから姫塚(ひめづか)と呼ばれ、周囲には周湟(周濠)が巡らされている。大正時代に発掘された30基のうちの一つで、直刀3本、刀子(とうす)1本、須恵器9個、ガラス製小玉、水晶製切子玉などが出土した。前方部の発達具合や大正年間の発掘の際の出土品から築造年代は6世紀初頭(古墳時代後期)と考えられている。
鬼の窟古墳(206号墳)
鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)は西都原古墳群内で唯一、埋葬施設に横穴式石室を採用している古墳である。鬼が一夜で造りあげたとする伝説が残ることが名の由来となっている。石室入り口付近に生えていた楠により石室崩壊の危機にあったため、解体修復作業が行われ、その際同時に発掘調査が実施された。石室内の水を排出するための暗渠の存在や土塁が完全に古墳を一周していたこと、追葬が行われていたことなどが明らかとなった。古墳の周囲に土塁を巡らしているのは中華人民共和国・朝鮮半島ではよく見られるが、国内では石舞台古墳が類似するのみで、関係が注目される。
その他13号墳、35号墳、56号墳、72号墳、81号墳、100号墳、169号墳(飯盛塚)、170号墳(雑掌塚)、171号墳、173号墳、265号墳
(wikipedia)
縁辺部
男狭穂塚・女狭穂塚
鬼の窟古墳
第一古墳群
横穴墓群
第二古墳群
81号 前方後円墳の中で最も古い。集落を見下ろす絶好の立地。
100号 当初の姿に復元したもの
西都原考古博物館
宮崎県西都市大字三宅
特別史跡 西都原古墳群
(Saitobaru Burial Mound Park, Saito City, Miyazaki)
撮影日: 2012年4月7日
西都市街地の西方には南北に延びた標高約60mの平坦な洪積層の台地があり、それが西都原古墳群地帯である。東西2.6㎞、南北4.2㎞の広い地域に点在する古墳群は周囲が大自然に包まれ、300余基の古墳数を有する。古墳の形態は、円形墳、前方後円墳、方形墳、地下式古墳等からなり、今から約1700年前の古墳時代に造られた物と言われる。昭和27年には国の特別指定を受け、その後「風土記の丘」第一号として古墳と自然が調和した歴史的景観を維持保存する為に整備された。春になると約2000本の桜と約8haの畑一面に菜の花、秋にはコスモスが咲く。
撮影日: 2012年4月7日
パンフレット
古墳群の中央部にあるイベント広場のあたりは桜と菜の花が満開。老若男女、外国人留学生など、様々な人々が訪れる。
イベント広場の近くにある鬼の窟古墳
周囲に土塁を巡らせた全国で唯一の円墳。発掘調査の結果、6世紀末から7世紀前半に築造されたらしい。西都原古墳群では江戸時代後半頃に開口したと思われる「横穴式石室」を持つ唯一の古墳で、内部は玄室(棺や埋葬者を安置した部屋)と羨道(玄室に通じる通路)に分かれる。また、陪塚とみられる205号墳が隣接している。
坂元ノ横穴墓群
鬼の窟古墳の南側にある「横穴墓」と「地下式横穴墓」が融合した珍しい古墳群。発掘調査の結果、7世紀始めに築造されたらしい。遺構を保存し、発掘調査を行うことを主目的として平成12年に覆屋(おおいや)が建設され、発掘された状態を見学することができる。
西都原考古博物館
博物館外観
博物館内部と展示
博物館ベランダからの展望、北西から南へ。西に第三古墳群が見える。
参考資料
西都市西都原古墳群HP
Dec.2005 撮影:瀧山幸伸 source movie
古墳群は山を遠望する高台に立地する
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