長野県立科町 芦田宿
Ashida,Tateshina town,Nagano
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笠取峠の松並木 |
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中山道第26「芦田宿」
概要
1582年に本能寺の変が起こり、1590年に家康が江戸城に入り、1597年には日本の天下統一を成した豊臣秀吉が明の国(朝鮮)を服属させるために出兵(翌年豊臣秀吉死去の為終息)した。……そんな歴史的背景のある1597年に「芦田宿」は新駅として願い出されています。
北佐久地方では最古の宿場といわれていますが、1600年の天下分け目の関ヶ原の合戦もまだ終わっていませんし、その3年後に成立する江戸幕府もまだ開設されていない時期ですので、願い出た宿が公認される下地はなにもなく、どこに願い出たかは不明とされています。
しかし、中山道そのものは既に機能していますので、間の宿「茂田井」を過ぎて、笠取峠を越える手前の芦田には人々が休むことが多く、自然発生的に宿の基本形はあったと思われます。
<えがおのふれあい芦田宿保全活性化事業立科町町区>発行の説明書によると、「芦田宿は芦田城芦田氏の浪人で芦田村の岩間忠助氏が土地の測量をはじめます。その後に茂田井村の土屋右京衛門氏が加わり、宿場の縄張りがはじめられました」とあります。宿成立後、岩間氏は問屋名主及び脇本陣に、土屋氏は問屋、名主、本陣を努めています。
地名の「芦田」の元になったのは現在の立科町役場から1キロ南南西に「芦田城」という山城があり、鎌倉時代に芦田氏が城を築いている所からつながっています。
室町時代には依田氏が領主となりますが戦国時代に戦で亡くなります。その子は家康に取り立てられて松平性を名乗りますが、小諸城主となったあとに家来に斬り殺されます。跡目を弟が継ぎ、家康の関東移封とともに松井田に移り、藤岡で三万石を与えられますが刃傷沙汰で高野山に逃れ、加藤と名乗ります。その後にその子孫が芦田を再び名乗るという経緯があります。
笠取峠に向かって緩やかに登っていく地形にある芦田宿は、1843(天保14)年の中山道宿村大概帳によれば本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠6軒、家数80軒、宿内人口326人、宿全体の長さは694メートルときわめて小さな宿と記述されています。小さな宿でしたので、前宿の望月宿と合宿(あいしゅく)とされ、人馬引き継ぎなど宿駅の業務を助けてもらっていた宿でもありますが、商家が多いとの記述もあり現在でも酢屋茂などが現存しています。小さいながらも、にぎやかな宿であったろうと想像できます。
1,「寺前」バス停→「立科町役場入口」交差点
「寺前」のバス停を過ぎて中居の交差点に。芦田宿に入っていきます。交差点脇に常夜灯や芦田宿全体の案内板、ご自由にお取り下さいのパンフレットなどがあります。信号を渡ると左側に中山道股旅休憩所があります。以前は機能していたのかもしれませんが今は無人です。
街灯は行灯のデザイン。なかなか素敵です。道祖神、馬頭観音、揺れる秋桜などを見ながら行きます。立科町役場入口の交差点までがゆるやかな下り。交差点の向こうに見える曲がりは江戸方の枡形の名残です。これから登りの街道に入っていきます。
2,ふるさと交流館芦田宿
「蛇石様」という案内。大きな石に蛇の通った跡があって、そこにお米のおひねりを持参してお参りをすると子どもの夜泣きが治ったとか……石に跡が残るような蛇とか夜泣きとか、蛇と夜泣きとお供えのお米の関係がよく分りませんが、何かと地域の中で助け合わねばならなかった当時だったのでしょうね。
「ふるさと交流館芦田宿」で昼食をさせてもらいました。都市生活に慣れるとあちらこちらにコンビニがあるのは当たり前ですが、中山道宿内にはコンビニが無いところが多く、私は用心をして到着駅売店で多めにおにぎりやパンを買っておきます。案の定この日もおにぎりで空腹を満たしました。
交流館の芦田宿の説明に「?」のところがあります。宿全体の長さは1068メートルとあります。出発前に調べた資料より400メートルも多いです。
中山道の区切り方は一里塚から一里塚までなどの決まった区切り方があるわけではありませんので、仕方の無いことなのでしょうね。
また広重の描いた「あし田」と「望月」の図が<あし田の樹木が杉並木>に見え、他方<望月のほうは峠の松並木>に見え、「あし田」が瓜生坂を描き「望月」が笠取峠を描き、地形的に有り得ない観点です(杉並木と松並木が現地とは違って入れ替わっていると言うこと)。それらから想像すると、広重は巷に定着していた景観の定型イメージを画面に再構築したのでは無いか……と、当館の説明にあります。この所見は当地ならではのもの。宿の長さの表示とともにおもしろいと思いました。
芦田宿内の家の間取り図なども全家分が掲示されていて、地元ならではの情報が多くてためになる交流館でした。
3、本陣(土屋家住宅)
芦田中央の交差点の脇に芦田宿本陣である土屋家住宅があります。県宝※と書いてあります。門だけでも住居に匹敵しそうな立派な構えです。概要で説明したとおりに土屋家は芦田宿の開設にあたった一人で、武田信玄二十四将の上席土屋右衛門の末裔という身分。名主として問屋、木問屋を兼ねて明治維新まで本陣を務めています。客殿は1800(寛政12)年に建て替えられたもので、イチイの木を使った京風上段の間が現存。その他にも広間、小姓部屋、湯殿、雪隠など客室部の原形がほぼ完全に残されていて、大名宿泊の時の宿札もあり、中山道唯一の往時の本陣の姿をとどめている、と説明にあります。
往時は門の左に高札場、右に問屋場、後方に間口5間の荷蔵、主屋、酒造蔵などがあり建坪163と広大な本陣であったそうです。また、説明には本陣は間口5間奥行11間の切妻造り、桟瓦葺で 屋根の前後にシャチホコを掲げている、とありますが、2016年現在、屋根の上には見当たらず、縁側の横に鯱らしき瓦状のものが二つ置かれているようです。台風か何かで落ちたのでしょうか。
※県宝について
ウキペディアによる<都道府県・市町村指定の有形文化財表記についての>説明
都道府県・市町村指定の有形文化財については「東京都指定有形文化財」のように「有形文化財」と呼称するケースが多いが、同様の文化財を青森県では「青森県重宝」、長野県では「長野県宝」、鳥取県では「鳥取県指定保護文化財」と呼称するなど一定しておらず、どのように呼称するかは各自治体の文化財保護条例で個々に規定している。47都道府県のうち福島、群馬、神奈川、岐阜、岡山、広島、佐賀の各県では県条例によって指定した有形文化財を「○○県指定重要文化財」と呼称しており、国の指定した重要文化財と混同しないよう注意を要する。なお、都道府県や市町村指定の文化財と区別するため観光案内書等では「国重要文化財」「国重文」等の表記をしばしば目にするが、これらは正式の用語ではなく文化財保護法に基づき国が指定した有形文化財については、単に「重要文化財」と呼称するのが正式である。
4,脇本陣
芦田宿には2軒の脇本陣があります。1軒は1977(昭和52)年の火事で焼失してしまい、土蔵のみが残り標柱が立っています。もう一つの山浦脇本陣は「藤屋商店」の場所。お店は閉まっている様子ですが、表のガラス戸に芦田宿や広重の絵の解説が詳しく掲示されていました。
脇本陣2軒はいずれも山浦家で始祖は芦田宿の開設をした岩間忠助氏です。
5、酢屋茂(すやも)・金丸土屋旅館
連子格子の間口の広い大きな商家「酢屋茂」。江戸時代に初代が酢の醸造したので酢屋茂。明治からは醤油、お味噌もてがけています。店内に入りましたが(写真は遠慮しました)黒光りする歴史ある建物でした。
金丸土屋旅館は「金丸土屋旅館」、「津ちや」とも表します。軒下に木鼻彫刻。像の鼻先の丸みがかわいいです。拳鼻と呼ばれる種類でしょうか。セットで取り付けられることが多いとされる象鼻もついています。
今から214年前の1804(文化元)年の創業。営業中の様子ですが、なんとなくひっそりとした佇まいでした。店頭看板の金丸の丸の点の打ち方がおもしろいですし、屋根の付いた「津ちや」の軒看板が時代を感じさせてくれます。
津ちや旅籠を過ぎて芦田の交差点まで行きます。途中、荒れた家も目に付きます。
6,正明寺〜石打場公園
正明寺は、創建は1656(明暦年間)年。何度も火災に遭ったために堂宇をあらかた失って江戸末期にはあった薬師堂も今は畑になっているそうです。
現存の本堂は、明治7年の建立。空にキリッと立つ形。ここはまた京方の枡形があった場所といわれています。芦田宿にとってたった一つの寺院です。行き倒れの供養などもなされたのでしょうね。また寺内に古墳が残っているとのこと。正明寺は近在の津金寺末寺、あるいは旧望月町小平の福王寺の末寺だったとか言い伝えにはあるそうですが、古墳時代より鎮護の地であったのでしょうね。
2本の柿の木がたくさんの実を付けています。
絵になる風景を後に先に急ぎます。道祖神を右手に見ながら行って突き当たったところが「石打場公園」。石を打っていた公園ではなく元の字は「石内」。意味としては村落の境界。旧芦田村と横鳥村の境に当たる場所、と説明板にあります。今回はここまでで、この先の笠取峠を越えて長久保宿に向かいます。
Oct.10,2015 瀧山幸伸 source movie
芦田宿
笠取峠一里塚
kasatoritouge Ichirizuka
June 2005 瀧山幸伸
中山道茂田井から芦田 ドライブ
Nakasendo Motai to Ashida drive
June 2005 HD quality(1280x720): supplied upon request.
中山道 芦田宿内 ドライブ
Nakasendo Ashida town drive
June 2005 source movie
中山道 芦田宿
Nakasendo Ashida post town
June 2005 source movie
美しい松並木が続く笠取峠を控えた宿場
須屋茂
本陣跡
旅籠
取材メモ
本陣にある建築用語解説板が親切。
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