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長野県佐久市 岩村田
Iwamurada,Saku city,Nagano

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Oct.2016 柚原君子

中山道第22番 岩村田宿

概要

鳥羽天皇と美福門(びふくもん)院との皇女八条院(1137〜1211)(平安時代)が父母から伝領した荘園群の一つであった大井庄。岩村田はその中心地でした。鎌倉・室町時代に信濃国の小笠原朝光が大井庄に入って大井氏を名乗り勢力を誇りました。民家6000軒を有して、交通の要所となり国府である松本市より栄えた地となりました。

しかし1484(文明16)年、更級・埴科両郡から小県郡に勢力のあった村上政清氏が佐久に攻め込み、大井城は焼け落ち岩村田城下は一挙に灰燼に帰します。その後の戦国時代になると大井の氏族が武田氏に仕え、江戸時代に入ると、岩村田は小諸藩領または幕僚となり、大井氏は徳川氏に仕えて旗本となります。1703(元禄16)年頃に内藤正友(内藤美濃守)が大名として岩村田に入り岩村田藩が成立します。

1601(慶長6)年より中山道が整備され始めると、1604(慶長9)年に岩村田の鵜縄沢と砂田に一里塚が築かれ、1611(慶長16)年には伝馬が始まります。1633(寛永10)年、街道の整備がさらに進み「荒宿」(中山道にあった古い宿といわれています)から西側に岩村田宿として整えられていきます。1650(慶安3)年に初めて参勤交代の行列が通ったという記録があります。

岩村田宿は小諸への善光寺道、上州下仁田道、佐久甲州街道を分岐する交通の要衝地として重要な役割を果たして商人の町として栄えます。1万5千石の城下町であったため、本陣・脇本陣が設置されず、その代わりとして龍雲寺、西念寺、法華堂などの古刹、割元邸(割本邸・庄屋や名主をたばねる元締)がその機能を果たしています(中山道宿駅で本陣・脇本陣が設置されていないのは他には高崎宿があるのみ)。

1843(天保14)年の『中山道宿村大概帳』によると、岩村田宿の町並の長さは9丁30間で宿内家数は350軒。旅籠のみ8軒設置され、宿内人口は1,637人とあります。1872(明治5)年、伝馬・助郷制度が廃止されて、全国中牛馬会社岩村田支店が岩村田に置かれ、通常荷物の取引を開始。260年あまりの宿の歴史が終焉します。

岩村田宿へはJR北陸新幹線・小海線「佐久平駅」から車で約5分。岩村田宿より先の中山道は鉄道の路線より外れていきますので、佐久平駅前よりバスを乗り継いで中山道宿歩きを楽しむルートが確保されています。

行程

食肉センター交差点→住吉神社→龍雲寺→戸塚酒造→西念寺→相生の松→荘山(かがりやま)稲荷神社

1,住吉神社、瀧雲寺

小田井宿の外れである鵜縄沢(うなわざわ)の一里塚で先回は終了。岩村田宿を撮影する今日は、少し先の食肉センター交差点から始めます。道路の脇にいきなりのリンゴ畑。色づいて手に届くところにあります。信州ですね。百日紅の紅や白の花もきれいでキョロキョロと周囲を見るのに忙しいです。

岩村田橋を渡り佐久インター東のバス停を過ぎると左側に住吉神社(長野県佐久市岩村田住吉887)があります。鳥居の脇にはボコボコと節くれ立った樹齢400年のケヤキがあります。火事に遭ったらしく中は黒焦げの空洞で「住吉の祠」といわれているそうですが、なかなか健在に生きているケヤキです。道祖神なども多数見られますが、浅間山の溶岩でできた灯籠が珍しいでしょうか……デコボコの灯籠で火事で焼けたケヤキより、なんだかこちらの溶岩灯籠の方が倒れそうです。

灯籠の脇にある小さな石碑は「従是善光寺道」の本物。この先に行くと見える大きな立派な「従是善光寺道」はレプリカということになります。サルビアと百日紅が咲く中山道を行きます。住吉神社にある「従是善光寺道」のレプリカが道路左側に大きく建っています。

左手に龍雲寺(長野県佐久市岩村田415)。同寺は、鎌倉時代の初期である1312(正和元)年、大井美作入道玄慶が開基し、1560(永禄3)年に武田信玄が北高全祝(ほっこうぜんしゅく)禅師を招いて中興開基。信玄の帰依厚く、信濃に出兵する際は必ず詣でて戦勝祈願をしたとされています。信玄が病死した際、北高全祝禅師が遺骨を密かに持ち帰り同寺へ埋葬したと言い伝えられていて、事実、1931(昭和6)年に玉垣修理の際に骨壺が出土して、中からは骨と短刀、袈裟環が発見されます。袈裟環の銘文から信玄の遺骨に間違いがないとされて、現在は霊廟に安置されているそうです。

草深い霊廟は真夏にもかかわらず葉陰からの涼しい風がありました。龍雲寺を出るときに見上げた山門には武田氏の紋である武田菱がきっかりとありました。
                                                                 

2,西念寺・御嶽神社

龍雲寺から中山道に出て進むと「岩村田」の交差点に出ます。宿場の面影はあまりないのですが、アーケードのある商店街が続いています。寒竹という銘酒がある造り酒屋の戸塚酒造り店。お店は休業日の様子ですが300年の歴史があるそうです。少し先の道を左に行くと下仁田道との分か去れです。

道路を渡り、小諸藩初代藩主である仙石秀久と岩村田藩の内藤家の菩提寺である西念寺(長野県佐久市岩村田1188)に向かいます。昭和34年に長野県宝として指定された木造阿弥陀如来座像があります。宇治平等院と同じ定朝作だそうですが拝顔できません。本堂の屋根に「永楽通宝」がはめ込まれているそうですが、残念ながら気がつきませんでした。ヤングマガジンで連載しているアニメの「センゴク」の主人公仙石権兵衛秀久の墓所があるということで、アニメフアンにとって隠れた聖地となっているそうです。

12脚もある西念寺の立派な山門を後にして、相生町の交差点に出て右折。交差点脇に「この先、佐久甲州街道」の案内。ここも分か去れですね。曲がってすぐに常夜灯の「常」の字が切れて無くなっている石物と道祖神のある雨宮神社を通過します。踏切を越えると御嶽神社。原っぱの中に石塔群と共にぽつんとあります。御嶽信仰として昔は栄えたのでしょうね。浅間総合病院について回り込んでいる道を進むと左側に相生の松。現在は3代目の松ですが、皇女和宮を始め姫街道と呼ばれた中山道を通る姫君たちは、ここで野点を行ったそうです。
                                  


3,相生の松・荘山(かがりやま)稲荷神社

浅間病院西の交差点を直進します。右側にある道祖神は1838(天保9)年のもの。稲穂が揺れる田園地帯。所々にリンゴ畑。遠くの浅間連峰はかすんで昔日の旅人の気分で、緩やかに曲がって続く道を行きます。砂田橋を渡った辺りに日本橋より43里目の一里塚があったそうですが、位置も不明だそうで、今では新しいアパートが建ち、入居者募集の旗がひらめくばかりです。

右手に赤い鳥居の荘山稲荷神社(かがりやまいなりじんじゃ)。その先にある中部横断自動車道のガードをくぐって中山道は続いて行くのですが、実は今日は自転車。まだ陽があってもっと先に行きたいところですが、これから自転車を返しに御代田の駅までT時間ほど掛けて戻らなければなりません(あ〜あ、また坂道!)。このあと平塚集落などを抜けて、次の塩名田宿に続くはずですが、ここで岩村田宿を終わりとします。商業地として栄えた岩村田宿であったそうですが、本陣も脇本陣もなく、小さな小さな宿のイメージでした。
                 


Oct.10,2015 瀧山幸伸 source movie 

中山道
Nakasendo

鵜縄沢端一里塚
Ichirizuka
  

住吉神社
                           

岩村田
   


    






June 2005 瀧山幸伸 

Map 小田井から岩村田
Map 岩村田

中山道 小田井から岩村田 ドライブ
Nakasendo Otai to Iwamurada drive
June 2005 瀧山幸伸  HD quality(1280x720): supplied upon request.

中山道 岩村田 宿場内 ドライブ
Nakasendo Iwamurada town drive
June 2005  source movie

岩村田 ヒカリゴケ (国天然記念物)
June 2005  source movie

     

取材メモ
 岩村田の裏通りには宿場の面影が残るが、表通りはアーケードに覆われた近代建築でがっかり。昔ながらの風情を取り戻すのに百年はかかるかもしれないが、大規模店舗に対抗できない店は未来が無い。今からでも歴史的な街並復元運動を始めて欲しい。
 ヒカリゴケは昼間でもはっきりと見られる。ちょっと感動。

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