長野県松本市 旧開智学校
Kaichi Gakko,Matsumoto city,Nagano
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松本市開智2-4-2 旧開智学校校舎 国宝 近代/学校 明治 明治9(1876) 木造、建築面積513.58㎡、二階建、寄棟造、桟瓦葺、中央部八角塔屋付 建築関係資料 文書56点、図面7枚 19610323 20190930
旧開智学校
March 21,2020 大野木康夫
source movie
所在地 長野県松本市開智2丁目4-12
国指定文化財等データベースより引用
旧開智学校校舎は,明治9年に地元の大工立石清重により建設された学校建築である。
立石は建設に先立って東京や横浜に赴き,当時最新の洋風建築の情報を収集した。
木造2階建で,正面中央に二層の車寄をつけ,その上方に八角形の塔屋を載せる。
車寄は正面に龍の彫刻,上部の露台に瑞雲の彫刻を飾り,その上の唐破風屋根に天使の彫刻を付した額を掲げる。
外壁は漆喰塗で,腰石積と隅石積を鼠漆喰で擬似的に表現し,縦長窓を等間隔に並べるなど,洋風を基調としながら我が国の伝統意匠を織り交ぜる。
内部は中廊下で動線を確保し,級別授業に対応した教室や広い講堂,教員控所などを整然と配置する。
旧開智学校校舎は,明治初期に地元の大工が最新の洋風建築を模範とし,伝統技術を駆使して建設した学校建築である。
和洋の要素を用いて独創性豊かで優れた意匠の校舎に再構築するとともに,全国で盛行した擬洋風校舎の中でも先駆的な計画性と高い完成度を備えている。
近代化を推進した開化期の洋風建築受容を示し,近代教育の黎明を象徴する最初期の擬洋風学校建築として,深い文化史的意義を有している。
松本城の北方すぐのところにあります。
訪問時は新型コロナウイルスの影響により公開を中止していたので、柵越しの撮影となりました。
付近のカラーマンホール蓋
旧開智学校校舎(国宝)
明治9(1876)年の建築
木造、建築面積五一三・五八平方メートル、二階建、寄棟造、桟瓦葺、中央部八角塔付
東側から
南側(正面)から
旧開智学校校舎
(Former Kaichi School, Matumkoto City, Nagano Pref.)
長野県松本市開智2−4−12
開智学校は、明治6年(1873)筑摩県学(ちくまけんがく)を改め、学制による小学校「第二大学区第一番小学開智学校」として開校しました。現在保存されている校舎は、明治9年4月に棟梁の立石清重(たていしせいじゅう)によって建てられました。工事費は約1万1千円、当時の大工日当が20銭、権令(県知事)の月給が20円ですからかなりの高額。しかも工事費の約7割は松本町民の寄附でした。町民の開智学校への期待の大きさが伺われます。
構造は木造で桟瓦葺、寄棟2階建土蔵造りで、中央に「東西南北」の風見を配した八角塔が高くそびえ立ち、各窓に舶来のギヤマン(ガラス)を取り付けた、和風と洋風の入り混じった擬洋風建築の代表的なものといわれています。
昭和36年に国の重要文化財に指定されました。女鳥羽川畔にあった校舎は、約90年間使われましたが、昭和38年から翌年にかけて現在地に解体移築復元されました。
教育博物館として江戸から現在までの各種教育資料が展示されています。
(松本市公式観光情報ポータルサイト「新まつもと物語」より)
パンフレットと現地説明板
建物外部とディテール、西面と北面
建物外部とディテール、南正面
内部、1階
2階への階段
内部、2階
長野県松本市開智
学都松本に相応しい文化遺産である旧開智学校校舎。白壁の美しい建造物です。
明治9年に完成した洋風建築の校舎は昭和36年まで使用され、昭和39年に現在の場所に移築、保存されています。
A camera
B camera
June 2008 撮影・文 高橋久美子
いつ見ても全くすごい装飾です。西洋と中国と日本が、怒濤のごとくぶつかり合ってます。
それにつけても、開智学校に限っては、天使は中性じゃなかったんだと思わせます。
Sep..2006 撮影:瀧山幸伸 source movie
展示室
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