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長野県木曽町 木曽福島

Kisofukushima,Kiso Town,Nagano pref.

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 Culture
 
関所 歴史資料館
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Dec.3,2019 柚原君子


中山道 第37 福島宿


概要


『山蒼く暮れて夜霧に灯りをともす,木曽福島は谷底の町』は太田水穂氏(1876-1955)の歌。長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)に生まれた国文学者で「この花会」では窪田空穂と同人。
歌に詠まれているように、深い山が幾重にも続いていく中を木曽川が蛇行して流れ,山々に張り付くように広がる福島宿の一帯は日暮れの早い谷底の趣です。その地形は自然の要塞にふさわしい場所となり山城も多くあります。
木曽福島宿は木曽11宿の中では政治経済の中心地となっていて、街道は飛騨の国や伊奈に通じる交通の要所であるところから、中山道三大関所の一つ『福島の関』が置かれています。

地名の冠になっている木曽は『木曽義仲』で有名な木曽一族。
※源義仲は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲 の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍ともと呼ばれている。(参考:ウキィベティア)

その木曽義仲を一代目とする(諸説あるが)木曽家七代目の木曽家村のとき、元弘・建武の争乱に際して足利尊氏に属して軍功を上げ、足利尊氏から木曽地方の所有権・知行権をまかされて木曽福島が木曽氏中興の祖になった、と伝えられています。
当初は木曽福島宿より三つ京寄りの宿である須原に居を構えますが、応永年間(1394年~1427年)に11代目にあたる木曽親豊が木曽谷の中心で飛騨国や伊那へ通じる交通の要所であった福島に拠点を移し、小丸山城を築城して木曽福島宿に木曽氏の名前が出てくる始まりとなります。

時を経て1533(天文2)年、17代の義在になると木曽の木材を財政として他藩に出すために洗馬から馬籠までの街道を整備。
1555(天文24)年に武田信玄が木曽谷へ侵攻すると、時の当主18代木曽義康が上之段城に、子義昌が小丸山城に籠もりますが、やがて和議を結んで武田軍に降伏して従属します。

さらに時が移り戦乱の世、木曽は豊臣秀吉の直轄領となり1590(天正18)年、木曽氏は下総の網戸に移されてしまいます。その時の木曽の代官は犬山城主の石川光吉。そして関ヶ原の戦い以後は木曽氏の旧臣である山村良候が木曽氏遺臣、千村氏とともに木曽党を集めて家康に属して木曽へ乱入し、山村氏がこれを奪還し、その功績で山村氏は代官として木曽地方の権利を得て、徳川家康の直轄領となっていた木曽福島に就任します。
現在、木曽川をはさんで反対側にある広大な城跡に山村代官所があります。

戦国時代には領主木曽氏の城下町、江戸時代には代官所のある陣屋町として栄えますが、昭和2年5月の大火で大半が焼失します。しかし、上之段地区の一部は大火から逃れられたために古い家並みが残っています。山が高く深い木曽谷の森林は日本にとっても大きな財産で、1657年の江戸の大火でも復興材を伐出のほか伊勢神宮御用材なども材出しています。また1889年皇室財産の分離で、木曽の山に御用林が点在。その関係で明治から大正にかけて皇室の方々の訪問も多い土地です。

1843(天保14)年の『中山道宿村大概帳』によれば、福島宿の宿内家数は158軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒、宿内人口は972人。

1,中山道中間地点~手習天神


2019年12月3日、新型コロナ禍もまだ無い頃(これより先、10ヶ月間外出不可を余儀なくされるが)、木曽福島宿を撮影目的ですが、先回宮ノ越宿で終えているところからの出発をしたいので原野駅に戻り、そこから中山道中間点のある福島宿に向かう本日の予定です。

原野駅を降りてほどなく行くと庚申塔と石仏群。1,2分歩いて「中山道中間点」に。江戸、京より67里28町(約266キロ)地点です。先の斜め右の細い路を入り小さな神社を過ぎて竹藪の横にある細い踏みしめられた道を行きます。この道でいいのかな、と思いつつとにかく道なりに行くと幅50センチほどの鉄の橋に出ます。歩行者のみ通行可でちゃんと中山道の札がぶら下がっていて、ホッとします。

川に平行した道を上がっていくと「栗本バス停」。木曽義仲が13歳の元服までかくまわれていた「中原兼遠屋敷跡」があるというのでバス停よりJRの線路を越えて山側に行ってみましたが判読不能の木札一本のみでした。
街道に戻って「薬師堂」と「手習い天神」に。天神様は先ほどの中原兼遠が木曽義仲とわが娘巴の学問の神様として北野天満宮を勧請したとあります。義仲と巴御前はこの辺りで駆け回って子ども時代を過ごしたそうで、縁の松と桜が仲良く植えられています。
                                                                                        

2,出尻の一里塚~関町交差点

上田のバス停を過ぎるとまた右側の細い道に下って行くのが中山道ですが、通行不能の立て札。国道を行きます。通行不能になっている道をたどればここに来たのだろうな、と思われる場所に一里塚。石も立派。墨も黒々と書かれています。それもそのはず、国道敷設で本当の一里塚は失われたとあります。
一里塚の説明には
「尾張藩の木曽支配と関守の任にあたった山村代官の屋敷が木曽川の対岸にあり、他の木曽路の宿の様子とは少し違った」と書いてあります。このことが、後に福島宿内をウロウロしてしまう、わかりづらい宿という結果になります。中山道は大体が一本道で史跡や山城が多少中山道より奥まったところにありますので、旅程によっては行ったり行かなかったりします……しかし福島宿だけは人よりも方向音痴度合いが高い私にとってはさらに複雑と思える中山道でした(苦笑)。

国道矢崎橋の交差点に出ました。
右側に創業300年のくるまや蕎麦店。経塚と芭蕉の句碑を過ぎて次は関町の交差点に国道はすごい勢いの車の流れでガードレールは付いていますが怖いです。

                                           

3,木曽福島関所~本陣跡碑


関所までもう少しの国道ですが、黒川ダムが右側にあり山の奥深くであることがわかります。進んで行くと前方に巨大な冠木門。街道いっぱいの大きさです。対岸は山村代官屋敷跡方面で『長福寺』でしょうか本堂の屋根が見えます。結果的には結局、複雑すぎてウロウロしすぎて、山村代官屋敷の方には足を伸ばせませんでしたが、『長福寺』には木曽家と山村家の墓所があると手持ちの説明にはあります。紅葉が残っていて本堂の瓦屋根と光って見えてきれいです。

大きな冠木門の左の坂を上がると関所跡。東海道の箱根関所や荒居関所、中山道の碓氷関所とともに四大関所といわれています。
中山道が整備された数年後に作られて明治2年まで山村代官が統率して機能していた関所です。特に戦など有事の際には、江戸を守るために木曽川の断崖の険しく、狭い場所にあえて関所を設けて即封鎖できるような仕様です。入り鉄砲に出女とは良くいわれる言葉ですが、特に女性に対しての吟味は長く二時間もかかったといわれています。

廃関後に全ての建物が壊されたようで、関所跡は広い地面だけでその地面に東門跡、番所跡と札でしめされているのみです。資料館はありましたが当日はお休みでした。

『髙瀨家資料館』がありあす。徳川家献上の『奇應丸』漢方薬および明治時代の文豪島崎藤村の姉、園の嫁ぎ先で小説「家」のモデルの場所でもあります。

急な階段を降りて卯建のある家を過ぎた辺りから少し迷います。なかなか本陣の前に出られません。30分ばかり元の道に戻ったりしましたが道の奥のビルの前に小さな立て札が見えます。あれかも、と思って近づいたら「本陣跡」でした。白木家が勤めて問屋を兼ねていたとのこと。現在は市庁舎が建っています。

                                                            

4,上之段の武家屋敷町並み~行人橋~木曽福島駅


まだ道なりに行けていません(笑)。七笑酒造の店舗に出ました。代官屋敷の方にも少しは行きたいのですが裏道などを通って出たところは『高札場』でした。先に進むと卯建のある商家が連なる道。古い町並みが残る『上之段』に出たようです。水場もあります。この上之段地区は、江戸時代以前には上之段城の城下町として栄えた場所。その名残の小路が多く、武家屋敷の町並みです。

細い路地の奥には大通寺。牛越小路などの標識もあり、もはやどれに従っていったら先に進めるのか混乱。
大通寺から南に下ってしまったので「行人橋」に出てしまいました。代官屋敷の方に行く道のようです。途中まで行きましたがあまりにも遠い様子ですので戻ります。

というわけで、木曽福島駅になんとか到着しました。あとで地図を見ながらまとめてみると、そうそう、そちらね、とわかる道ですが、いやはや、山に登ったり急階段登ったり、戻ったり、中山道一のわかりづらい道筋でした。

                                                        

5,塩淵の一里塚~御嶽遙拝所


木曽福島は谷底の町ですから12月の日暮れが早いことを意識しなければなりません。その上、わかりづらい道を行くのですから、矢張りちょっと大変。

木曽福島の駅を過ぎて下って行く道をとると木曽町役場にでます。その脇の細い道が中山道です。時間はもう15時を過ぎました。あと一時間半くらいで薄暗くなるでしょう。なんとか上松の駅に到着できればと思います。少し心細いです。10分ほど歩いて塩淵の一里塚に。手押し車のおばあさんとすれ違いました。顔に深いシワですが笑顔がとてもいいです。

突き当たったT字の道を左に折れて行くと旧中平地区。
江戸時代はこの辺りに集落があり立場茶屋があり木曽の特産品である木の櫛を売っていたあります。立場茶屋は宿はずれの休憩所です。宿場内の旅籠を守り、宿場の統制を取るために宿泊は禁じられてお茶や団子を売るところです。
現在では集落もいつの間にか消えた場所で寂しいところです。

山道がS字状に曲がって行き国道19号線の高架をくぐります。左に中央線の廃線トンネルが見えます。そのまま国道に出ましたが、トンネルをくぐるという案内でいってみたのですがわからず引き返し、とにかく国道沿いに行けなければと行き、神戸(旧合渡村)に。時間は16時。薄暗くなり始めています。やっと御嶽遙拝所に来ました。100メートルばかり行った先で再び国道19号線の高架をくぐり木曽の桟まで1㎞と書かれたところまで来ました。中山道の仕切りにいつも迷いますが、木曽の桟まで行ってしまうと上松宿ですので、この辺りで木曽福島宿を終了します。

                                                      


Sep.2009 撮影:高橋久美子

興禅寺

Kozenji

                                     

関所/高瀬家

Sekisho/Takaseke

                     

街並

                                              

上の段

                                        


Apr.2008 瀧山幸伸 source movie

上の段町 古い街並みが残る

  


June 2005  瀧山幸伸

Map 木曽福島北

Map 木曽福島南

中山道 宮ノ越から木曽福島 ドライブ

Nakasendo Miyanokoshi to Kisofukushima drive

June 2005 HD quality(1280x720): supplied upon request.

中山道 木曽福島 ドライブ

Nakasendo Kisofukushima town drive

June 2005  source movie

June 2005  source movie

  

新しく造られた水の演出

    

古い街並と水の演出が調和している、素晴らしい空間。

  

         

木曽福島関跡

Kisofukushima gate

June 2005  source movie

関所や水場が復元されている。木曽川と山に挟まれた狭隘な高台で、地形的に迂回できない場所である。ここから福島市街と木曽川の眺望は立体的で美しいが、残念ながら近代的な屋根と街並だ。町全体の保存復元運動が望まれる。山からの湧き水がおいしい。

     

関所から見た街並

  


Aug. 2003 瀧山幸伸  source movie

【山村代官屋敷】 当時の行政府を偲ばせる施設が保存されている。

  

【福島の関】

  

  

 

  

関所の隣は高瀬家資料館

  

関所の対岸には木曽義仲の墓がある

 

【木曽福島郷土館】

館庭には近隣の石仏石堂が移設保存されている。いずれも街道途中や村外れにあったもので、重要な景観演出要素でもあるのでレプリカを作成して戻してあげたいが。

道祖神(塞の神)はその源流として巨石崇拝、陰陽石崇拝などに由来する。道中安全を祈願するとともに、疫病などの災厄が村に入らないようにと設置された。

馬頭観音は当時の荷役として大変貴重だった馬をねぎらうとともに道中安全を祈願したものだ。

三界萬霊は災害や飢饉で死んだ先祖を供養するために食を施す施餓鬼の盂蘭盆に関連する。修行僧が経文を石に書き写し埋め、その上に石堂を据えた。

双体道祖神は両手を繋いだり抱き合ったり交合しているものもある。旅の安全祈願というよりは、夫婦円満・子孫繁栄・五穀豊穣の目的で設置された。

庚申塚は猿田彦を祭り道教の庚申信仰に由来する。いかにも日本的で宗教の混在である。青面金剛を彫ったもの、大日如来を彫ったもの、庚申塔文字や梵字のみを彫ったものなどもあり、これも道中安全と災厄の防御を目的とした。

  

  

  

  

  

つくばねの木 実は羽子板の羽根にそっくりである。

 

福島のまとめ アセスメント 合計 2点

周辺の自然と景観 +1

中山道フィーチャリング(関所)+1

水の演出 +3

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