長野県松本市 松本城
Matsumoto Castle,Matsumoto city,Nagano
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松本市丸の内4-1 松本城天守 乾小天守 国宝 近世以前/城郭 桃山 文禄元(1592) 三重四階、本瓦葺 19360420 19520329
松本市丸の内4-1 松本城天守 渡櫓 国宝 近世以前/城郭 江戸前期 元和元(1615)頃 二重二階、本瓦葺 19360420 19520329
松本市丸の内4-1 松本城天守 辰己附櫓 国宝 近世以前/城郭 江戸前期 寛永(1624-1643) 二重二階、本瓦葺 19360420 19520329
松本市丸の内4-1 松本城天守 月見櫓 国宝 近世以前/城郭 江戸前期 寛永(1624-1643) 一重、地下一階付、本瓦葺 19360420 19520329
April 19, 2023 野崎順次 source
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近くの花々
二の丸御殿跡
国宝松本城
0
帰途
March 21,2020 大野木康夫
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所在地 長野県松本市丸の内4番1号
国指定史跡
国指定文化財等データベースより引用
松本市ノ北部ニ位スル平城ニシテ天正年間石川康昌ノ経営ニ係リ其ノ子光長城壘ヲ修築シテ現今ノ規模ヲ成セリト傳フ
後小笠原、戸田、水野ノ諸氏在城シ享保十年戸田光慈入城シテ子孫相継キ明治維新ニ至ル
城構ハ本丸、二ノ丸、三ノ丸ヲ備ヘ本丸ハ周囲ニ城門ヲ有スル
石壁竝城濠ヲ繞ラシ西部ニ五層ノ天守閣三層ノ小天守及月見櫓ヲ有シ東南ニ黒門阯ヲ残セリ
二ノ丸ハ本丸ノ東及南ニ連リ外濠ノ見ルヘキモノアリテ三ノ丸ハ全ク市街地トナリタルモ外濠ハ溝渠トナリテ諸所ニ遺存セリ
松本城は戦国時代から幕末まで継続して使われた信州を代表する近世城郭である。
初め、深志城と呼ばれ、甲斐の武田氏が守護小笠原氏を追放し、信濃支配の拠点としたことから重要性を増すこととなった。
武田氏滅亡後は北から上杉氏が、南から徳川氏が信濃支配をめざすが、徳川氏の支援を得た小笠原氏が奪取し、城下町の経営を進めた。
天正18年(1590)の家康の関東移封に伴い、小笠原氏に替わって豊臣系大名である石川数正が入部し、数正・康長父子により城と城下町の建設が大きく進展した。
関ヶ原の戦後は、小笠原・戸田・松平・堀田・水野・戸田氏とめまぐるしく藩主が交代し、明治維新を迎える。
外周に総堀をめぐらし、内側に三の丸を置く。
その北寄りに外堀があり、内側が二の丸、さらにその内側の東・南・西に内堀を掘り、本丸を置く。
三の丸南側の総堀のすぐ南に女鳥羽川が総堀と並行して東から西へ流れ二重の堀としての役割を果たしていた。
本丸の西南隅には国宝松本城天守がある。松本市教育委員会は平成11年に「松本城およびその周辺整備計画」を策定し、史跡整備を進めている。
追加指定地は西総堀土塁の一部であり、開発計画に伴い、市教育委員会が発掘調査を実施した。
その結果、石川氏による築城時のものであると考えられるに至ったことから、追加指定を行い、保護の万全を期そうとするものである。
案内板
内堀風景
北アルプスが見えます。
高くそびえて見える常念岳の左肩に槍ヶ岳が穂先だけ覗いていました。
信州大学松本キャンパスの卒業式当日でしたが、新型コロナウイルスの影響で式が学科代表のみの出席となったため、他の卒業生が市内各地で記念写真の撮影をしていました。
松本城天守もウイルスの影響で公開中止となり、本丸庭園は無料開放されていました。
松本城天守(国宝)
5棟の連立天守としての指定です。
天守
元和元(1615)年頃の建築
五重六階、本瓦葺
乾小天守
文禄元(1592)年の建築
三重四階、本瓦葺
渡櫓
元和元(1615)年頃の建築
二重二階、本瓦葺
辰巳附櫓
寛永年間(1624-1643)の建築
二重二階、本瓦葺
寛永年間(1624-1643)の建築
一重、地下一階付、本瓦葺
全体像
天守
乾小天守
渡櫓
辰巳附櫓
月見櫓
黒門
ホテルから見た北アルプスの夕景
松本城天守ライトアップ
Apr.7,2018 瀧山幸伸
天守閣内部
撮影:Feb. 2016
<天守>
<乾小天守>
<渡櫓>
<辰巳附櫓>
<月見櫓>
辰巳附櫓及び月見櫓
長野県松本市丸の内4−1
文禄(1593〜1594)年間に建てられた五重六階の天守としては日本最古です。幾たびかの存続の危機を、市民の情熱により乗り越え、四百余年の風雪に耐え、戦国時代そのままの天守が保存されています。
明治の大改修後の昭和11年、国宝に指定されました(昭和27年再指定)。別名深志城とも呼ばれています。姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつです。
周辺は松本城公園として整備されており、北アルプスを抱いた威風堂々とした姿と、季節ごとに見せるさまざまな表情が美しく、松本のシンボルとして多くの方に親しまれています。
(中略)
②天守の築造
豊臣秀吉は、天正18年(1590)に小田原城に北条氏直を下し天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。このとき松本城主小笠原秀政が家康に従い下総へ移ると、石川数正・康長父子が代わって入り、城と城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。天守の築造年代は文禄2年から3年(1593〜4)と考えられています。
③なぜ黒い?
石川氏は豊臣秀吉の信頼の厚い武将でした。秀吉の大坂城は黒で統一されていました。松本城が黒いのは、石川氏の秀吉への忠誠のしるしと思われます。また、松本城は戦国末期、鉄砲戦を想定した戦うための漆黒の天守の典型として、現存する唯一の城です。ちなみに関ヶ原の戦い以降は、姫路城など白亜の天守が築造されました。
(松本市公式観光情報ポータルサイト「新まつもと物語」より)
パンフレットと現地説明板
内堀越しに見る。左から右へ、乾小天守、天守、辰巳附櫓、月見櫓と並ぶ。
西に北アルプスが少し見える。
黒門
本丸に入り、本丸御殿跡越しに天守などを見る。
さらに近づいて
内部
天守6階
下る
月見櫓内部
長野県松本市丸の内
現存12天守でかつ国宝の松本城。国宝の城郭は姫路・犬山・彦根とこの松本城の4城のみです。
堀に沿ってぐるりと城を一回りすることができます。やはりこの城は堀越しに見る姿が一番美しい思います。
May 2010 瀧山幸伸 source movie
A camera
B camera
Sep .2006 瀧山幸伸
城 外部
Exterior source movie
城 内部
Interior source movie
渡櫓
渡櫓二階
乾小天主
天主一階
天主二階
天主三階
天主四階
天主五階
天主六階
辰巳附櫓二階
月見櫓
松本市博物館
野沢菜おやき
May.2005 瀧山幸伸 source movie
Aug.2003 瀧山幸伸 source movie
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