長野県松本市 牛伏寺と牛伏川
Gofukuj and Ushibusegawai,Matsumoto city,Nagano
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October 18,2020 大野木康夫
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所在地 長野県松本市大字内田字内田山
牛伏川本流水路
Ushibusegawa Honryu Suiro
【国指定文化財等データベースより引用】
牛伏川本流水路は、松本市南東部の筑摩山地を水源とする信濃川水系牛伏川に設けられた砂防施設の一部をなす流路工である。水路の中に複数の床固(段差)を取入れた独特の形状から階段工の異名で知られる。
近世以前の牛伏川は、水源地の崩壊により流域の村落に度々水害をもたらす暴れ川であった。牛伏川砂防施設の建設事業は、明治18年に内務省新潟土木出張所によって始められ、同31年からは長野県の国庫補助事業「牛伏川砂防工事」に引継がれ、大正7年に一連の本事業が完了した。牛伏川本流水路は、大正5年度の中心をなす工事として建設されたものである。「牛伏川階段工」の名称で、平成14年8月21日付けで登録有形文化財(建造物)となっている。
牛伏川本流水路は、牛伏川砂防施設のうち最下流側に設けられた構造物であり、上流の各沢が本流に収束する合流点に所在する。砂防工事の進捗によって下流へ集まるようになった各沢からの水流による河床の浸食を防ぐために計画されたもので、33年に及んだ事業を締めくくるものであった。
設計は長野県内務部土木課により、内務省土木局技師池田圓男の指導を受け、課長技師西池氏文と技手西村林十が担当した。水路の形式は、段差と緩勾配の連続による水勢の抑制効果と牛伏川砂防施設の建設工事の主流であった石積工法との親和性に着目した池田が、アルプス渓流砂防の石積水路を参考として、長野県に提案したものである。
池田圓男(1871-1931)は、鳥取県出身。明治30年に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業後、内務省に任官して第五区土木監督署に赴任し、主に淀川改修事業に従事した。大正11年から同13年まで内務省土木局第一技術課長を務めた。
東西延長141.2m、現地で採取した野面石を用いた三面空石積の水路で、水路内に18基の床固を配し、下流側(西側)端部に高さ3.0m、法勾配1割の練石積の床固を設ける。水路内の床固は、高さ0.8m、法勾配五分程度とする。上流側(東側)で3.6mの間に3基を連続させて設けるほかは間隔を広く取り、さらに水路上に小段を設けて水路の勾配を平均20分の1に抑える。
水路は幅5.6メm、高さ1.4m、床固の下で幅を広げて台形状の水叩きを設け、独特な蛇腹状の平面を形づくる。水路の側壁は勾配八分で立上げ、台形断面を呈する。
谷地を埋立てて造成した右岸に床固から連続する袖壁を延ばすほか、水路上流側の右岸端部に護岸石積、最上流部の床固の左岸には旧堰堤取付工を設ける。
牛伏川本流水路は、近代渓流砂防技術発展の拠点であったアルプス地方において導入されていた先端的な計画及び設計手法に基づき、自然地形との調和を図りながら精緻な石積技術を駆使して建設された、技術的に優れた砂防施設である。また、地盤の安定化と山腹裸地の緑化により、広域にわたる荒廃地の再生に寄与した、信濃川流域を代表する近代砂防工事である牛伏川砂防工事の掉尾を飾る構造物として、歴史的に価値が高い。
牛伏川本流水路(牛伏川階段工)は松本氏南東部の牛伏川上流に設けられた砂防施設です。
馬場家住宅から東に進み、牛伏寺の駐車場を過ぎて見学用の駐車場まで車で行くことができます。
各所に設けられていた説明板
牛伏川本流水路(重要文化財)
大正6(1917)年の築造
石造及びコンクリート造、延長141.2m、旧堰堤取付工及び護岸石積附属
見学コースの橋の下から
橋の上から
右岸の見学コースを登りながら撮影
最上流部付近
河畔にはチヂミザサが群生しており、この季節ではズボン一面に実がくっついて難儀しました。
Sep.2020 酒井英樹
牛伏川本流水路
Ushibusegawa Honryu Suiro
牛伏川本流水路は、松本市南東部の筑摩山地を水源とする一級河川信濃川水系牛伏川に設けられた砂防施設の一部をなす流路工である。
フランスアルプス地方において導入されていた水路の中に複数の床固(段差)を取り入れた独特の形状から牛伏川フランス式階段工の異名で知られる。
近世以前の牛伏川は、水源地の崩壊により流域の村落に度々水害をもたらす暴れ川であった。
牛伏川砂防施設の建設事業は、明治18年(1885)に内務省松本土木出張所(現:国土交通省松本砂防事務所)によって始められ、明治31年(1898)からは長野県の国庫補助事業「牛伏川砂防工事」に引き継がれ、大正7年(1918)に一連の事業が完了した。
牛伏川本流水路は、牛伏川砂防施設のうち最下流側に設けられた構造物であり、上流の各沢が本流に収束する合流点に所在する。
各沢からの水流による河床の浸食を防ぐため、大正5年(1916)から建設された。
設計は内務省土木局技師池田圓男の指導を受け、長野県内務部土木課が担当した。
東西延長141.2m、現地で採取した野面石を用いた三面空石積の水路で、水路内に18基の床固を配し、下流側(西側)端部に高さ3.0m、法勾配1割(縦横比=1:1)の練石積の床固を設ける。
水路内の床固は、高さ0.8m、法勾配5分(縦横比=1:0.5)程度とする。
上流側(東側)で3.6mの間に3基を連続させて設けるほかは間隔を広く取り、さらに水路上に小段を設けて水路の勾配を平均20割(縦横比=1:20)に抑えている。
水路幅は5.6m、高さ1.4m、床固の下で幅を広げて台形状の水叩きを設け、独特な蛇腹状の平面を形づくる。
水路の側壁は勾配8分(縦横比=1:8)で立ち上げ、台形断面を呈する。
谷地を埋め立てて造成した右岸に床固から連続する袖壁を延ばすほか、水路上流側の右岸端部の護岸石積、最上流部の床固の左岸には旧堰堤取付工を設ける。
牛伏川本流水路は、近代渓流砂防技術発展の拠点であったアルプス地方において導入されていた先端的な計画及び設計手法に基づき、自然地形との調和を図りながら精緻な石積技術を駆使して建設された、技術的に優れた砂防施設で歴史的に価値が高いことから重要文化財に指定されている。
June 2011瀧山幸伸 source movie
牛伏寺
Gofukuji
A camera
B camera
牛伏川本流水路
Ushibusegawa Honryu Suiro
フランス式階段流路
松本市大字内田字内田山 牛伏川本流水路(牛伏川階段工) 重文 近代/産業・交通・土木 大正 大正6(1917) 石造及びコンクリート造、延長141.2m、旧堰堤取付工及び護岸石積附属 20120709
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