長野県長野市 松代
Matsushiro,Nagano city,Nagano
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General
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真田十万石の伝統を再評価し、再現する努力を行っている |
Nature
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山に囲まれ落ち着いた町 |
Water |
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素晴らしい清水が湧く |
Flower |
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Culture |
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文武学校で貴重な藩校体験 |
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Food |
Aug.2012 瀧山幸伸 source movie
長国寺
Chokokuji
松代地下大本営跡
西楽寺 真田信重霊屋
Sairakuji
【西楽寺 真田信重霊屋】重文
長野市松代町西条905 真田信重霊屋 重文 近世以前/神社 江戸前期 慶安元(1648) 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、こけら葺 前机1脚、釣燈籠2個 19710622
Sep 2005 HD(1280x720)
【長国寺 】
Chokokuji
Sep 2005 HD(1280x720)
真田信之霊屋 重文
長野市松代町松代1015-1長国寺 真田信之霊屋 宝殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 万治3(1660) 桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、こけら葺 19760520
長野市松代町松代1015-1長国寺 真田信之霊屋 表門 重文 近世以前/神社 江戸前期 万治3(1660) 四脚門、切妻造、こけら葺、両袖塀附属 19760520
内部
旧横田家住宅 重文
Yokota residence
長野市松代町松代1434-1 旧横田家住宅(長野県長野市松代町松代) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 寛政6(1794) 桁行16.2m、梁間8.7m、寄棟造、北面玄関附属、寄棟造、南面突出部、二階建、寄棟造、東面便所附属、茅葺 19860122
長野市松代町松代1434-1 旧横田家住宅(長野県長野市松代町松代) 表門 重文 近世以前/民家 江戸末期 天保13(1842) 長屋門、桁行16.3m、梁間3.6m、切妻造、桟瓦葺、南面庇付、鉄板葺 板塀1棟 19860122
長野市松代町松代1434-1 旧横田家住宅(長野県長野市松代町松代) 隠居屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 文政3(1820) 桁行7.7m、梁間4.6m、北面突出部 桁行5.4m、梁間2.7m、寄棟造、北東隅及び西面庇付、茅葺 19860122
長野市松代町松代1434-1 旧横田家住宅(長野県長野市松代町松代) 土蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 土蔵造、桁行5.5m、梁間4.5m、二階建、切妻造、桟瓦葺、東面庇付、桟瓦葺 19860122
長野市松代町松代1434-1 旧横田家住宅(長野県長野市松代町松代) 土蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 土蔵造、桁行2.7m、梁間3.6m、切妻造、桟瓦葺 19860122
長野県長野市松代町松代字代官町一、四三四番地一
禄高百五十石の中級武家の家柄。主屋は寛政6年(1794)の建築。
敷地は千坪。主屋、隠居屋、土蔵、長屋門、畑など、当時の武家の屋敷構えがほぼ完全に保管されている。二階の丸窓、手摺などに繊細な意匠が見られる。部屋から眺める庭の池に小宇宙を感じる。
Sep 2005 HD(1280x720)
【大本営 象山地下壕】
Sep 2005 HD(1280x720)
【松代の街並】
Townscape May 2004 HD(1280x720)
三方を美しい山に囲まれ、残りの一方は千曲川、川中島を背に発達した松代は大本営も置かれたとおりの天然の要塞である。美しい景観、清い空気と水、静かな環境、それに加えて効能高い療養型温泉もある。
心身ともにリフレッシュできる街で、 短時間の訪問ではなく、ぜひ宿泊滞在してみたい。
松代は真田十万石の城下として栄えたが、近年20億円をかけて城跡の整備を行い、2004年春の城門復元イベントには2日で10万人が訪れた。
城と藩校、武家地の部分はかなり整備されており整然としているが、町人町の部分に当時の面影が見られないため、和風の店の賑わいや雑然とした部分が無く寂しい。
長野電鉄がのんびりと
【松代城 】
Matsushiro castle May 2004 HD(1280x720)
永禄3(1560)年、武田信玄が上杉謙信の攻撃に備え築城した。第4回川中島合戦では、武田軍はここへ集結し「きつつきの戦法(*)」で出陣した。初代城主は高坂弾正。
元和8(1622)年に真田信之が上田城から初代松代藩主として移って以来、真田氏10代が続いた。
昭和56年に国の史跡指定を受け、発掘調査の後、門の復元や石垣・土塁の修復工事が行われた。
(*)きつつきの戦法 キツツキが虫のいる木の側面をくちばしでコツコツとたたき、虫が驚いて反対側へ逃げ出したところを捕獲するという習性から称された戦法で、武田軍の参謀・山本勘助の策。 永禄4(1561)年の第4回川中島合戦の時、9月9日夜、武田軍が二隊に分かれ、一隊が上杉軍の本陣である妻女山に奇襲攻撃をかけ、上杉軍が山を下りるのを残る一隊が待ち受けて八幡原で撃つという作戦だったが、上杉軍に見破られ失敗した。(参考:市資料)
【復元なった太鼓門】
文武学校
Matsushiro castle Bunbu school May 2004 HD(1280x720)
文武学校と周辺
Bunbu school,Matsushiro townscape May 2004 HD(1280x720)
安政2(1855)年開校。水戸の弘道館に習って作られた。全国270藩のうち、藩校が現存しているのは9。そのうちの一つが文武学校だ。ここでは、武術のほか、西洋の軍学、珍しく医学なども教えられており、極めて先進的な教育を行っていた。また、儒教を廃しており、多くの藩校に見られるような孔子廟を設けていない。佐久間象山は松代ゆかりの代表的な人物だ。
現在でも文武学校の武術道場が利用されているのはもちろんのこと、座敷を利用した小学生向け体験授業も行われており、伝統的建造物の動態保存の好例である。取材当日は全館を利用して華道家によるインスタレーションが行われていた。長野市の生涯学習リゾート構想に基づく「エコール・ド・まつしろ」運動として、このような伝統的建造物での生涯教育体験プログラムが積極的に展開されている。
http://www.matsushiro-club.jp/
【文武学校から城に続く通り、小学校の塀 】
公共施設の建築様式が伝統的な街並景観を破壊している街がほとんどである中、ここでは小学校の塀を街並に調和した伝統的な様式に変更した。この効果はてきめんで、向かいの真田邸土蔵、隣接の文武学校と一体となり、美しく落ち着いた街並が再現された。このような美しい環境で学ぶ子供たちは幸せだ。環境問題、景観問題などの社会性公益性の教育を進めるのであれば、このような学習環境の整備が必須であろう。落書きの塀、汚い校舎では情操教育も道徳教育も難しいのではあるまいか。
欲を言えばフラワーポットとその中の植栽、道路舗装にも和風の配慮が欲しいところである。
【池田満寿夫美術館】
【三の堀の再現】
【旧 白井家表門】
老朽化が激しく、元の位置から文武学校の前に移築された長屋門。門の内側にはボランティアガイドの交流スペースがあり、地域の話を伺ったり、無料のガイドツアーが開催されるコミュニケーションスポットだ。こちらのガイドさんは、趣味が高じて城の形の立派な自宅を建築した。
【童謡の森】
長野は多くの童謡作家を育てた。 童謡、絵本を通じた文化交流も考えられる。
【真田邸】 9代藩主・真田幸教が母お貞の方のために隠居所として建てた。庭園のしだれ桜が有名。
おだまき
【まとめと提言 松代・須坂・小布施連携 教養体験プログラム】
城下町の松代、製糸業と蔵の町須坂、在郷商人の町小布施と、この地域に集中する三つの街は、顔が違い、歴史が違い、行政も違う。だが、はたしてそれぞれ独立した観光キャンペーンが正しいのであろうか。観光客が日帰りで短時間訪問する駆け足の目的地として競うよりは、宿泊、時間消費型の目的地として連携する方策があるのではなかろうか。その鍵は「文化教養体験」すなわち、人文科学的視点を重視した「歴史と文化のフィールド型カルチャーセンター」ではなかろうか。各地域がそれぞれ得意とする「講座」を開催し、訪問者はそれぞれの単位を取得していく「自己実現型デスティネーション(目的地)」となるべきではなかろうか。この三つの街は、単発型の団体観光客を追い求めるべきではない。地道に目的志向の強い個人客、リピーターを増やすべきであろう。
例えば、街並ガイドの発展系として、城下町に関連する歴史講座や工芸講座、文武学校に関連する武術講座、その他一般の華道、茶道講座などを開催すれば、大都市で開催されるカルチャーセンターのフィールド実習として、時間消費型の交流体験ができるのではなかろうか。逆に、双方向の交流プログラムとして、都会から訪問した専門家が、地元の小学校向けに課外授業を行うことなども考えられる。
現在松代が先行している生涯学習交流運動を三つの街連携で盛り上げてもらいたい。例えば利き酒講座であれば、宿泊需要や、新酒の時期のオフシーズン需要なども生まれ、成果は少しずつ期待できるのではなかろうか。
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