JAPAN GEOGRAPHIC

長野県塩尻市 奈良井

Narai,Shiojiri city,Nagano

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 General
 
 
 Nature
 
 
 Water
 
いたる所に水場があり、生活に密着している
 Flower
 
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 
 Food
 
 

塩尻市大字奈良井379 手塚家住宅(長野県塩尻市奈良井) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸末期 天保11(1840) 桁行12.4m、梁間10.9m、二階建、切妻造、鉄板葺、西面廊下及び居室附属 普請関係文書6冊、家相図1枚 20071204

塩尻市大字奈良井379 手塚家住宅(長野県塩尻市奈良井) 別棟座敷 重文 近世以前/民家 江戸末期 天保11(1840) 桁行9.9m、梁間15.9m、切妻造、鉄板葺、西面廊下及び便所附属 20071204

塩尻市大字奈良井379 手塚家住宅(長野県塩尻市奈良井) 土蔵 重文 近世以前/民家 江戸末期 文久3(1863) 土蔵造、桁行11.4m、梁間3.7m、二階建、切妻造、鉄板葺 20071204

旧中村家住宅



October 19,2020 大野木康夫 source movie

木曽の大橋東駐車場は改修で廃止され、公衆便所が作られていました。

案内板
 


奈良井川
 


木曽の大橋
   


JR中央線の踏切
 


横水
 

旧中山道を南へ
             


手塚家住宅

所在地 長野県塩尻市大字奈良井379

【国指定文化財等データベースより引用】
 手塚家住宅は、中山道木曽十一宿のうち北から二番目の奈良井宿にある。奈良井宿は街道に沿って南から上・中・下の三町からなり、手塚家は中町の中ほど、中山道の西側に建つ町家で、現在、上問屋史料館として一般公開されている。
 手塚家は「上問屋」と号し、江戸初期から末期に至るまで、問屋を主とする宿場内の要職を務めた。奈良井宿では江戸時代初めから上下二軒の問屋が設置され、半月交替で人馬継立などの交通運輸業務にあたり、年寄(問屋役の補佐)、馬指(伝馬役の招集斡旋)などを統轄した。手塚家は幕末まで上問屋を世襲するほか庄屋も歴任した。
 中山道に面する敷地の間口一杯に主屋を建て、廊下と中庭を介して別棟座敷に接続する。また別棟座敷後方に庭園と便所棟を配し、さらに庭をはさんで、敷地奥行のほぼ中央に土蔵を建てる。
 主屋と別棟座敷は、天保3年(1832)の大火後の再建で、同11年の建設になり、土蔵は文久3年(1863)に建てられた。
 主屋は、桁行12.4m、梁間10.9m、二階建、切妻造、平入で、鉄板葺である。
 一階は、南側を通り土間とし、北側も表を奥行二間の土間として表門を開き、客用の出入口とする。
床上部は、大黒柱筋の間仕切で表と奥に二分し、表側を板の間として通り土間寄りに畳敷の会所を設け、奥側は三室に間仕切り、通り土間側から、勝手、九畳、廊下とする。軸部は成の高い差鴨居で固め、表側の室は根太天井として二階をつくり、奥側は井桁に組んだ梁組を表し、小屋まで吹き抜けとする。
 二階は、北半の二室を畳敷とし、天井は剥ぎ板を用いた棹縁天井とする。南半は板敷である。
 勝手の裏手に張出し部を設け、南半にオヘヤと仏間を配し、北半を中庭の廊下として、別棟座敷と繋ぐ。屋根は両下造、鉄板葺である。また中庭を介して北側に、屋根片流れ、鉄板葺の新廊下を設け、主屋表門からの動線を新座敷に導く。
 一階正面は、板の間と会所の前面に出格子をつけ、内法上では差物から腕木を出して二階の出格子を受け、さらに出格子の桁を支点として軒桁を出し、深い軒をつくる。また二階出格子の両端には袖壁を付ける。
 別棟座敷は、桁行9.9m、梁間15.9m、切妻造、鉄板葺である。後方に廊下と便所が附属し、屋根は、片流招屋根付、鉄板葺とする。
 別棟座敷は、中廊下の南北に座敷を三室ずつ並べ、南列は東から六畳、次の間、上段の間とし、北列は、新座敷、中の十畳、奥の十畳とする。上段の間は、次の間より框一段分床を高め、床飾りを整える。また長押に杉磨丸太を使い、棹縁天井には塗縁を用いるなど、特に趣向を凝らす。
 土蔵は、桁行11.4m、梁間3.7m、切妻造、鉄板葺である。南北二棟の二階建土蔵を通路をはさんで建て、通路上部の外壁で繋ぎ、置屋根を載せる。
 手塚家住宅は建築年代が明らかで、生業である問屋機能と、充実した接客空間とをあわせもち、江戸時代末期の木曽地方における問屋建築の姿を留めるものとして価値が高い。また、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている塩尻市奈良井の宿場町を代表する町家建築であり、保存地区の核として重要である。

主屋(重要文化財)

天保11(1840)年の建築
桁行12.4m、梁間10.9m、二階建、切妻造、鉄板葺、西面廊下及び居室附属
                     


別棟座敷(重要文化財)

天保11(1840)年の建築
桁行9.9m、梁間15.9m、切妻造、鉄板葺、西面廊下及び便所附属
                     


土蔵(重要文化財)

文久3(1863)年の建築
土蔵造、桁行11.4m、梁間3.7m、二階建、切妻造、鉄板葺
   


さらに南へ
          


旧中村家住宅(令和2年10月16日付けで文化審議会より重要文化財に指定するよう答申された。)

所在地 長野県塩尻市大字奈良井311

【文化審議会答申より引用】
 旧中村家住宅は,重要伝統的建造物群保存地区に選定されている塩尻市奈良井に所在する。主屋は,天保8年(1837)の大火後,同14年頃の建築である。
 主屋は間口約6mで,江戸時代末期の中山道の木曽11宿では,典型的な規模の町家である。出梁による深い軒
や,二階の出格子窓,重厚な板庇,一階のシトミなど,奈良井宿に特有の表構えをよく留めており,価値が高い。
また,当家は塗櫛の販売を営んだが,主屋表の二階には漆塗作業の痕跡が残り,彩色の工程がここで行われたことがわかる。宿場の生業の一端を示して貴重である。

昭和40年代に川崎の日本民家園に移築されることが決まりましたが、地元の要望により旧楢川村が中村家から寄贈を受けて現地保存し、資料館として公開されています。

主屋

天保14(1843)年頃の建築
建築面積165m2、二階建、鉄板葺
                                        


土蔵

天保14(1843)年頃の建築
建築面積43m2、土蔵造、二階建、鉄板葺
         


帰路
               


Sep.2020 酒井英樹

旧中村家住宅

中村家は中山道の奈良井宿にあり、塗櫛(上質の漆を塗った櫛)の製造販売を手掛けていた家。

《主屋》
 天保8年(1837)、奈良井宿の大火で類焼後、天保14年(1843)頃に再建されたのが現存する主屋。
 この地方でよく見られる正面2階外壁が1階より張り出す「出梁造」であるが、正面1階庇が上部から釣込む工法を用いる独特の形状を持つ。
   

手塚家住宅
 
手塚家は中山道沿いに延長1km以上になる奈良井宿のほぼ中央部分にある。
 奈良井宿の問屋において人馬継立などの交通運輸業務を統轄、また庄屋を務めた。

<主屋>
 天保8年(1837)の奈良井宿の火災後、天保11年(1840)に再建されたのが現存する主屋。
 木造2階建、切妻造、平入、鉄板葺で出梁造である。
 奈良井宿の他の出梁造の家に比べ、間口が3倍に上る大規模な構造を持つ。
       


《内部》
                                           


 


Sep.2019 柚原君子

中山道第34 奈良井宿

概要:長野県塩尻市の奈良井宿(奈良井川上流に位置する旧楢川村)は、標高900mに位置する集落で、1978(昭和53)年5月『伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示している』として『重要伝統的建造物群保存地区』の指定を受けています。

中山道が整備される70年ほど前の1532(天文元)年、戦国時代の大名である木曽義在が奈良井宿内にある専念寺を建立して木曽に宿駅を定める、と文献にあるところから16世紀中頃には宿駅が機能していたとみられます。

江戸時代に入り、他宿では大火に見舞われて貴重な遺跡を失うことが多い中、奈良井宿は天保8年の大火で焼けてはいますが、町の半分が残り、東西には枡形もあり美しい曲線をとどめた往時の面影を残した町並みが南北約1km、東西約200mに渡って広がっています。

建物の多くは江戸末期から明治期の物。冬期の降雪が多い地帯で軒の出が深い造りになり、二階部分がせり出している出梁造りや板大戸(おおど)、くぐり戸、水平に上げて開く蔀戸などを有する家並みが続いています。宿内に入ると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようです。

保存への努力も並々ならぬものがあり、電柱、電線はなく公的施設である郵便局や会館なども景観に合った造りになっています。また屋根の勾配も決められていて、雨樋、屋根などは艶を消した濃い茶色に統一されています。地域の伝統的な板葺石置屋根は耐久性がないため、屋根を隠すことで伝統的な景観と家屋の耐久性の両立が図られています。

奈良井宿は中山道の二大難所の一つである標高1197Mの鳥居峠が控えているところから、峠越えの人々でも大いに賑わった宿で、奈良井千軒との別名も有るほどです。「木曽の奈良井か薮原流か麦もとらずに飯を炊く」と経済的な繁栄を示す俗謡も残っています。

1843(天保14)年の『中山道宿村大概帳』によれば、奈良井宿の宿内家数は409軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒で宿内人口は2,155人。他宿に見られる定助郷と呼ばれる人馬共に集められるお助け隊は、一帯が山間部で近隣に大きな村を要しないところから定めはなく、大名行列などの大がかりな通行時は前の宿である贄川と後ろの宿である薮原、宮越の4宿が助け合ったそうです。しかし、薮原、宮原宿は鳥居峠を越えて奈良井宿にかけつけねばならず、馬や什器や炭などをかついでの峠越えは大変であったろうと想像されます。(※参考:塩尻市公式HP)

街道は前宿である贄川から木曽の山の中に入ってきますが、面積の9割以上を森林が占める木曽谷と呼ばれるこの一帯では曲げ物、漆器、塗櫛などの木工業が盛んで、優れた漆器の技術は現在でも長野県の伝統号芸品として高い人気を集めています。

近代の宿駅は鉄道駅からの遠近や、国道開通で寸断か回避かで繁栄と保存の明暗を分けていますが、奈良井宿は奈良井駅から5分ほどで宿に到達することができることと、国道からも離れたために街道を寸断されることもなく貴重な時代遺産としてまた、漆器、塗櫛などの販売店もあったために観光地としても栄えている現在です。

0、前宿のまとめは橋戸の一里塚で終了していましたのでその続き。

橋戸の一里塚は街道が付け替えられたため奈良井川の対岸に塚だけが残ります。そこからは奈良井の駅の正面の山から下りてくる道になるのですが、今はありませんので、国道に行き当たりそうになりながらも、かろうじて山側の道を行きます。案内が出ているので駅まで歩くことができます。

1,橋戸の一里塚より続いていた旧道に残る杉並木

日を改めて奈良井宿に。新宿より特急あずさで塩尻に。1時間に2本しかない中央本線に乗り換えて奈良井に到着したのは11時半。今日は鳥居峠越えがあるので気合いが入ります。

標高900㍍の奈良井駅から出発です。下車してすぐにマンホール発見。描かれているのはヤマメと楢の木と実。

駅左方向に奈良井宿が少し見えるのですが、ここはまず先回に訪れた贄川宿の最後に川の奥にあった橋戸の一里塚より続いていたという杉並木が17本残っている旧街道の痕跡に行きます。

駅正面の坂道を登っていくと綺麗な杉並木が現れます。見ておかないのはもったいない気分です。明治期の鉄道や国道敷設で途切れて、江戸時代の初期の中山道としてここだけが残されています。敷設、掘削などの工事であちらこちらにあった観音像が194体も集められて、この土地の鬼門よけである八幡宮の前にそろっています。

                       

2、専念寺

いよいよ奈良井宿。電線も電柱もない軒の低い格子戸がはめ込まれた家々が続いています。タイムスリップした感がある綺麗な町並みです。樋の色まで統一されている細かい配慮があってこその美しい奈良井宿です。現在営業中の旅館もありますが、遺構なのかどうかすら分らないところがすごいです。

町並みは手前から下町、中町、上町と続き、枡形が二ヶ所残っているので道が緩やかに曲がり、見通しがきかない分だけ素朴さが残ります。

宿入口右側に専念寺。戦国時代の大名である木曽義在が建立。夜ごとにうなる「うなり石」があるとのことですが、すぐには見つからず町並みに戻ります。宿内に五ヶ所ある水場が音を立てて流れています。手を入れると冷たいです。屋根に置き石。

鬼灯が吊されていますが、皮のむき方が独特。格子戸に彩りを添えています。

               

3、松屋茶房

180年前の江戸末期天保年間に立てられた建物がそのまま喫茶店に。漆り櫛問屋の跡です。

    

4、お六櫛と杉の森酒造

松屋茶房の向かい側にも櫛を売るお店。奈良井宿や次宿である薮原宿の名産でもある「お六櫛」の説明もあります。

『元禄年間(1688年 - 1704年)に、持病の頭痛で悩んでいた村の娘お六が、治癒を祈って御嶽山に願をかけたところ、ミネバリで櫛を作り、髪をとかしなさいというお告げを受けた。お告げのとおりに櫛を作り朝に夕に髪を梳いたところ、不思議なことに頭痛が治った。ミネバリの櫛の名は広まり、中山道藪原宿の名物として作り続けられることになった』というものです。

何かを売り出すためには、お話も必要という気がしないでもありませんが(大きさが六寸だったという説もあり)、実際にミネバリ(またはツゲ)の木で造った櫛は長野県知事伝統的工芸品に指定されています。店頭に可愛らしく並べられていますが、5,000円から40,000円くらいの価格で、出来上がるまでに時間がかかる職人技です。

町並みが続きますが、民宿と書いてあっても建物は宿場町の景観と全く変わらず、よぉく見て、令和の時代にも営業中かとうなづくくらい、街道の絵に溶け込んでいて、さすがに『重要伝統的建造物群保存地区』と感心するばかりです。

杉玉が下がっていたであろう屋根飾りのある酒屋さんがあります。「杉の森酒造」。1675(寛政5)年創業。銘酒「杉の森」の蔵元。(帰京して資料を集めましたが、どうやら2019年現在休業状態のようです。以前の写真には注連縄飾りの杉玉が確かに下げてありますし、右側の板戸には看板らしきものもあるようですが、現在はその跡があるのみ)

とはいえ重厚な造りの家です。建物の形状は資料によると下記のようです。

『切妻、平入り、外壁は正面が真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁と両面は下見板張縦押縁押え、2階外壁は1階外壁より前に張り出し、伸びた椀木に桁を流し、そこで外壁を支える出桁造、中2階の建物で通常の2階建てよりは軒が低いのが特徴。隣家との間には延焼対策と思われる袖壁』。

                      

5、大宝寺 マリア像 本陣跡

1582(天正10)年、この一帯を領地としていた奈良井義高の菩提寺ですが、1932(昭和7)年に地元の藪の中から掘り出されたお地蔵さんの方が有名になっています。子を抱く像ですが赤ん坊が持つ蓮華の先が十字状になっているので、隠れキリシタンが祀ったのではないかといわれています。首から上がありません。どのようなお顔だったのでしょうか。

大宝寺のすぐ横に、本陣跡。跡碑と常夜燈(1818年:嘉永2年建立)のみ。左の公民館の辺りが母屋だったそうです。

               

6,現在も営業中「越後屋」「伊勢屋」旅館

本陣の向かい側には「越後屋」さん。現在も営業中の旅館です。1789年の寛政年間創業。どこの誰が逗留中なのかを示す木札が現在も残されていて、玄関の脇に多く下げられています。江戸時代は「講」を組んで団体旅行をしましたので「何々講」という札が多いですが、旅に常備する薬なども置かれていたのでしょうか、薬のコマーシャルの木札なども残っています。

向かい側にあるのは「伊勢屋」さん。こちらも現役の旅館です。中山道時代は脇本陣と下問屋でした。今も旅館としてある建物が町並みにしっくりと溶け込んでいます。奈良井宿の魅力です。板を重ねて波型にそらせた鎧庇。その上に板を押さえる桟木(さんぎ)が並びますが、まるでお猿さんが何匹も連なって並んでいるようで「猿頭」(さるがしら)とよばれるもので奈良井宿の町並みの特徴です。

低い角度のある軒ですから、美しい形で見ることが出来ます。板を留める釘が特別の四角い釘とのことですが、そこまでは見えませんでした。また、板は簡単に組んであるところから泥棒が忍び込もうとすると板の庇が崩れて、泥棒よけにもなっているそうです。

                

7、手塚家(国指定重要文化財)

隣は資料館になっていますが、手塚家が務めた庄屋の家屋です。国指定重要文化財。黒光りする廊下。奥行きのある家。明治天皇御在所もそのまま。奥まった所にある庭が静かで奈良井宿を訪れた方々が足を伸ばして、当時を体感されている姿が見られます。

                               

8、鍵の手 高札場

表に出て進行方向に枡形。鍵の手ともいいます。鍵の手石碑と夫婦道祖神。

鍵の手の先には天保年間建築の中村邸。塗櫛創始者中村恵吉の分家にあたる櫛問屋とのこと。宿場が外れの頃になると大体において高札場があります。

奈良井宿の高札場は明治初期まで使われていたそうですが、宿場制度がなくなるとともに撤去され、宿場の町並み整備で昭和48年に資料に基づいて再建されています。幕府よりのお知らせや注意などが書かれています。

曰く「偽金を造ってはいけない、忠孝に励みなさい、仲むつまじく暮らしなさい、悪心や偽りを持って暮らしてはいけない、けんか口論はいけない、人身売買はいけない、火付けの者がいたら訴えなさい、人たる者は五倫の道を正しくすべし、職人は談合して手間賃を高値にしてはいけない……」などと書かれています。

人々が正しく生きられるように隅々までお知らせの高札場ですね。現在もあったらいいのにと思います。

                          

9,鎮神社

奈良井宿の最後は「鎮神社」。奈良井、川入の氏神様で、12世紀頃には既にあったそうです。もともとは中原権頭兼氏(かねうじ)という非常に徳の厚い人が奈良井にいて、村人に尊敬されていたのですが、やがてその人が亡くなります。村人はその徳をしのび、社を鳥居峠に建てて、その後400年余りにわたり祭神として祀りますが、合戦で神社は焼失。

その後はマリア地蔵のある大宝寺に墓所のあるこの地を治めた奈良井義高が現在の場所に祀ったそうです。

1618年頃に“すくみ”という難病が流行り多くの人が亡くなったので、京より経津主命を祭神賭して迎えたところ、病が鎮まったので「鎮神社」となった、とあります。

街道に面して鳥居の建つ鎮神社を過ぎると、いよいよ鳥居峠に向かう登り口が見えてきます。

     

10,奈良井駅

夕方になると無人駅になります。

      

11,宿の夕景

奈良井宿の夕景が見たくて一列車遅らせました。夕闇が迫る頃と全くの夜の中です。人通りも無く寂しい感じです。次回は雪景色が見られたらと思います。

                                   

12,奈良井木曽の大橋

駅から5分ほどの所にあります。ガードをくぐっていくと公園の中にあります。

奈良井川にかかる総檜造りの橋です。ライトアップが見たくて一列車遅らせて写真を撮りました。橋脚を持たない太鼓橋としては日本有数の大きさを誇るそうで、左岸の階段が20段、右岸が21段で登れます。「20世紀から21世紀へ、願いをつなぐ夢のかけ橋」という意味が込められているそうです。公園から見ると、綺麗に組まれた檜が見えて想像以上に綺麗でした。

                       

丸山漆器店大谷石蔵(まるやましっきてん おおやいしぐら)

登録有形文化財(建造物)

所在地:長野県塩尻市大字奈良井字城1096-1他(奈良井駅5分)

建築年:1961(昭和36)年

登録年:2013(平成25)年

奈良井駅北側に建ち、石造三階建、切妻造、妻入、桟瓦葺である。大谷石積で栃木県宇都宮大谷から運び、石工を招いて建築された。

階境に水切を廻らし、妻にペディメントを表す。二階と三階の妻面に石庇付の窓を設ける。特徴的な外観をもち、丁寧に施工された石蔵で、伝統産業である漆器生産の様相を伝える丁寧に施工された石蔵は、長野県の伝統産業である漆器生産の様相を伝えている。当地では、昭和20年から30年にかけて漆器生産のための石造建築が多く建てられた(参考:文化遺産オンライン・塩尻市HPより)

          


Apr.22,2015 川村由幸

                         


June 15, 2014 瀧山幸伸

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A camera

                                                                                                                                                               

B camera

                                                                                                                                                                                                              


June 2012 瀧山幸伸

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A camera

                              

大宝寺 マリヤ地蔵

               

上問屋資料館(手塚家住宅)

                                                        

B camera

                                                    

大宝寺 マリヤ地蔵

             

上問屋資料館(手塚家住宅)

                                                     


Sep.2009 瀧山幸伸 source movie

                                                                        

                                                                                                           


June 2005  瀧山幸伸

中山道 平沢から奈良井 ドライブ

Nakasendo Hirasawa to Narai drive

中山道 奈良井 ドライブ

Nakasendo Narai town drive

source movie

Map 奈良井北

Map 奈良井南

奈良井宿

Narai

 


July 2004  瀧山幸伸

No.1  HD(1280x720)

No.2  HD(1280x720)

Sep.2003 source movie

Aug.2003 source movie

【街並】

奈良井千軒と呼ばれたほど賑わった宿場だ。国の伝統的建造物群保存地区に指定されている。

街並は素晴しいのだが、車の通行が意外に多く落ち着いて散策できないのがつらい。街中に駐車している車も目立つ。生活を優先すると街並演出が犠牲になる。訪問客を優先すると生活が犠牲になる。観光に依存するならば、税収増などの利益を原資として迷惑を蒙る生活者に補償するシステムが必要だ。

街道の表側はどの宿場の街並も美しく保つように意識するが、ここでは路地や裏道路も奇麗に管理されており、住民の美意識に敬服する。

アスファルトの舗装を廃止すればさらに素晴らしい街並になるであろう。

      

      

      

      

         

【建築】 

下屋、葺材の押縁を見てみよう。波型のデザインが美しい。建物の間口は狭いが奥行きは深い。

中村家住宅

Nakamurake

      

      

      

 

鉤曲り

  

【植栽修景と看板】 

蔓性の植栽が建物に潤いを与える。建物の足元に緑があるので美しくない道路との不連続性が和らぎを与える。赤い和傘は愛嬌だ。看板は控えめで美しい。富山の井波のように町中が彫刻看板であればなお素敵だろうとも考えたが、井波は門前町で彫り師をかかえていた歴史があるから良いのであって、その文化がない木曽に借り物として持ち込むのは考え物だ。

      

     

【水場】 

街中に多数の水場がある。それぞれ個性あるデザインとなっており、街並に潤いを与えている。水神を祭り、水を大切に扱っている。これらが生活に利用されるのはもちろんのこと、訪れる人のために歓迎の表示がある柄杓が提供されているなど、訪問者に対する住民のホスピタリティが伝わってくる。

      

      

 

【ストリートファニチャ】

道端のコーヒー看板と路上駐車。ただ1点のストリートファニチャのミスマッチやちょっとした路上駐車が街並の印象を大きく変える。

煙草屋のレトロな看板に対峙する、無機質で違和感のあるタバコ自動販売機。

鉤曲がりにある双体道祖神。「交通安全」と彫られているので興醒めする。

宿場を演出する駕籠。

旅籠の風情を演出する建物。看板、照明、暖簾が美しい。

軒下のタカノツメ。ストリートファニチャではないが、景観演出として美しいし実用性もある。

造り酒屋の杉玉。 本来、杉玉を軒に吊り下げることによって新酒の完成を知らせたが、現在ではデザインとして重要だ。造り酒屋のアイデンティティとなっており美しい。造り酒屋は和風の街に必須と思われる。良い街には良い酒がある。

       

【並木道と二百地蔵】

宿場の入り口、駅付近に街道の並木道が保存されている。並木をさらに復元延長すればなお嬉しい。

 

【町おこしはハードかソフトか】

道の駅に檜造りの立派な橋を新しく架設した。観光名所創りを意識したのだろうが、このような大金をどう使うべきか、公共資金の使い方を考えさせられる。

訪問客の心に訴える観光振興策を訪問者と一緒に考えるほうが良いのではなかろうか。ハードウェアの評価は比較的簡単だ。忠実な宿場町の再現に使えばよい。ソフトウェアの評価は難しい。イベント、例えばふるさと制度など、リピーターとのコミュニケーションに振り向けることも重要だ。旅館が宿泊者に挨拶のはがきを出すように、街が訪問者に「またおいでください」とメールで案内を出すのは当然のことだと思う。メルマガを出す観光地は増えて行くだろうが、その質が問題だ。観光協会主導ではぎらぎらしてしまう。学校や個人、文化レベルで「私の家にいらっしゃい」も言える交流が必要であろう。

   

奈良井のまとめ アセスメント 合計14点

周辺の自然と景観 +1

電柱なし +2

橋の必然性、フィーチャリング、時代考証 -1

宿場町の街並と建築物 +3

旧街道の並木保存 +1

植栽、花 +1

水場 +4

中山道フィーチャリング+1

住民のホスピタリティ +2

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