長野県大鹿村
Oshika Village,Nagano
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June 13,2026 大野木康夫 source movie
福徳寺
所在地 長野県下伊那郡大鹿村大河原2004
福徳寺本堂(重要文化財)
室町前期の建築
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、こけら葺
【飯田市美術館ホームページから引用】
大河原は、室町時代前期に信濃宮と称された宗良親王(後醍醐天皇の第八王子)が、土豪香坂高宗らに守られて三十余年、大河原を拠点に各地を転戦した地である。この福徳寺は、天台座主であった宗良親王が天台宗の寺院として建てたものとも推測されている。現在は無住であるが、以前は福徳庵とよばれ、曹洞宗の寺であった。本堂は桁行三間、梁行三間、入母屋造、こけら葺の建物で、周囲に切目縁をめぐらす。外回りの円柱のうち隅の柱上部にのみ舟肘木を置き、ほかは直接桁を受けている。軒は一軒の疎垂木とする。内部は竿縁天井で、かなり後方によって来迎柱を立てて仏壇を設けている。建築年代は、技法から判断して宗良親王の時代の造営とみている。長野県内の仏堂としては中禅寺薬師堂(上田市、重要文化財)に次いで古く、簡素であるがしゃれた意匠の小堂である。
松下家住宅
所在地 長野県下伊那郡大鹿村大河原1665
【飯田市美術館ホームページから引用】
赤石山脈の西側、小渋川の谷沿いに点在する集落の中にあり、急傾斜面の多いなかで比較的ゆるやかな場所を選んで建てられている。松下家は御館といわれた大地主層の一軒であった。松下家の主屋の建築年代は、カミザシキの書院障子の框に「文政三辰年三月拵」の墨書があり、文政3年(1820)もしくはそれより少し前に建設されたと考えられる。主屋は、間口八間半、奥行七間半の規模で、正面ほか三方に下屋が付く。屋根は現在鉄板葺であるが、当初は石置板葺であった。間取りは、細長い土間の片側に、部屋を前後三列に配置し、土間の下手に馬屋等が並ぶ。建築年代が19世紀に入っているので、主屋の中央にあった大きな居間が分割され、上手のオエイは床の間を付けた部屋となり、背後のダイドコロが拡大され数室に仕切られるなど、間取りが複雑になっている。構造で特筆されるのは、土間の左側にある馬屋とそれに続く小部屋が構造的に主屋と別に造られていることで、両者の境には柱が二列に立てられている。このように主屋・馬屋を別構造とする形式は、下伊那地方や木曽地方に分布している。なお、主屋北側にある土蔵は明和9年(1772)の建設である。
主屋(重要文化財)
文政3(1820)年の建築
桁行一四・六メートル、梁間一五・八メートル、一部二階、切妻造、妻入、中央部 越屋根、鉄板葺、南面・東面及び北面庇付、桟瓦及び鉄板葺、便所二所附属
土蔵(重要文化財)
明和9(1772)年頃の建築
土蔵造、桁行七・七メートル、梁間五・一メートル、二階建、切妻造、桟瓦葺、東面土庇付
Apr.2024 酒井英樹
June 2012 瀧山幸伸 source movie
地蔵峠
中央構造線 安康路頭
松下家
Matsushitake
下伊那郡大鹿村大字大河原1665 松下家住宅(長野県下伊那郡大鹿村) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 文政3(1820) 桁行14.6m、梁間15.8m、一部二階、切妻造、妻入、中央部 越屋根、鉄板葺、南面・東面及び北面庇付、桟瓦及び鉄板葺、便所二所附属 19730602
下伊那郡大鹿村大字大河原1665 松下家住宅(長野県下伊那郡大鹿村) 土蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 明和9(1772)頃 土蔵造、桁行7.7m、梁間5.1m、二階建、切妻造、桟瓦葺、東面土庇付 祈祷札2枚 19730602
二階
上青木
大池高原
Oikekougen
中村農園 青いケシ畑
大池
Oike
クリンソウ
入沢井
福徳寺
Fukutokuji
下伊那郡大鹿村大字大河原字上蔵2004 福徳寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、こけら葺 棟札4枚 19120208
高坂高宗墓跡
大河原
分杭峠
念力不動
福徳寺(重要文化財)
松下家住宅(重要文化財)
長野県下伊那郡大鹿村大字大河原一、六六五番地
豪農の家。文政3年(1820)の建築。
日本の秘境、秋葉街道から少し丘を登った高台に位置する。
「日本で最も美しい村」連合メンバーの大鹿村。
遠州秋葉山と善光寺を結ぶ信仰の道、秋葉街道と、周囲の自然環境もあわせて楽しみたい。
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